キャッシュレスからマネーレスへ。 〜お金は、未来でも重要なのだろうか?〜
今年は「お金」について考えることの多い1年だった。世の中的にはブロックチェーンやいわゆる「仮想通貨」が話題になった年であり、一方、私個人としても、勤め人を辞め自分の会社を起こして2年目に入り少し落ち着いて会社や仕事について考えることができるようになったことで、仕事を頂いてお金を受け取る意味、その金額の持つ意味、通貨のこれから、などについて考えることが多かった。
その中で、一番忘れられないのは、冒頭の写真にある、BancorのCO-FounderであるGalia BenartziがTOAで語った一言。
お金とは何か?
人間同士のコラボレーションのツールである。
セッション後の質疑応答でのやりとりも含めて、彼女の話は非常に深く心に刺さった。ご興味があれば、動画がYoutubeにあがっているので見て頂ければと思う。
お金というものが物心ついた頃から当たり前に存在している私たちにとって、その意義を深く考えるということは、ブロックチェーンや仮想通貨が話題になるまで、あまり機会がなかったように思う。少なくても自分自身はそうだった。ただ、金融工学のようなお金の「数字」だけが機械的に増えていくことを目指す仕組みや、それをよしとする風潮(金融資本主義)への疑問は、かねて感じていた。
お金というのは、便宜のために作り出された、それ自体は無意味な数字と、円とかドルといった通貨の記号の組み合わせにすぎない。また、利息がつくというのも、当たり前のことではなく、そう取り決めたという人工的なルールにすぎず、お金の本質ではない。
この記事の冒頭で紹介されている「賃料が要らない」アパート、というのは厳密には「通貨での賃料支払いが要らない」ということであって、アパートを借りるために何の見返りも必要がない、ということではない。ここで冒頭のGaliaの指摘に立ちもどるなら、貸主と借主が、部屋の貸し借りを通じたコラボレーションをするために、お金が便利ならそれをツールとして使えばよいだけだし、別なもの、この記事で紹介されているものであれば、デザイナーの作品や音楽家の作った曲でもよいのだ。
その基礎になっているものは、人間のコラボレーションへの欲求だ、ということも出来ると思う。自分ではやれないこと・持たないモノを、それを持っている人との間で交換し合う。それを簡便に行うための道具としてお金が生まれたにすぎない。お金が本質なのではなく、人間の関わり、そこで生まれる信用、コラボレーションによって産み出されるものが、根源的で本質的な価値なのだろう。
自分が勤め人を辞めた時、独立して仕事を始めることを年賀状に書いて送ったところ、もう何の(経済的な)利害関係もないはずの、何年も前に仕事をご一緒した方から、「自分が何か仕事の役に立つことはないか、あればいつでも言って欲しい」という電話をいただき、そして実際に、半年ほどして仕事を、つまりはお金を頂く、という経験をした。この時、その方は私の会社の財布を開いてお金を入れようとしてくれているのだ、その方と私の間にある関係、お互いの信頼が、その必要と共に「お金」という形になって現れたのだ、と思った。裏返すと、お金という形になる必要がないなら、それは「お金」という姿にはならずに、しかし確実に「何か」が存在しているのだな、とも。これは、今までに経験したことがない感覚だった。
30年後の私たちの生活を考えた前のエントリでは長くなるので省略したが、AIやロボットが人間にとって代わって仕事をするようになり、日本人の9割が働いていないという時代が来る時、お金は、果たして今と同じように存在しているのだろうか、という疑問がある。何らかの価値交換ツールとしての通貨は引き続き残存しているのだろうが、デジタル技術の発達は、通貨によらない価値交換も容易にしはじめている。
そして、「お金」を盗むことはある意味でたやすいが、「信用」や「信頼」といった「人間関係」を盗むことは、お金ほどには簡単ではない。そうであるなら、お金は盗難を防ぐ必要がある分、不便でコストの高いツールになっていくのかもしれない。
「キャッシュレス」もまた今年のバスワードの1つだが、少し長いスパンで考えるなら、すでに「キャッシュレス」の先に「マネーレス」の時代を考える必要が出始めているのかもしれないな、と思う。
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