「謎マナー」問題を考える 〜「マナー」と「同調圧力」
どうも僕です。今日は「マナーと同調圧力」について最近思っていることを書きます。
昨日、Twitterで平野啓一郎さんがこんなツイートをされていました。
朝日新聞デジタルのこちらの記事↓を引用したコメントです。
(この記事は有料記事なので僕自身は全文を読んでいないのですが)「平野啓一郎さんのコメント」の中に注目したいポイントがいくつかあったのでそ子に注目して書いてみます。
「ルール≠マナー」の「謎マナー」
平野啓一郎さんはツイートで飛行機の着陸時に「携帯は使ってもいいけど、通話は他の人の迷惑になるから控えてね」というアナウンスが「謎マナー」だと指摘しています。また、エスカレーターの「謎マナー」にも言及されています。
興味深いのは、これらのケースでは「ルール」と「マナー」が実は食い違っているということです。僕たちはなんとなく「ルール」と「マナー」はほぼ同義、もしくは少なくとも同じ方向性を持つものとして使っていますが、それが破綻しているのです。
たとえば、飛行機内での携帯電話の使用禁止は、ある程度「ルール」です。
航空法施行規則第164条によれば、飛行機の安全な運航に支障を及ぼす行為は「安全阻害行為」として禁止されています。携帯やスマホなどの電子機器を、正当な理由なく飛行機外の通信設備に無線通信を行うことは、計器類などに影響を及ぼす恐れがあることから(これも科学的な根拠としては若干曖昧ですが)、一般に「安全阻害行為」に当たる、と解釈されているようです。なので少なくとも離発着時にスマホを使うことは「ルール上」禁止だったのですが、実はこの2024年の9月1日から制限が緩和され、機内モードならいつ使ってもいい、ということになったようです。
平野さんの指摘している点はスマホでの「通話」ですが、これもよく考えると「ルール」上はOKなわけです(「機内モード」でさえあればいいなら、仮に離発着時に機内wifiでIP通話をしたとしても「ルール」違反ではありません)。
つまりルールではOKなのにマナーとしてダメ!という「謎マナー」であり、ルールとマナーが乖離している例なのです。
エスカレーターのケースはさらにラディカルです。エスカレーターで歩くことは危険行為として基本的には禁止されており、名古屋市のように条例になっているところすらあります。↓
みなさんも多くのエスカレーターで「歩行せず立ち止まってください」とか「片側を空けず両側に立ってください」というアナウンスを耳にしたり、ポスターを目にしたことがあるのではないでしょうか。
「歩行せず立ち止まって」利用するべきなのに片側を「歩行」者のために空けておく、というマナーはルールに反しています。自ら違反していないとしても、「歩行」を推奨ないし許容しているわけで、いわば「違反の幇助」に当たるかもしれません。
「ルール」と「マナー」が一致しないどころか、むしろ「マナー」が「ルール」に反してしまっている。まさにエスカレーターは「謎マナー」です。
エスカレーターのマナー、どう変える?
ところで、僕は数ヶ月前からちょうど、「エスカレーターでどうすればみんな両側に立って使うようになるか」というひとり実験をしていました。
なんでそんなことをしているかというと、起業家として事業を興したりダイバーシティについて色々行動し思考する中で、イノベーションや社会変革が保守的な「慣習」によって阻害されていることを痛感したからなのですね。
こうした「慣習」は実は科学的な根拠がなかったり、むしろデメリットが多かったりします。技術のせいとかではなく、デメリットや変えるべき理由がわかっていても変えられない、「現状維持バイアス」や思考停止こそが阻害要因になっているケースがものすごく多い。
エスカレーターはその最たる例です。上記のように「片側空け」は危険行為である歩行を幇助する、という問題もありますし、一列だけだと輸送効率としても落ちるという検証もあります。(ちなみに、片側への偏荷重が機器に悪影響を与えるのもあるかと思っていたのですがそれは影響ないそうです)
いずれにしてもエスカレーターで片側を空けることに合理性はないわけで、それをわかっていたり呼びかけられても行動が変わらない。めちゃくちゃ身近な日常にすら変革できないことはたくさんある。まずこういう日常のことから変えていけるようになにか工夫できないか、と思ってひとり実験を始めたわけです。
エスカレーターで右側ががら空きの時、一人だけ右側に立っているとめちゃくちゃ文句言われますよね。後ろからくる急いでいる人たちにとって、その一人がいなければ通れるわけで、すごく邪魔です。でも一方で空港などで両側がある程度埋まっている場合には、それを受け入れてみんなあまり文句を言いません。
なのでそれを変えるには二つくらいポイントがあるかなと思いました。
一つはエスカレーターの中盤以降から埋めていくこと。なぜかというと、エスカレーターの入口付近で立ち止まると前が全部空いている状態になるため、「入口を一人が塞いでいるために空白部分を使えなくしている」という感じがある。でも中盤以降で止まる場合、後ろから来た人は「空白なのに止まって待たなきゃいけない距離」が短くなるため、許容しやすくなるでしょう。そうして何人かが詰まってしまえば、みんな受け入れるわけです。
そしてもう一つは一列から二列にすることです。これも自分が一定進んでからの方が効果的ですが、ある時点で右手に出て一列を二列にしていく。イベント会場等で待機人数が増えてきた時、1列だと行列が長くなるので2列や3列にすることがありますが、そんな感じです。こうするとむしろ「みんな早く進んでいるような感じ」が出るわけです。
もちろんみんなが乗り継ぎを急ぐ駅など、上手くいかないケースもあるかもしれませんし、後ろに並んだ人には「なんだこいつ、マナー知らんのか」と不満を持たれるかもしれません。
しかし慣習だからと思考停止せず、身近なことから変えてみる意識を持つ、ということはすごく大事な気がするのです。(他にエスカレーターの片側問題解決案が思いついた方はぜひおしえてください…!)
