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「貯蓄が正義」に拍車をかける2度目の緊急事態宣言~日本化の源泉を考える~

延長・拡大は必至の緊急事態宣言

1月2日、小池百合子東京都知事を筆頭とする1都3県の知事が政府に緊急事態宣言の再発出を要請したことに伴い、政府はこれを前向きに検討、7日付で再発出に踏み切りました。

事前報道では政府・与党は再発出に否定的であり、仮に踏み切るにしても18日召集の通常国会で特措法改正案を取りまとめるのが優先だと言われていました。改正案をもって、休業・時短要請に応じない事業者への罰則規定を設け、感染症対策の実効性を担保することが優先という主張は論理的にも納得感があるものでした。

しかし、知事達が独自に時短要請に踏み切り、またその傍らで菅義偉内閣の支持率低迷が報じられる中、抗しきれずに再発出に至ったというのが事の顛末でしょうか。再発出を拒み続けても、知事達は執拗に要請を続け、それが支持率を下押しする展開が目に見えていたので、宣言の要請をされた時点でもう勝負を決まっていたとも言えます。

話はこれで終わらないでしょう。これまでのパターンに照らせば、恐らく1都3県に限らず、他の府県も緊急事態宣言を要請してくるはずです。というか、この原稿を書いている最中に既に複数の知事がそう動き始めています。こうした要請を拒否し続ければ支持率に響くでしょうから、恐らく矢継ぎ早に宣言対象を広げる中で早晩、「宣言、全国一律へ」という流れになるでしょう。期間も2月7日までで終わるとは思えず、延長含みのはずです。暗く、長い制限期間は最低2か月は続きそうです。

企業・家計が抱く猜疑心

2度目の緊急事態宣言の発出という今回の決断は、日本経済に禍根を残すように思われます。昨年4~6月期の緊急事態宣言時にも様々な賛否はありましたが、未知なるショックに対しては致し方ない面もありました。しかし、その後に感染が小康状態に入った夏および秋は「冬になったら感染者は増えるので、それに耐え得る医療体制作り(医療資源の最適配分)を急ぐ」という話でした。少なくとも多くの人はそう思って過ごしていたはずです。

そもそも冬場に感染者数が新しい波を迎えるという展開は既定路線であり、そうした試練を「新しい生活様式」で乗り切るというのがウィズコロナ時代の新常態だと専門家会議も提起していました。率直に、私は単なる感染症対策を生活様式と表現するのは大袈裟だと思います。ですが、そう言われた以上、多くのサービス事業者はコストを払っても地道な感染症対策を行い、営業を展開してきたように見受けられます。

そのようにして頑張った結果が「感染者(厳密には検査陽性者)が増えたので店を閉めろ」という施策や2度目の緊急事態宣言の発出であるとすれば、民間部門(家計+企業)に強い猜疑心を植え付ける恐れはないでしょうか

企業業績へのダメ押し、冷え込む消費者心理

財務省「法人企業統計」で判明している企業業績の動向に目をやると昨年4~6月期の大崩れから7~9月期は復調傾向が鮮明でした。もちろん、前年比マイナスである状況は変わらず、感染者の増加ペースが速くなり始めた10~12月期は再び失速しているはずです。期間中の大半が緊急事態宣言に相当する今年1~3月期はこれにとどめを刺す格好になるでしょう。

もちろん、今回は時短営業が可能な点で前回宣言時とは異なります。しかし、「20時閉店」という制限は人件費を筆頭とする営業コストを踏まえれば、「やらない方がまし」という判断もあり得るほど厳しいものに見えます。そもそも時短営業措置は店内の人口密度を上げるだけで逆効果という真っ当な指摘もあったはずですが、それも考慮された様子はありません。なぜでしょうか。

消費者心理にも不味い兆しがあります。1月6日、内閣府より発表された12月消費動向調査は、消費者態度指数(2人以上の世帯・季節調整値)が前月比▲1.9%ポイントの31.8%となり4か月ぶりに前月を下回りました。2度目の緊急事態宣言を受け、恐怖心を煽る偏向報道は一段と強まるのは目に見えていますから1月、2月は間違いなくさらに悪化するでしょう。結局、消費者心理はコロナ以前の水準に到達せずに2番底を探りそうです。当然、個人消費は出なくなります。「報道不況」という観念もメディアの方々には知ってもらいたいと思います

かかる状況下、日本全体で見れば病床が空いていても医療崩壊という言葉は毎日飛び交っています。それは何故なのか。解決できない理由には何があって、どうすれば解決できるのか。その辺りの説明が尽くされていないゆえの禍根はどうしても残ってしまうように思います。

強まる「貯蓄が正義」という観念

禍根とは言い換えれば不信です。為政者の政策対応への不信は景気の先行き不透明感と直結してきます。先行き不透明感が強くなれば家計や企業の抱く消費・投資意欲は低下します。GDPの需要項目で言えば、個人消費、住宅投資、設備投資などが減少する話になります。これを平たく言えば、「不安だからお金を使わない」という判断が家計や企業にとって合理的なものと見なされやすくなるということです。実際、あの米国でも貯蓄率が歴史的高水準で高止まりしています。

長年、日本の企業部門の内部留保が多過ぎると揶揄されてきましたが、今回のショックではそれが緩衝材となり大惨事に至らなかったというのは事実です。そうした「不幸中の幸い」とも言える「意図しないサクセスストーリー」があったところへ、さしたる判断基準もなく政治的駆け引きの中で私権制限が決定されるとすると、家計・企業部門の消費・投資意欲は中長期的に一段と抑制される懸念がないでしょうか

そうした「民間部門の貯蓄過剰」の傾向こそが物価や金利が低位安定する真因であり、世界的に進む日本化の震源なのだと私は思います。

「失われた20年」の構図が極端な形で再現される

図表は2020年7~9月期までの日本の貯蓄・投資(IS)バランスを見たものです。厳格な経済活動制限を経て、家計部門の貯蓄過剰は急増し、企業部門では貯蓄過剰状態が横ばいとなっています:

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企業部門の貯蓄過剰が極端に増えていないのは、売上が立たない中でコストが嵩んでいるため営業余剰(要は利益)が増えないからでしょう。いずれにせよ家計、企業を合計した民間部門全体では貯蓄過剰が急増しています。

この貯蓄過剰を、政府部門が貯蓄不足になることで何とかカバーしているというのが今の日本経済の姿なのです。大きな貯蓄(供給)を掃くための借入(需要)が存在しないので、お金の値段である「金利」は必然的に上がらないわけです。日本経済は「失われた30年」を通じてそのような姿が続いてきたわけですが、現状ほど極端な姿になったことはありません。もちろん、2020年に出現した極端な姿は経済活動制限という特殊な政策の結果であり、永続性を期待するものではないと思ってはいました。

しかし、今後も断続的に緊急事態制限やこれに類する措置が打たれるのだとすると、図表に示す「ワニの口」のように開いた「民間部門の超・貯蓄過剰と政府部門の超・貯蓄不足」という構図が常態化するのではないかという怖さがあります。それは「失われた40年」に繋がりかねない構造変化です。ちなみにこうしたISバランスの姿は程度の差こそあれ、欧米も同じ様相を呈しています。

こうした世界では賃金はもちろん、物価や金利も上がりようがなく、ひたすら拡張財政とそれを支える金融緩和を頼りに経済活動を営む低体温の経済が展開されることになります。

2回目の緊急事態宣言を受けて、「貯蓄という正義」という観念は一層強まるでしょう。少なくとも2021年に到来する「次の冬」を無事に越せるまでは、そう考える家計、企業は多いはずです。

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