今日は大晦日です。
一年を振り返るとともに、来年を展望する日だと思います。
その意味でも、年末年始に占いやおみくじを試される方は多いと思います。
しかし現代では、占いというのは、非科学的な迷信と思われています。
私も以前はそう思っていました。
ところが、ある視点から占いを捉え直すと、占いには科学的な根拠があると考えるようになりました。
遂にスピリチャルや神秘思想にはまってしまったか、と思った人がいるかもしれません。残念ながら、そうではありません。
古くから時代を超えて広く信じられてきたことが、近代には一旦迷信とととらえられるようになったにも関わらず、再度新たな視点から見ると、科学的な根拠があった、という事例はこれまでもいろいろとあります。
「マインドフルネス」がその例として挙げられます。もともとは、仏教、特に座禅がマインドフルネスのルーツです。広く瞑想という意味では、仏教に限らず、キリスト教やイスラム教などの幅広い宗教や文化の中で実践されてきました。
座禅は、一旦は宗教を信じる人が少なくなったこともあり、実践する人が少なくなっていました。ところが、これが宗教とは切り離され、今では、脳科学や心理学の研究やデータによって効果が検証され、さらに学会でも多くのセッションが設定されるようなテーマになっており、広く一般にも実践されるようになりました。
占いも同様に、単なる非科学的な迷信ではないと、ある時、私は考えはじめたのです。
迷信としての占い
占いには、明らかに迷信と思われるところがあります。
それは、未来を予測できると主張しているところです。生まれた日や手相や星座や筮竹(易者が使う竹の棒のことです)の本数によって、その人の未来の状態、すなわち運命や宿命が予測できるというのは、あり得ないことです。
なぜなら未来は、我々の今日の行動が生み出しているものですし、しかも、そこには、予測不能な変化が常に起きます。未来を予測可能とする主張は、常に非科学的であり迷信です。
その意味で、未来の運命や宿命を予測するものとしての占いは、決して受け入れられません。
ところが、占いには、全く別の意味づけができるのです。それは、まさに未来が予測不能に変化するから必要なことなのです。
未来が、予測不能に変化することを前提にした時に、一番やってはいけないことはなんでしょうか。それは、実際にはどうなるかわからないのに、どうせうまくいかないと後ろ向きのストーリーで未来を語ることです。
この、後ろ向きなストーリーでしか語れない状態こそが、実は「不幸せ」の本質なのです。これを、現代の組織心理学/行動学では「心の資本」の低下した状態と呼びます。
未来は予測不能であるからこそ、我々は、先が見えなくても道は見つかると信じて行動を起こし、常に前向きなストーリーで現実を解釈する必要があります(これができる状態こそ「心の資本」の高い状態であり、これこそ「幸せ」の本質です)。
ここで大事なことがあります。それは、どうせうまくいかないという後ろ向きのストーリーにも、逆に、希望のある前向きなストーリーにも、どちらにせよ客観的な根拠はないことです。未来は予測不能だからです。
だからこそ、前向きなストーリーで現実を解釈することが大事なのです。それは我々の選択であり、その前向きな選択を行うスキルの問題なのです。しかも、この前向きなストーリーで現実を解釈する能力は、練習で誰でも高められることが確認されています。これがフレッド・ルーサンス教授による大量のデータによって検証されてきた理論である「心の資本」の核心です。
占いの現代的な意味
ここで、占いの本当の意味が明らかになります。占いとは
「人が前向きなストーリーで現実を解釈するためのガイド」
なのです。
実は、占いの導きは、注意深く、どんな人にも当てはまるような表現になっています。だからうさん臭いと思っている人がいたら、占いの本質を誤解しています。
どんな人にも、現実を前向きに解釈できるようなガイドになっているのです。それこそが占いの真の狙いなのです。
未来は予測不能であるが故に、未来には確たる予測も保証もありません。だからこそ、前向きなストーリーで現実の状況を解釈する力が求められるのです。それには、前向きに現実を解釈する占いのストーリーが有効なのです。
我々は、ともすれば、後ろ向きな出来事が1個でもあると、そこにとらわれ、後ろ向きなストーリーを考えがちです。それには、根拠などありません。なぜなら、どんな状況でも前向きなストーリーも後ろ向きなストーリーも常につくれるからです。
後ろ向きなストーリーが浮かぶのは、そこに、とらわれがあるからです。そのとらわれから解放されるには、前向きなガイドで現実を解釈しなおすことが大事です。それこそが占いの役割です。
これが有効であるためには、占いによって与えられたガイドを疑うことなく活用し、自らの現実を解釈することが重要です。この自分事としての解釈のために古くから行われてきた工夫こそが、占いの各種の小道具類です。手相や星座であり、筮竹や水晶玉です。
実は私は、このような新たな科学的な視点から東洋の最も古い占いの書であり、同時に哲学書でもある「易」あるいは「易経」を解釈し、それを自分の人生に10年以上に渡り活用してきました(これについては拙著『予測不能の時代』の第8章に詳述しました)。
これは私の人生を劇的に高めてくれたと思っています。
私だけではありません。私は、このような考え方に基づくアプリを開発し、実組織に用いることで、人々が前向きに(すなわち幸せに)なるのをデータで実証してきました。
古いものを単に迷信として切り捨てるのではなく、その本質を見つけることは、現代の社会が失ったものを取り戻すきっかけとなると思います。新たな年を迎えるにあたり、古きものにも新しい光を当てたいと思っています。
それではよいお年を!
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