外国人はなぜいいの?「同調圧力」
エスカレーターに限らず、何か変化を起こそうとする時、他のみんなが同じ行動を取っているのにひとりだけちがう行動をすると「邪魔をしてる」ように感じられることってありますよね。
つまりこれは「同調圧力」の問題です。
僕がやっているエスカーレーター問題の解決法も、一人だけだと「邪魔」になってしまいます。なので、なるべくクイックに他の人も巻き込んで集団を作ることが大事だと思っています。「片側を空ける」という既存の集団の「同調圧力」に対し別の集団をつくることで、「もう一つの同調圧力」をつくり対抗するわけですね。
毒を持って毒を制す、みたいな。
なのですがもう一つ平野啓一郎さんが指摘していることに、「同調圧力」と表裏一体の現象として「外国人がマナー違反していても、誰も注意しない」というやつがあります。体が大きいから怖い、とか言葉が通じないんだもん、などの「言い訳」で、外国人は注意をされないことが多いですよね。なのに日本人同士だと同じ行動を取るべき、という圧力がとても強く働く。
これは外国人への配慮というわけでもありません。単に見た目で判断しているだけです。僕の友人にも、日本人と見た目は変わらないけど外国籍の人や、逆に外国人っぽく見えるけど日本で生まれ育った人がいますが、そういう人にちゃんと配慮がされるわけではありません。見た目で反応を変えるのってシンプルに差別ですよね?
日本人同士だと「言わなくても分かるだろう」という気持ちが強くなり、意見の違いが許せなくなることがあります。だからマナーも「みんなと同じようにしろ」と当然に要求してしまう。逆に遠い存在だと意見が違ってもそれほど気になりません。
近い人・似た人であっても、少し距離を置いて「外国人のように」ちがうと考えるともう少し寛容になれるんじゃないかと思うことがあります。見た目が似ていても本当は日本に住んで間もないかもしれないし、病気や障害や色々な事情を抱えているかもしれない。同じように見えてるけど自分とは「ちがう」のかも、と「ちがい」に対して想像力を働かせることが大事なのではないでしょうか。
マナーは人のためならず
僕が嫌だなと思うのは、同調圧力による過剰なマナーの押しつけです。
そもそも上記のように、本当は文化的背景が違うかもしれない相手に当然のように自分のマナーを求めるのは間違っていると思うんですよね。日本は島国で他の国以上に単一民族・単一国籍・単一国家で、つい同調圧力が強くなりすぎるきらいがあるので、他者に当然に同じマナーを求めない、というのは強めに心がけておいた方がいいと思っています。
僕はそもそも、マナーというのは本来、自分が心がける、自分のためのものだと考えています。それはあくまで自分が周囲の人と気持ちよく過ごすための潤滑油であって、それを超えて他者に求めるものではないんではないでしょうか。
マナーを他者に強要するのは、マナーの使い方としてそれこそ「マナー違反」なんじゃないだろうか。
マナーを他者に強要するのではなく、一人ひとりが自らを律するものとして心がける。その上で、そのマナーがいいと周りの人も思えば、真似し合って自然と広がっていくでしょう。それこそが「マナーを通じて社会がつながる」というマナーの本来の機能なのではないでしょうか。
日々そんなマナーを心がけたいものです。