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「出前授業」〜しくじり先生的に挫折や失敗含め自身の経験を子ども達に還元できる機会

出前授業とは

外部人材が学校に赴き、或いはオンラインで授業を行うことを、「出前授業」と呼びます。10年ほど前に母校(小学校)の校長先生から、「子どもたちにアフリカの話をして欲しい」と連絡をいただき初めて授業をさせてもらいました。それ以来ご縁ある学校や私塾などで、キャリア、アフリカ、DE&I、SDGsなどをテーマに出前授業を続けてきました。

そんな出前授業を仕組み化し、社会人講師を学校にマッチングしている「複業先生」というサービスがあります。私も昨年先生登録し、都内の高校でのキャリア教育授業の機会をいただきました。つい先日、ベネッセホールディングスから出資を受けた新進気鋭の教育スタートアップの運営する事業です。

出前授業の魅力

出前授業の魅力は何よりも、子どもたちが学校生活の日常の中ではあまり接点のないユニークな知識や経験のある大人と接することができる点にあると思います。教科書で学ぶ内容をその分野に携わってきた大人から具体的なエピソードとして聞いたり、憧れの職業に就いている先輩から生の声を聞いたりすることで得られる、手触り感のある学びに価値があると思っています。

そして出前授業の講師として子ども達に語りかけ、感想や質問をもらう中で対話し得られる気づきは、大人の私にとっても他では得難いものだと感じています。自分の凝り固まった考え方にハッとさせられたり、視野を拡げる機会をもらっています。

子どもたちからもらう質問で多いのは「失敗や挫折」について

そんな出前授業を繰り返す中で、子どもたちからもらう質問の中で特に多いのは、「どんな失敗を経験したか、それをどうやって乗り越えて歩んできたか」というものです。少し先をいく大人たちのキラキラした話以上に、どんな苦労があったのか、どうやって乗り越えたのか、というところに子どもたちが大きな関心を持っていることを感じます。

子どもたちからの質問の内容に応じて、私自身も小学生のときにいじめに遭いしんどかった話や、ガーナの村の仲間とのプロジェクトが頓挫し悩んだ時の話、数年前に予期せず失職し記憶が飛ぶほどに落ち込んだ話などとともに、そこから何を感じ何を学び、どうやって乗り越えてきたかという話をさせてもらいます。後日子どもたちが寄せてくれる感想の中には、「大人たちも悩んでいることが知れて勇気が出た」「失敗を恐れず挑戦してみようと思った」「一人で抱えず周りを頼ってみようと思う」という言葉もあり、大人が弱みを見せることに多少なりとも意義があるのかもしれないなと思ったりしています。

「しくじり先生」的に後輩達に話をしてみた

そんなことを感じながら出前授業を重ねていたところ、昨年の今頃、母校の今治西高校が120周年を迎えるにあたり、全校生徒に対して記念講演をさせていただくという機会を得ました。どんな内容を話そうか悩んだ末に、失敗や挫折の経験を軸とした内容を「そんなの無理かどうかは、やってみんとわからんよ」というタイトルでお伝えすることを決めました。家族や先輩など尊敬する方々から示してもらった大事な指針も紹介しつつお話しさせていただいた話の要約を、記念誌に掲載いただきました。その内容をご紹介させていただきます。

"2021年10月末、これまで経験してきた色々なことを振り返り、その中でも特に挫折や失敗談、それをどう受け止めてきたかということに焦点をあて、影響を受けた人や言葉を紹介しながら、「しくじり先生」的にお話をさせていただきました。

私が目標を最初に意識したのは、中学生の頃に遡ります。フィリピンのゴミ山で食い扶持を稼ぐために鉄屑などを拾い集める少女の姿をテレビ番組で見たこと、8歳年下の妹にその姿を重ねたことが原点です。「こんなのおかしい」という強い違和感を覚えました。小さな子どもがこんな生き方を強いられることのない世界づくりの一助となる大人になりたい、そんな漠然とした目標を抱くようになりました。

