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政治資金問題と半世紀前の出来事

自民党の政治資金問題が、昨年末頃から毎日ニュースに取り上げられている。

先にお断りしておくと、当然のことながら、私はこうした不透明な政治資金の流れは、その党派を問わず、良しとする立場ではない。

ただ、報道の内容や、国会での野党による与党自民党への追求には、本質をついていない違和感を感じざるを得ない。その理由は、政治資金が何に使われ、誰が手にしているのか、なぜそういう事態が起こるのか、という点について、誰も触れようとしていない、と感じるからだ。

これに関して思い出されるのは、そろそろ半世紀も前になるが、私が小学生の終わり頃に経験した出来事だ。

当時、ある片田舎の町に住んでいた私は、時折、県庁所在地にある病院に電車で通っていた。病院に行くときに向かい側に座っていた人と、偶然帰りの電車も同じになったことで、話しかけられた。その人はおそらく50代くらいの男性で、作業服を着て、仕事道具が入っていると思しき縄をかけた箱をもっていたことを印象的に覚えている。

前後の会話は忘れてしまったが、以下のところは、鮮明に覚えている。

「おじさんは工事現場で働いている。働いてお金をもらうと領収書を出すんだけど、領収書の金額どおりにはお金はもらえないんだ。書いた金額より少ないお金しか受け取れない。それ(=差額)が政治家に渡されるんだよ。」、と。

なぜその人が、年端も行かぬ、しかも見知らぬ行きずりの小学生の私にこんな話をしたのかはわからない。むしろそうだったからこそ、話しやすかったのかもしれない。もちろん、この話が本当なのか、差額があるとして、それが本当に政治家に渡ったのか、それを確かめるすべもない。

その頃に住んでいた町は、当時の有名な代議士の一人の出身選挙区で、選挙になると、地元のお年寄りが「◯◯先生の演説会で出たお弁当は、△△先生の(演説会のお弁当)より良かった」「□□先生の演説会のお弁当には、お金入りの封筒が一緒に入っていた」というような話をしていた、というのを、又聞きだったと思うのだが、聞いたように記憶していて、電車の中で出会った人の話とあわせて、子供ながらに選挙とお金の流れについて、妙に納得したのを覚えている。

もちろん、半世紀ほども前の話で、記憶もどこまで定かであるか疑わしい上に、仮にそれが定かであるとしても、裏の取れない、確証のない話に過ぎない。そして、もしもこれが当時の真実だったとしても、半世紀後の現在は、もっと日本の民主主義も成熟したものになっているのだと信じたい。

ただ、民主主義は、有権者の投票で全てが決まるのであり、票を集めたものの勝ち、という構造は、半世紀後の今も変わりがない。票集めのために手段を選ばない人もでてくるだろうし、そのために金が有効に機能する場合も少なくないのだろう。

そういう民主主義の持つ特性を思うと、単に裏金を作るプロセスだけを取りざたしている、いまの日本の報道や国会の状況は、肝心なところが抜け落ちているように思う。

そのお金は誰にどのように渡り、何のために使われたのか。仮に、直接間接に有権者に渡ったのだとしたら、受け取った有権者に問題はないのか。そうであるとすると「不都合な真実」になってしまうから、誰もがそこには触れないのかもしれない。

繰り返すが、もちろん、政治の透明性は大切なことだ。ただし、延々と、不都合な真実にふれないままに本質的ではない議論に膨大な時間を使うくらいなら、他により重要な国政の課題は山積しているのに、と思うと、なんとも残念だし、この先の日本の将来への危機感を一層持たざるを得ない。議員の報酬はじめ国会運営費用も我々の税金で賄われているのだ。

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