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日本のステークホルダーモデルの特殊性と人的資本政策との関係の捉え方

今回「#会社は誰のもの」というテーマ募集がありますので、以前書いたことがある内容に少し修正を加えて再掲したいと思います。

「シェアホルダーモデル」と「ステークホルダーモデル」

「会社はだれのものか」ということを考える時、考え方は大きく2パターンあります。

まず一つ目は「会社は株主のものである」という「シェアホルダーモデル」を前提とする考え方です。
他方で、「会社は従業員や取引先、債権者、地域住民等のステークホルダーのものである」というのが「ステークホルダーモデル」を前提とする考え方です。

日本はどちらのモデルか

さて、「会社」は誰のものか、というと、会社法の議論を無視できません。

日本はよく「ステークホルダーモデル」であるといわれますが、会社法の仕組みからいうと、日本は、法制度的には「シェアホルダーモデル」であるとされています。

では、なぜ日本はステークホルダーモデル、とりわけ従業員の利益重視であるといわれるのかというと、日本企業の経営層の選定過程と企業内組合の存在が大きいと言われています。

すなわち、日本の経営層の人材は、社内昇進で登ってきた人材です。
そうすると、日本型雇用慣行の「3種の神器」の一つといわれた企業内組合との交渉は、いわば「昔労働組合側であった今の経営層」と「今の労働組合の労働者達」の交渉であり、おおざっぱに捉えると、従業員同士の議論といえます。

しかも、この仕組みは、何ら法律的要請ではなく、慣行によって成り立っているものであり、東京大学の荒木教授は、「慣行に依存したステークホルダーモデル」と評しておられ、この点が日本の特徴だといえるでしょう。

制度的にも「ステークホルダーモデル」なのはドイツ

日本と異なり、制度的に「ステークホルダーモデル」を採用しているのは、ドイツであるとされています。
すなわち、ドイツでは、監査役会への従業員代表の参加が必要とされており、企業レベルで従業員が経営の意思決定に関与することになっています(ちなみに、監査役会の役割も日本と違っています)。
また、労働時間、休日等の労働条件を決定にするには、使用者側と従業員側の構成員で構成される事業所委員会の同意が必要とされているようであり、ここでも従業員が(経営ではないですが)労働条件の意思決定に関与することになります(事業所レベルでの従業員の参加)。

荒木教授によれば、企業レベルでの従業員の経営参加については、情報を共有し労使対立を回避するというシンボリック的な意味が強い一方で、事業所レベルでは、企業レベルでの共同決定で得られる経営情報が活かされており、この二つがセットであることに重要な意味があるようです。

両モデルの境界は曖昧になりつつある

シェアホルダーモデルの典型であるとされるアメリカでも、昨今ではステークホルダーモデルに寄ってきているという議論もあり、ばっさりと「どっちである」と決め難い議論であるようです。

日本においても、従来から「ステークホルダーモデル」と言われていますが、これには「株主軽視」という批判もあり、コーポレートガバナンスコード策定以降、(やや乱暴にいえば)株主をより重視すべしという傾向にありました。
ただ、日本もまた「やっぱりシェアホルダーも大事だよね」ということで揺り戻しがあったりでなかなか一様ではないところでしょう。

人的資本政策はどっちのモデルに親和的とも言い難い

さて、この「ステークホルダーモデル」と一見して親和性が高そうなのは、昨今の人的資本政策の流れです。

世の中で見かける解説では、「従業員の福利厚生や人的投資を厚くすることが人的資本経営なのだ」というものも見かけます。
確かに、人材版伊藤レポートとは、「組織と個人の活性化」が重要としており、個々人の能力を向上させ、その能力が十分に発揮される環境の整備も重要であるとしており、この文脈からすれば「ステークホルダーモデル」的側面もあります。

ただ、人材版伊藤レポートの策定を担当した立場からすると、そのような説明は「十分ではない」です。
人材版伊藤レポートの目的は、「経営戦略と人材戦略の連動」であり、あくまで、経営の目線からのものです。そして、経営戦略と人材戦略の連動を図り、これを「資本市場」に開示し、対話することも狙いとしています。
この観点からすると、「シェアホルダーモデル」的な側面も有しています。

こうしてみると、人的資本政策は、「ステークホルダーモデル」、「シェアホルダーモデル」の双方の視点に立ったものと言えるように思われ、必ずしも「こっちのモデルの方向性のものだ」とも言い難いでしょう。

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