ヤンキーとギャルの情緒的知性の偏差値は高い
日本を救うのはヤンキーとギャルかもしれん。 少なくとも意識だけ高い系コンサル男や承認欲求だけ強いキラキラ女子ではないと思う。
そら東京の大企業のホワイトカラー勤務は給料もいいんだろうけど、圧倒的に太刀打ちできない能力がヤンキーとギャルにはあると思う。
毎度、ド派手な成人式で有名な北九州。今年の成人式も相変わらず元気一杯だが。東京のメディアは彼らをある種の奇人変人扱いで揶揄するが、一体彼らの何を知っているというのだろう。
この記事で紹介されている子だが、高校は中退してしまったらしいが、資格を取り電気工事士として働いている。衣装代50万は自分で働いてコツコツ貯めて準備した。ちゃんと経済的に自立しているのだ。
実に前向きで底抜けに明るい。ま、だからこそ真っ赤な衣装を身にまとえるという話もあるが。
心から応援したい。そして、多分ここで言ったことをすべて実現していくのだろう。
日本にはこの九州男児の明るい心意気が必要なのかもしれない。
とかくリスクだの失敗ばかりを考えて何も行動できなくなっている若者は多い。もちろん、それは行動ができる心の余裕なり経済的な余裕がないこともある。が、この子と違い、たとえば都会の大学に行って、知識や知恵は身に付いたものの社会に出て使い物にならないのもいる。
正確にいえば、「問題を出されれば解答は出せる」が、誰からも問題を提示されないと何もできないタイプに往々にしてなる。
社会に出てチカラを発揮するのは「出された問題を解くチカラ」ではない。だからって、若いうちから「問題や課題そのものを自ら見つけ出すチカラ」が重要なのではない。
「問題を出されれば解答は出せる」タイプにまず足りないのは柔軟性。社会での仕事は、いろいろな要素が錯綜し、決して試験問題のような「正しい解答」も「正しい解き方」もあるわけではない。そもそも「正しい問題」すらない。
しかし「問題を出されれば解答は出せる」タイプは、そういう不測の事態や理不尽な変化が起きると「それって問題が悪いですよね」とか言ってしまう。
そういうタイプはコミュ力もない。しゃべりがうまくてもそれはコミュ力ではない。自分の筋書きを上手にプレゼンする力はあっても不意の質問には対応できない。そもそも相手のいう事をちゃんと理解しようという能力が無い。流暢に話すチカラはコミュ力ではない。
そして、このコミュ力も学校の勉強では教えてくれないし、座学では身につかない。どれだけ多くの人とからんで、会話をしたかという経験でしか身につかない。
さらに、決定的に足りないのが情緒的知性である(感情的知性ともいう)。
情緒的知性とは、自分の感情と他人の感情を理解し、適切に管理処理する能力。正しいとか正しくないとかじゃない。人間には感情がある。その都度の出てくる感情を的確に把握して、適切な対応を取れるということだ。これは仕事においては、社内のチーム内の人間関係や社外の顧客対応にもっとも必要なチカラ。
お勉強ができて、知識はたくさん持っていていも、この情緒的知性がない者はChatGPTのようなつまらない正論ばかり言ってうざがられるだけで、どんな仕事であっても使い物にならない。仕事とは人とするものだからだ。
反対に、この北九州の子をはじめ地方のヤンキーもギャルもこの情緒的知性の偏差値は抜群に高いことだろう。
そこには絶対的正解など存在しないし、必要もされていない。
たとえば、地方のヤンキーやギャルなら、友達が困っていたり、悩んでいたりした場合、まず話を聞く。話を聞いただけでかなり解決する問題もあるが、とても自分の手に負えないことなら別の友達に声をかける。その友達もわからなければまた別の友達に…と拡散される。
ある意味、これは地方だとすぐ周りの全員に伝わってしまうという弊害でもあるのだが、それによって、見ず知らずの年齢も違う誰かか手を差し伸べてくれる場合がある(その人も知ってしまった以上助けないと、「あいつは冷たい奴だ」と言われてしまうので)。
これは本人が解決策を知らなくても、その関係性の接続によって解決策を知る誰かまで到達させるチカラでもある。
多かれ少なかれ、うまくいく仕事ほど、自分が行き詰っても誰かのサポートで道が開ける場合が多い。そういう不思議な縁のチカラがあるのだろう。
同様に恋愛相手や結婚相手もこうした人とのつながりで縁が作られる場合が多い。だから、ヤンキーもギャルもなんだかんだ経済的にも自立してるし、未婚率も低いのだろう。
だとすると、婚姻減などを解決するにはこの情緒的知性をあげていけばいいのではないかとも思うのである。結婚も人のつながりの縁だから。
正解など知らなくていい。自分ひとりで考えなくていい。一緒にわからないならわからないままに動こうぜという行動力なのである。動いているうちに、「なんか」と出会う。
必ずしもそもそもの課題を解決する「なんか」じゃない場合もあるが、それと出会ったことで「悩んでいたことがどうでもよくなる」こともある。