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「このへんで、もう、ええやろ」と自らを赦す人たち

「ごめんなさい」と、相手に迷惑を掛けたら、謝る。「ごめんなさい」と最初は丁寧に謝る。「ごめんなさい、赦(ゆる)して」といっているのに、相手になかなか赦してもらえない。すると、「これだけ謝っているのに、あんた、まだいうの?しつこいなぁ。もうええやろ」と迷惑を掛けた人が逆に開き直り、キレる。謝る側が「赦しの期間」を決める文化が広がってきた。「赦したる」といえるのは本来迷惑を掛けられた人。おかしい。

「許す」とは許可と使われるように「〇〇してもよい」というゆるすで、「赦す」は大赦とか恩赦という言葉があるように「相手の罪をゆるす」こと。同じ「ゆるす」でも意味がちがう。当用漢字外の「赦す」が使わなくなり、すべて「許す」となって、よけい変になった。

「先に謝ったら負けや」と、交通事故にあったときの対応としてアドバイスされる。「先に非を認めたら、あかん」と損得勘定で動いて、日本人は謝らなくなった。言葉として使わなくなると、次第に心底「謝らない」人が増える。だから口で謝っているように見えるが、それは形だけ。心から謝っていないから、相手の心持ちを理解せずに、「このへんで、もうええやろ」と自らを赦すようになった。家でそのようなことが赦されてきたことを、世の中でするから、おかしくなる。

昔は、悪いことをして謹慎処分を受けたら、親に真っ先に怒って叱られた。本人は反省し、しょんぼりするが、先生が「お父さんお母さん、もう赦してあげてください」といっても、親は赦さなかった。「赦す」のは、その家のおじいちゃん、おばあちゃん、さらには地域の長老で、「私に免(めん)じて赦してやって」というのが役割だった。その「おじいちゃん、おばあちゃん」が家からいなくなった。

今はその反対。災害にあったように、「仕方ないわね、〇〇ちゃん、もういいよ。こんなに謝っているのに、まだあかんと言っているの?言ってる人がおかしい。もういいよ、謝らなくて」というように、親が赦す時代になった。

だから「前もそんなことあったな」というような同じことが繰り返される。同じようなニュース、記事を何度も見かける。日付を見なければ、今日のニュースなのかと思うことがある。そのときは大騒ぎするけど、みんなすぐに忘れる。そのときに「総括」、「根治」しないから、なんどもなんども同じ問題がおこる。これも、反省せずに自らが自らを赦す期間を決める文化がひきおこしているのではないか。

自分の感じること、考えることが最優先される。なにか気にいらないことがあったら、ハラスメント。「明日遅刻しないように来てね」といったらパワハラ。「無断で休んだらあかんで」といったらパワハラ。「今日、髪型かわったね」といったらセクハラ。しかし自分が好きな人に「髪型がかわったね」と言われたら、「やばい。チョー嬉しい」。

社会通念上「許容」されるべきことかどうかよりも、「本人が迷惑だと感じるかどうか」が過剰に優先されることになったら、社会は硬直してしまう。あまりかかわらないようにしよう。こうだと思うけど言わないようにしよう、アドバイスしたほうがいいけどやめておこう、本当はこうだけどまぁええわ ─ となる。相手にキレられると面倒だから言わないようにしよう。自分が標的にならないよう生きようとしよう ─ これではまるで野生時代。どないなっているのやろ、おかしなことが普通になりつつある。


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池永寛明(大阪ガス エネルギー・文化研究所)

過去と現在・未来をつなぎ、内と外をつなぎ、多層的な情報を編集・翻訳し、中長期ならびに技術と社会をつなぐ文化の方法論から、生活・社会・経済の今とこれからのあり姿を考え、発信していきます http://www.og-cel.jp/

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コメント1件

政治的要素もからむ、お隣の国との関係に、このお話をあてはめるのは、少々、無粋ですが、思わずそのように拝読しました。この場合、地域の長老は、海の向こうの某大国か、でも最近はあまり長老らしくないなあ、などと。。ご指摘のとおり、社会は「硬直」化しているように感じます。昔はそこらにいた、”叱ってくれる”おばちゃんやおっちゃんを見かけなくなってしまい、ただ一方で、その人達を懐かしむ声はききます。心の底では、みんな、おばちゃん、おっちゃんを認め、感謝していたのでしょう。家庭にも、地域にも、もしかしたら、国際的にも、”叱ってくれる人”の存在は大切なんだと改めて思いました。
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