八月や 六日九日 十五日 ~ 一言切り抜きfrom日経#214 (終戦記念日の8月によせて)
日経新聞は8月16日が休刊だった。お盆中の月曜日だったから、仕方がない側面もあるかもしれないが、終戦記念日の翌日は休まないで欲しいなあ。戦争を忘れない、そのための記事を、8月15日の翌日は、たくさん載せなければ、日本のメディアの意味がないのでは?頼みますよ。
だから、他の日の記事から切り抜く。
まずオープニングとして、8月17日の日経朝刊、『「八月」の意味を忘れないために』のコラムより一言切り抜き。
先の戦争を忘れない、との思いを込めて詠まれた有名な句だ。
昭和史を書くことで平和の尊さを訴え続け、今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは晩年、この句の意味が理解できない人が現れたことに危機感を持っていた。
次。
詩人や小説家とそのお父さんについての土曜日のコラム、「この父ありて」の7月17日、
”自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”
で有名な詩人、茨木のり子さんのの回から切り抜く。
リュックに星座早見表。
なんて粋なんだ。
しかし、これは戦時中の話。もう少しこの前も切り抜くと、
となっている。
テレビも雑誌も、ましてやネットもyoutubeもない時代。
こんな、楽しみの見出し方を茨木さんはされていた。
その茨木さんの文学へ道へのきっかけがその後、記載されており、
敗戦による価値の転換。
大人たちのだらしなさが露わになる。
このコロナの最中に起こっていること。起こりつつあること。
近い気がする。
全文はこちら。
最後に、日経からではないが、1つ、戦争に関する僕の連載のリンクを張る。
宣伝会議のwebメディア、Advertimesにて、過去10年以上集めてきた、これはすごい!と思う教育を集めて連載している「伝説の授業採集」18回目。
沖縄戦で亡くなったとされる236,095人と同じ数の石に、1~236,095まで番号をひとつずつ書いて積み上げていったというワークショップ。
体験者曰く、
「何の意味があるんだろうって、最初は思ってたんです。それが書き続けるうちに、ただの石ころが、骨に、命に、途絶えた未来の数に見えてきて。気付くと泣きながら書いてましたね。数日間かけて、やっとみんなで書き終えた時、小さな石は大きな山になってて。今まで公式を覚えるように暗記していた『23万人以上の戦没者』の途方もない数に、ただただ圧倒されてました。『以上』とか『約』で大まかになんてくくれない命の数だったんだって、初めて理解できた気がしたんです」
「地球に住むすべての皆さん」と、日本の一つの市から呼びかける、8月9日の長崎市長のスピーチは素晴らしかった。一方、首相のスピーチはお粗末そのものだった。どんどん何かが崩れ落ち始めているのが目に見えて見えるよう。
もちろん、僕らは戦争を知らない世代である。
このまま戦争を知らない子供たち、で、ありたいともちろん思うが、そのためには「戦争を知る世代のこと」を知りつつ、「戦争を知らない世代」をこれからも続けるには?の、発言と行動が必要であろう。
この乱世、この世の中を見て、
”自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”
そして、
”自分たちの感受性くらい 自分たちで守れ ばかものよ”
と改めて思う、8月だった。