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先着者が独り占めする時代ではない

ウサギとカメがいた。ウサギから「足が遅い」とバカにされたカメが、山のふもとまでのかけっこの勝負を挑んだ。ウサギはスタートダッシュし、全力疾走。カメをぐんぐんひきはなし、もうこれくらい離したら大丈夫だろう、ちょっとだけ休もうと思ったら、うっかり寝てしまった。ハッと、ウサギが目を覚ましたら、カメは山のふもとで大喜び…。

この「ウサギとカメ」のイソップ寓話を知らない人はいないだろう。“コツコツと努力すれば、力のある人にでも勝てる” “柔よく剛を制す” “慢心してはいけない” “油断大敵” など、子どもたちは教えられた。私もカメのように、地道に一歩づつ努力していこうと、子ども心に思った。またビジネス的解釈として、“ウサギはライバルのカメしか見ていなかったから負けたのだ”とか、“カメはライバルではなく、目標であるゴールを見定めたから勝てた” とか、“カメは創意工夫をして不利な状況の相手に打ち勝った”とか、読む人や立場によって、この寓話の解釈が変わる。

最近、気になるのは、ゴールの山のふもとに先に着いたカメが、遅れてきたウサギに、どう声をかけたのかということ。

動物の世界では、「獲物」を独り占めする。先に手に入れた獲物はすべて自分たちのものにする。自分たちの獲物を横どりしようとするものは、攻撃の対象。先着者は自分が手に入れた利益を損なうものに対して、徹底して抵抗する。それは人間の世界も変わらない。運動会、体育館、劇場、フードコート、電車の席取り合戦の姿は浅ましい。席取り合戦のすえ、先にたどり着いた人が良い席を独占して、後から来た人に席を譲らない。かつてのように、譲りあい、分かち合う姿を見なくなった。組織のなかでも、そう。先に手に入れた人がその地位、立場を必死に守ろうとする。後から来た人と、分けあったり、譲りあうということをしない。この「先着者の独占」をいたるところで、見かけるようになった。

日本の歴史を紐解くと、改新とか幕府とか維新とか革命や変革といった「社会刷新」が幾度もおこなわれた。改革にあたっての排除の基準は、「その人の考え方が古い、やり方が古い」であり、この排除の論理を振りかざして、新しい社会につくりかえた。しかし歴史は繰り返す。社会を変え、新しい時代をつくった若者たちも必ず年齢をとる。そこで「保存の法則」が働き、「先着者」は自らが獲得した利益を維持しようとするので、社会は硬直化する。しかしいつまでもその社会は続かない。必ず社会は刷新される。

では、この「先着者有利」が成立していた背景はなにか。かつては「年配者を敬う」という社会的規範が社会活動、産業活動の土壌にあって、“年配者を追いやる”ということは許容しなかった。その社会的合意だった「年上だから敬う」というプロトコールが理解されなくなってきた。それはなぜか。近年、年齢を重ねた人たちの恥ずかしい事件が頻発に起こっている。そんな親世代が説教を垂れても、説得力がない。子ども世代は、“何をいっているのだ”と従わなくなった。

平成時代の飛躍的な技術進歩に伴い、新たな働き方に向けたプラットフォームが登場した。しかしITを活かした新たな仕事の方法論が理解できない人が組織のなかで主導権を握っていると、せっかく新たなものをうみだせるプラットフォームを導入してもイノベーティブな仕組みは機能しない。まさに「仏作って魂入れず」。日本は30年前からパソコンを使った仕事の方法論の学び直しとか、人材の適正配置をしないといけないと議論してばかりしているうちに、パソコンがいらない次のステップの社会となった。そもそもの根底が変わってしまった。

電子マネーや電子決済でキャッシュレス社会が普通になっている国や都市が世界で増えているのに対して、日本ではキャッシュカードで現金を引きだし現金で払う人が依然多い。すでにキャッシュレス社会となっている世界最速で成長しているといわれる中国深圳を歩くと、若者が圧倒的主役に見える。日本となにがちがうのか。

「イノベーションを語る」経営者の組織では、イノベーションは起きにくい。高齢の経営者が何か新しいことをしようとして、それを「イノベーション」と標榜するならば、経営者がそれまで自分が取り組んできたこと、守ってきたことを捨てなければ、イノベーションは起きない。その捨てる覚悟が必要だから、高齢の経営者のいる組織ではイノベーションは起きにくい。

まちづくりもそう。自治体が自らの都市、地域を魅力的なものにしようとまちづくりの検討会をたちあげるが、その検討会の委員はその道一筋の専門家の高齢者を主体に構成されていることが多い。「先着者」がずっと委員会を独占する。しかし現実の都市のなかでは、新たな、多種多様な、独創的な動きが刻々と、続々とうまれる。その動きに、 「先着」の委員たちはついていけない、その文脈が理解できない。若者や専門外の人を委員会に加え、多様な委員会構成に変えることで、新しく魅力的な都市づくりに近づけるはずだが、多くの自治体はそうしない。なぜなら突拍子もないアイデアがでてきたら困るから。それがイノベーションなのに。

概念とか観念とか価値観は一定ではない。刻々と変わる。一方、人はなかなか変われない。人が変われない最大の理由はイナーシア、「慣性」。この慣性の本質は、先着者が自らの利益を保存しよう、守ろうとすることにある。先着者が独り占めしている時代ではない。世界の時代速度に、日本はついていけていない。


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池永寛明(大阪ガス エネルギー・文化研究所)

過去と現在・未来をつなぎ、内と外をつなぎ、多層的な情報を編集・翻訳し、中長期ならびに技術と社会をつなぐ文化の方法論から、生活・社会・経済の今とこれからのあり姿を考え、発信していきます http://www.og-cel.jp/

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コメント1件

確かに若い世代にとっては、うっとしいこと限りない人達がいますが(おそらく、私もそうかもしれません。)一方で、その世代を吹っ飛ばすほどのパワーはなく、既存の自治体や企業がくだらないなら、自ら会社を興し、海外に行き、戦場を切り開く度胸もなく、ふたことめには、”私たちの世代は”と世代論をふりまく人たちには何も期待できません。既得権を守り抜く人たち、世代に甘え愚痴る人たち、その外から、イノベーションが生まれること期待しています。
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