人口1万人未満の市町村が4割以上になる未来に向けて、地方が考えるべきこと
先月、東京の人口が1400万人を突破! というニュースが出たかと思ったら、一か月もたたないうとに1400万人を割り込んで、6/1現在の東京人口は、新型コロナウイルスの影響もあり、一転転出超過となったらしいです。
とはいえ、転出超過(人口減)は、たったの3000人程度で、母数1400万人からしたら誤差のようなものに過ぎません。
あわせて、記事では、今後は、東京の人口増加をメインで牽引してきた若者人口の全国的な減少により、東京も人口は減少方向へシフトするだろうというものです。
長期的にみれば、いずれにしても日本の人口は今の半分の6000万人くらいにまで減少するので、相対的に東京の人口も減るでしょう。それには異論はありません。
しかし、以下の部分は唐突で、明らかに課題の抽出違いなのでは?と解釈せざるを得ません。
東京の19年の合計特殊出生率(1人の女性が一生のあいだに産む子どもの数)は1.15と全国最低だ。出生率向上という根本的な少子化対策に取り組むとともに、人口減少社会を見据えた戦略が欠かせない。
東京の合計特殊出生率が全国最下位なのはその通りです。記事の主旨は、「東京も人口減少に転じるのだから、出生率をあげる努力をしなければいけない」的な話だと思うのですが、それはちょっと事実とは違います。
合計特殊出生率全国最低というのは事実ですが、その事実だけがひとり歩きしてしまったがために、東京は「子を産めない・子育てに適さない」という間違った印象を多くの人に与えたことも否定できません。
断言しておきますが、東京の出生が少ないというのは大間違いです。
そもそも合計特殊出生率という指標に問題があります。あれは、未婚者も含む15-49歳女性の出生率を表します。つまり、若い未婚女性の人口比率が増えれば増えるほど、この合計特殊出生率は低くなって当然なのです。むしろ、日本の出生数は、東京のお母さんたちの出産によって支えられているともいえるのです。人口比よりもはるかに多く、東京は子どもを産んでいます。
そうした「なぜか報道されない」「誰にとって隠したがる事実なのかわからない」ファクトを書いた記事が、東洋経済オンライン「ソロモンの時代」にて、奇しくも日経記事と同じ日で公開されているので、ふたつ記事を見比べて考えるのもおもしろいと思います(おかげさまでたくさん読まれています)。
ちなみに、記事にも書きましたが、全国から若者が東京に来るのは、第一に仕事を求めてであり、第二は人との出会いを求めてです。東京の人口千対婚姻率が全国1位だし、2000年以降ずっと1位をキープし続けています。この事実も知らない人も多いのではないでしょうか?
仕事があり、出会いがあり、恋愛ができ、結婚ができる。だから若者は東京に来るし、東京に来ないまでも、大阪・愛知・福岡などの大都市に集中するのです。※沖縄の婚姻率が高いのはまた別の理由。
裏を返せば、若者の転出超過になっている地方の町というのは、「仕事がない→若者が出ていく→若者が同年代のつながりがない→若者の孤立・退屈→地方を出る」という悪循環に陥ることを示唆します。事実、地方はそうなっていますね。
もうひとつ、若者が上京する隠れた理由があります。
それは、若者の「再生欲求」です。地方から上京し、自分のことを誰も知らないところに身を置くことは、ある意味では、今までの過去の自分との決別が環境としてお膳立てされるということです。今までの失敗続きの過去の自分でさえリセットできるのです。たいした過去がなくても盛ることもできます。誰も本当の過去を知らないのだから、それは自分以外の他人にとって嘘でもない。
いわゆる「東京デビュー」という形で、自己再生ができる。それもまた東京に出ていく大きな動機のひとつです。
そういう意味で、東京は未婚や独身者にとっても、新しい自分を出生させている場なのだと思います。
地方創生だとか、コロナを機会に地方移住だとか、そりゃそういうコンサル業をやって自治体から報酬を頂いているコンサルタントは言うでしょう。それがお仕事だから。だけど、客観的に見れば、そうしたコンサルに払ったフィーは申し訳ないが、ドブに捨てるようなものと一緒です。その金があるなら、地方の自治体は別の部分に注力すべきだと思います。
やるべきは、地方に人を呼び戻すことではない。再生でもない。
もう地方の人口は絶対に増えないという厳しい現実を直視して、かつての人口増加時代に拡散しすぎた地方の人口配置を適切な状態に、再構築(リストラ)することです。
社人研推計によれば、2045年に人口1万人未満になってしまう市町村は全国レベルで4割に達します。各エリア別に見れば以下の通りです。
北海道は市町村の8割が1万人未満に、東北も半分以上がそうなります。伸び率では、茨城・栃木・群馬の北関東の1万人未満町は2015年の2.2倍になります。どうあがいても、こうなるのです。
地元の有権者に慮る政治家が、「もう地方は終わりだ」とは口が裂けても言えないのはわかりますが、なんでマスコミとかも口裏合わせたように、できもしない「地方創生」とか「出生率1.8」とか「婚姻数増」とか言うんだろう?隠したところでいずれわかる現実でしかないのに。
現在、河川の氾濫や土砂崩れで被害にあわれている方が大勢います。そもそも、そうした場所に家を建てざるを得なかったのも、人口増加の時代の弊害です。しかし、人口が減るのであれば、わざわざ水没するようなエリアにわざわざ一軒家を作る必要もないわけで、土砂崩れしてしまう崖下に家を作る必要もないわけで、さらには、食品スーパーまで車で1時間もかかるような場所で不便を感じながら暮らす必要も、もはや本当はないのです。
もちろん心情的に先祖とともに暮らした家で最期を迎えたいという高齢者もいるでしょう。
それはそれとして、地方が今後考えるべきは、今ある市町村全部を活かすことではなく(それは不可能)、町単位や町同士の協力によって居住エリアの再構築と生活利便性の確保だと思います。
町の終活とはそういうこです。決して、ひとりひとり順番に消えて行って、最後に残った一人が寂しく死んでいくのを、手をこまねいて放置することではないと思います。
町が消滅することより、それ以前に、人とつながりながら生きるという人間の生活そのものが先に消えてしまうことの方が問題です。町の終活とは町を見捨てることではない。見るべき、ケアすべきは、町ではなくそこで暮らす人間ではないか。
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