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目の端っこでも、追いかけ続けると「好き」が近づいてくれることもある。

私の夏休み、一番心に残る「トキ消費」は、初めての寄席でした。

モノ・コトときて、トキ消費。定義はこんな感じ。

人々はその時、その場でしか味わえない再現不可能な体験を求めるようになりました。不特定多数が集まるハロウィーンイベントやスポーツ観戦、音楽フェス。コトと区別してトキ消費と呼ばれることもあります。
(中略)
トキ消費には「参加してその場の盛り上がりに貢献している」「みなと同じ感動を分かち合っている」という共同体に帰属しているような安心感も、同時に得られます。

上リンク記事より引用

今話題の高校野球の応援は正にトキ消費ですかね。
寄席もそうでした。場の反応を見ながら、有機的につむがれていく枕(演目の導入の小噺)。お客さんのリクエストに応えて進む切り絵。落語のお噺の喜怒哀楽を分かち合う一体化。

ああもっと早く来ればよかった。
実はここまでに30年以上の歳月が経っていました。

小学生の頃の家族旅行。飛行機内で番組を聞き尽くし、仕方なく選んだ日航名人会(落語チャンネル)に心奪われて以降、飛行機に乗れた時の必ずのお楽しみに。

が周りの人はレベルが違う。定期的にどこどこへ聴きに行ってるという人やら、志ん生やら圓生やらのCDとテープでタワーを作っている先輩など。私落語が好きなんて到底言えないなーと、そのまま心のロッカーに放置していました。

が、この夏。友人がふと「久しぶりに寄席に行って良かった」と。さらに「この日おすすめ」と親切に教えてくれました。

出演者のリストを見ると、あ。喬太郎さん…! 
昔テレビで偶然拝見し、即座にtodoリストに「柳家喬太郎を聞きに行く」と残していたのです。 

wikiによると、私が見たテレビ番組からは何と12年が経っていました。

仕事に家庭と動けなかった。でもそれは言い訳。もっと熱量があればとっくに動いていたはず。

でも今、噺が沁みるくらいには人生の色々な味を知り、おじさま70%(体感)の場にも負けない加齢と図太さも得て、私が私らしく付き合える落語とのはじまりは、満を持して今なんだなと思えたのです。

ただ落語番組は横目で見たり、他にも気になる人はチェックはしていて。
濃厚ではなくても、好きの気持ちを持ち続け、目の端っこで追い続けていると、いつか好きのほうから近づいてきてくれる時もあると実感しました。

なかなか縁がなかったり、どうしても上手くいかないことも、ふとチャンスが巡ってくることもあるから、あまり悲しがらなくてもいいんだと。

一方で今だ、と思ったときに逃さない、本能を研ぎ澄ます必要もあるなとも思っていて。
もたもたして初動が遅れたものの、呼ばれている…!と勝手に感じ、当日券で食らいついた自分をほめてあげたいですw
諦観と執念のバランス感覚が、人生では大事な予感がしてます。

しかし喬太郎さんが12年間待ってくれた(待ってない)のは、奇跡のようなことと改めて気づきました。
心身の不良、方針転換、コロナ禍での場の存続など環境の変化、さらには週刊誌砲(!)などもしあれば、生で拝見できなかったかもしれない、永遠に。

誰かの推しをするというのは、その恐怖がいつも頭をかすめながらも、全力で続けられているのですね、皆様。根性尊い。

トキ消費は奇跡の塊で成立しているからこそ、一瞬を大切にし、そのために様々な形での応援が不可欠と思います。ほんと、いつまでもいると思うな親と推し。

私も書けるうち、書き続けねばな。また来月も。





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近森 未来(資生堂クリエイティブ コピーライター)
ここまで読んでいただきありがとうございます。 読んで、少し心がゆるんだり、逆にドキッとしたり、くすっとしたり。 おやつ休憩をとって、リフレッシュする感じの場所に ここがなれたらうれしいです。