その頃通い始めた英会話スクールでは、TIME誌やインターネットの情報などから世界中の問題や議論に触れさせてもらう機会を得ました。先生や先輩への憧れから、「とにかく留学!」と考えるようになり、高校留学を両親に申し出ました。父からは、「英語を習得するにしても、もっと日本でできることがあるんやないか。日本語ですら自分のルーツを語れんのに、海外に出ても何者にもなれんのやないか。高校でしっかり勉強して、英語もある程度習得して、大学留学からなら認める」と反対されましたが、このことが大きな転機となりました。希望を受け入れてもらえなかったことに反抗しましたが、その理由には納得しました。それからは、英語の勉強に明け暮れながら、過去の記録を調べたり親戚から話を聞いてみたりしながら家系図を書き起こし、「自分のルーツ」探しを行いました。面白いことに、自身の性格や志向に結びつくような先祖が出てきたりして、こういう積み重なりの上に自分という人間があるんだなということを実感しました。

自分という人間の形成に大きな影響を与えてくれた先祖や人々のことを振り返ることは、自分は何者かを知ることであり、どんな人間になっていきたいのかを考えていく上で大きなヒントを与えてくれました。

その後、大学留学を予定していましたが、父から「9月入学までの間に日本の大学も経験してみたらどうか」と助言を得ました。ここでもやはり納得し、日本の大学に半年間のつもりで進学することにしました。そこで出会ったのが、「模擬国連」というサークル活動でした。学生が様々な国の大使を模して、国際会議をシミュレーションします。担当する国の情勢や国益を踏まえ発言する内容などを吟味することはもとより、英語でのスピーチ術、ディベート術、交渉術…様々なスキルを得られる活動でした。意識の高い学生たちからも、刺激を受けました。活動に没頭するうちに、日本で自分を成長させるためにできることが沢山あることに気がつき、留学を取りやめることを決めました。

模擬国連の活動を通じ、国連や外務省、金融機関やNGO、芸術家や起業家など、学生のうちに多くの方々にお話を伺う機会に恵まれました。お話を伺いながら自分の進路を模索する中で、立場の違いから生まれる意識や考え方のギャップを埋める役割を果たすような働きができるようになりたいと思うようになっていきました。そのためには様々な経験が必要と考えつつ、最初のキャリアには当時の自分にとって最もハードルが高いと感じた先を目指すことにしました。ダブルスクールし猛勉強の結果、国家公務員試験に合格し、外務省に入省しました。

「いつまでも良い意味で理想主義でいて下さい。決して臆することなく、自分の眼前の現実に自分の理想をぶつけられる人間でいて下さい。と同時に、眼前の現実に直ぐに見切りを付けないで、じっくりと人生をかけて悩み続けつつ、与えられた環境の中でも涼しい顔をして「結果」を出せる人間でいて下さい。」という、当時の採用担当の方にかけていただいた言葉は、今も自分自身の大事な指針になっています。

外務省では留学させてもらう機会を得ました。アメリカの大学院に進学し、国際保健を専攻しました。英語は頑張ってきていたつもりでしたが、クラスの9割がアメリカ人という環境の中で、会話のスピードが速くついていくことに必死で、自分の意見を挟むタイミングも掴めず、自分の予習内容にも自信が持てず、胃が痛くなるほど緊張する毎日でした。この頃の自己効力感や自己肯定感は、とても低くなっていたと思います。そんな状況を救ってくれたのは、親御さんがメキシコ等からの移民という友人の存在でした。本人たちは生まれも育ちもアメリカでしたが、家族が言葉や文化の違いに苦労する姿を見ていたからか、私の落ち込みを察し寄り添ってくれました。皆の支えがなければ、どこかでポッキリ折れてしまっていたかもしれません。

留学期間中、アフリカでインターンをさせてもらうチャンスがありました。そこで巡り合ったのが、その後10年にわたり、NGO活動を共にすることになるガーナ北部の村の人たちです。当時の私は、「役に立てるはず」と自分を過信していました。ですが、村の生活を始めてみると、10キロ超の水をバケツに入れて頭の上に乗せて運んでくることも、薪で火を起こすこともままならず、自分の身の回りのことすらできない状況。そんな様子を見かねて村人たちが寝床を準備してくれたり、バケツ入浴の方法を教えてくれたりしました。自分の無力さを思い知りましたが、それ以上に皆の優しさがあたたかく、「家族みたいなものだから」と謝礼を固辞されてしまったことにも心を動かされました。そして、恩返しプロジェクトとして共に幼稚園整備を行ったことをきっかけに、NGOを立ち上げ活動していくことになりました。先進国・途上国という偏った見方で、何かしてあげる…というような目線になっていた自分の奢りを自覚し、そういうことではないな、村のリーダーに寄り添い伴走するパートナーでありたいな、と思うようになりました。

