「つまらないクルマしかつくれないようなら、ホンダなんて消えてなくなればいい」
現在、日経新聞に掲載されている「ものづくり記 最終章 ホンダ・和光研究所」という連載が面白いです。全10回でちょうど半分まできました。
ぼく自身、日本では(ホンダではない)自動車メーカーで仕事をし、イタリアに来てからも自動車分野に長くかかわってきたので、今でも、なんやかんやいってこの分野の動向が気になります。
さて、正直に言うと、ホンダのクルマ自体にはあまり興味をもってこなかったのですが、企業、特にこの連載が焦点をあてている和光研究所には多大なる関心をもっていました。実際、連載を読んでいると「ほれ!これも和光研究所発だぞ!」というネタがどんどんとでてきます。記事としては、ホンダが今年の5月、5度目のF1への挑戦を決めた決断の理由を理解するところに鍵があります。
浅木泰昭さんというエンジニアは次のように紹介されています。
ああ、こういう人いるなあ、と思わせる典型のような実績です。
そして彼の台詞がこう。
これ!これ!という感じですよね。優れたスペックかどうかではなく、おもしろいか、つまらないか、でクルマをみています。逆に、こういう点がホンダの特異性として強調されることが、日本の多くの大企業の問題なんでしょうけど。この浅木さんは80年代のF1における黄金時代を経験し、それが職業人生における自身への確信を生んだと話しています。
若い時に獲得する自信って大事です。もちろん、若い時の成功体験にしがみついて挫折するパターンもあるわけですが、浅木さんは、そうではなかった。和光研究所のエッセンスを具現化したような人物であったわけです。
本田宗一郎がペアのパートナーとしていた藤沢武夫のビジョンが、80年代に和光研究所で十分に熟成されていたことが、浅木さんの言葉の端々から窺えるのです。この彼がオデッセイの開発時、V6エンジン担当だったのに直列4気筒に変更しようと独断で画策したとあります。
いやあ、たいしたものです。これを読んでみても、やはり、スペックではなく、おもしろい、おもしろくないが基準で真正面からぶつかっていく志向がみえます。そして、結果として会社の経営に多大な貢献をしている。その浅木さんの後輩で300馬力のハイパワーエンジンを開発した武石伊久雄さんは、浅木さんを次のように評しています。
そして、このようなエピソードが個人的な次元にとどまるのではなく、開発陣の文化として定着していると説明しているのが、本田宗一郎と現場のエンジニアが対峙したシーンです。
このようなエンジンへの本気の情熱があるにも関わらずーーーではなく、本気での衝突があるからこそ、脱エンジンに向かう決意ができたのでしょう。
ホンダの面白いところは、こういう決断をしたうえで、F1へ5度目の参戦を2023年5月に決めたことです。ただ、その前に4度目のF1で苦しんでいるときの話があります。
だから、例の浅木さんが2017年、30年ぶりにF1のホンダを救ってくれないか?と打診を受けます。
さすがの浅木さんも、定年に近い年齢で泥沼のようなところに足を踏み入れたくなかったようです。部下がF1チームに異動になるとき、次のようなアドバイスをしていたくらいです。
しかし、若い時にF1の世界で鍛えてもらったのに、このままF1での後輩たちの負けを黙ってみているのが良いのか?と自問します。そこで、定年を延長してもう一度貢献することにします。ただ、負け続ける理由が分からなかった。「他のチームがズルをしているんじゃないかとさえ思った」というのです。
もちろん、浅木さん1人に頼るのではない動きもあります。
ここでレース会社のトップをつとめていた大津啓司さんは、航空機に載せるジェットエンジンの開発を担う輪嶋善彦さんに協力を求めていました。必ず壊れてしまう部品を何とかしなければならなかったとき、ジェットエンジンの担当に頼ったのです。
そして、このジェットエンジンの開発チームは、即座に問題点を見いだします。このエピソードは抜群に面白いし、いろいろなことに参考になる事例です。
こうして、F1を通じてジェットエンジンのチームのエンジニア育成が推進されると並行し、F1のチームもターボチャージャーの空力設計に関し、ジェットエンジンの開発チームがもっているノウハウなどを取り入れていきます。じょじょに目にみえるかたちで実績がでてくると、関係が悪かったマクラーレンチームの次に、19年よりレッドブルとの参戦というチャンスを掴みます。
このように上昇気流にのってきた20年9月、21年のシーズン限りでF1を撤退するとの研究所トップだった三部さんの決断を聞かされるのです。その理由は、「これからホンダはカーボンニュートラルに全力で取り組まなければならない」です。そこで、浅木さんは、F1チームの仲間たちに何と言って良いか大いに考えます。そして、最後まで闘いたいと宣言します。
最後の21年のシーズンは、開幕戦から快進撃が始まりました。そしてアブダビでの最終戦でレッドブルのフェルスタッペンがハミルトンを抜き、ドライバー部門でチャンピオンに輝いたのです。ホンダにとっても、アイルトン・セナを擁した1991年以来、30年ぶりの快挙でした。
F1は単なる金食い虫ではなく、F1の経験は量産車に生きる、というのがホンダの考え方です。本田宗一郎がエンジニアに道を譲った低公害エンジン「CVCC」も、「レースを経験してきた自分たちだからできる」とのエンジニアの強い意見があったからです。だからこそ、電動化とカーボンニュートラルをコアとするF1の世界がもつ潜在力を無視できず、常にレースの現場に身をおくことに賭けるのです。
ただし、このように「異質」を重んじ、つまらないクルマを拒否し続けることをアイデンティのベースとしてきたホンダが、現在、その姿勢に相応しいクルマを出せているか?と、この記事を書いている杉本貴司さんも問いを発しています。
以上が連載3回目までの内容で、4回目、5回目と自動運転やソニーとの提携などに展開していきます。要は、エンジニアは情熱を注ぎ込む対象がクルマそのもののおもしろさではなくなった、という見方があるようにも見えるのですが、連載の最後まで読まないと連載の意図は分かりません。
しかし、この連載を読む限り、「競合他社」と同じレベルで張り合うのは避けたい、との生理的な感性はまだ生きているようにみえます。「たまたま、今のホンダがおもしろいクルマを市場に出せていない」ことを批判するよりも、そちらの企業文化の維持に注視した方がよっぽど大切だと思います。