泳げデータの世紀:データを見て、判断する練習していますか?
このスポーツの事例、企業に置き換えてみると
この「データ世紀」の記事は、とても面白い。米大リーグの選手の契約に、データが活用されているという事例である。しかも、
「ベテラン1人より、若手数人に投資する方が合理的という経営が広がっている」
という話は、とても興味深い。
ところで、このような他の組織、他人のデータ活用の事例は、とても興味を持って読めるのだが、これを自分の組織や、自分のことに置き換えたら、大きく話は異なるのかもしれない。
会社の従業員の働き方が、すべてデータ化され、それに基づき雇用契約を行われたらどうなるだろうか。日本では、評価主義という言葉が出始めているが、その評価にはあいまいさがある。働くシーンでは、スポーツのように客観的なデータになっている数値は、とても少ない。そして、データがあったとしても、データよりも、その「人」と会話を行い、さまざまな判断をするのではないだろうか。もちろん、このことも重要だ。
データの活用は、「分析力」よりも「判断力」
この記事の中に、
アイルランド・コーク大学のタイグ・ネーグル講師は地元企業を調べて結論づけた。不正確なデータは逆に、余計なコストや意思決定の誤りにつながりかねない。
とあるが、私の経験では、多くの組織では、データを活用した意思決定が行えていないと思う。
組織の中でデータをもとに会話を行っていると、以下のような会話が続くことが良くあるのである。「データ分析を行ったサンプル数が少ないのでは?」「今回のデータ、過去と異なる気がする。取得時期を変更して、もう一度分析して欲しい」「突然データ見せられても、何が起きているのかわからない」などの会話である。
これらの会話は、もちろんデータを説明している側にも責任はある。しかし、多くの場合、データを直視せず、データに基づいた判断を先延ばしにしていることなのである。
データの世紀では、データを集めること、そしてデータを分析することは、もちろん重要である。そして、本当にデータを活用するのであれば、データや、データの分析を見て、判断することも重要なのである。
判断は、データの世紀になっても、人の仕事であり、データ分析は判断ではない。例えば、天気予報の降水確率は、データである。そして、傘を持って出かけるかは、人が行うべき判断である。降水確率が、人に傘を持っていくかを指示しているわけではないのである。
データを見て、判断する練習を
特に、経営に近い方たちは、データを見て、判断する能力が問われる。その中には、データを提示されても、考えを変えないという判断も含まれる。しかし、データを無視しているのではなく、判断をしていることが重要である。
普段から、世の中にあふれているデータを眺めて、判断する練習をするべきなのである。例えば、降水確率が何%以上なら、傘を持っていくのかという柔らかな会話を行うことからでも良い。
データの世紀、判断は人の仕事であり続ける。判断力も磨きたい。判断力を磨けば、自分たちの組織や、自分の行動も、データを活用して改善することが進んでいくだろう。