NGOとして目指したのは、自分たちでしっかり稼いで、その収益で子ども達を取り巻く環境を改善し、10カ年計画で寄付から卒業することでした。方向性が定まった時、私自身は国際協力に関してはある程度蓄積がある気がしたものの、稼ぐということのイメージが全く湧きませんでした。これでは伴走できない、ビジネスのノウハウを身につけるためにも、その世界に飛び込まないと…と思い、外務省を退職し、総合商社の三井物産に転職することを決めました。

三井物産入社直後、社内会議に参加させてもらい、愕然としました。考え方やマインドセットが、今まで自分が身を置いていた世界のそれとは全く異なり、わからないこと尽くしでした。やっていけるのか、ものすごく不安になりました。そこで正直に、「今日のお話のほとんどが理解できませんでした。早く役に立ちたいので、教えてください」と頭を下げ、皆さんに話を聞かせていただきました。仕事後も、読書やネット検索で知識を補い、必死で追いつこうとしました。公務員試験の時と同じくらい勉強したと思います。数カ月かかりましたが、次第にキャッチアップし、アフリカ各国の貿易・投資案件に幅広く携わらせていただきました。世界中が熱視線を注ぐ成長著しいアフリカでの新規事業開発は、刺激的で可能性に溢れていました。

三井物産で働き始めてから1年半が経った頃、仕事を通じて出会ったアフリカ企業の社長さんから事業に参画しないかと声をかけてもらいました。「アフリカの持続的な発展のためには、地場企業が育つ必要がある、自らの手で発展を牽引していく必要がある」という想いに共感し、再び転職を決意しました。ですが、この会社は4ヶ月で即時退職することになります。しっかり調査し転職しましたが、入社してみると想定外の連続。悩んだ結果、先の事が何も決まっていない状態で会社を去るという決断をし、日本に一時帰国しました。ショックが大きかった当時の記憶は実はまだあまりありません。ですが短い期間の中でも、ゼロから事業を立ち上げたり、資金調達のために世界中を飛び回ったり、経営について真剣に考えを巡らせたことは、結果起業につながっていたり、今の自分の考え方や仕事への取り組み方の土台となっており、しんどかったけれど得難い経験をさせてもらったなと思っています。

今は、そんないろんなことを経て立ち上げたSKYAHを通じて、アフリカのロールモデルに伴走しながら、「生まれ育った場所に関わらず子ども達が夢を見つけ、追いかけ、かなえていくことができる世界づくりの一助になりたい」という想いを実現するために取り組んでいます。

最後に…高校生の当時の自分に言葉をかけるとしたら…と考え、在校生の皆さんにお伝えさせていただいたメッセージを記載します。

「人生はお一人様一度限り。何が正解か、答えは一つじゃない。反対されたら、何故なのかを問うてみる。決めるのは自分、後悔しないように歩むのも自分。思ったようにならないかもしれない、誰かと衝突したり、別れも経験するかもしれない。失敗や挫折は宝にもできる。そこから学んで、次に生かしていけばいい。やらずに後悔するよりも、やってみてから判断する。やってみた上で、時に諦めて後戻りしたり次に進む事は失敗ではない。選択し、納得して、人生を動かしていく。Be an architect of your life(自分の人生の設計者であれ). Be the change you wish to see in the world(世界の中で見たいと思う変化に自分自身がなろう).休憩もとっても大事。」

そして、6年前に亡くなった父が、私の高校卒業時に贈ってくれた祝辞の抜粋の紹介をもって、話を締めくくりました。

「今日、君が高校生活を終えて新しいスタートに立つことに、心を込めてエールを贈ります。何時までも、一緒にいたいのだけとそういう訳には行きません。これからも、自分の信念に基づいて道を切り開いていってください。父も母もそして誰も、君の人生の羅針盤にはなれないのですから。これからも、人に対する思いやり、優しさ、気配り、目配り、心配りを忘れずに、がんばってください。謙虚さ、素直な気持ち、学ぶ心を持ち続けてください。」

「そんなの無理かどうかは、やってみんとわからんよ」

在校生の皆さんにも、いろいろなことにチャレンジし、自ら道を切り開いていって欲しいなと思っています。"

ライフワークとして続けていきたい「出前授業」

振り返ると赤面したくなったり忘れてしまいたいような自分の失敗や挫折を誰かの役立てられるかもしれない、というのはなんだか救われるような思いがするものです。そんな機会を許してくれる「出前授業」、今後もライフワークとして続けていきたいなと思っています。

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