プレゼンとは、そもそも無理ゲーである。
今回の日経COMEMOとnoteの共同お題企画は #大切にしている教え とのこと。
そこで今日は僕が先輩から教わった「プレゼンの話」をしようと思う。
僕はいわゆる企画職で、17年間1つの広告会社に勤めている。
名詞の肩書きはコロコロ変わったが、「プランナー」と名乗っていた時期が最も長い気がする。
ただ初期配属はいわゆる営業で、プランナーには途中から転向した。
プランナーになるといくつかの研修を受けるのだが、その中の1つで聞いた話が、僕にとってプレゼンテーションの土台になっている。
講師の話を一言にすると「プレゼンテーションとは、そもそも無理ゲーである」という内容だった。
■日本は広義のプランナー
そもそも「プランナー」という職種ほど抽象的なものはない。
海外の広告会社と話した時、自らを「プランナー」と名乗ったら、「何のプランナーなんだ?プランナーだけじゃわからないよ」と言われたこともある。
戦略プランナーなのか、メディアプランナーなのか、キャンペーンプランナーなのか、海外ではもう少し細分化されているが、日本ではまとめて「プランナー」と呼ぶことが多い。
それ故に僕たちは広い領域で「プランすること」、つまりは「企画すること」を生業としているが、当然企画しただけでは仕事にならない。
そこには常に「プレゼンテーション(発表すること)」がセットになる。
・企画して(プランニング)
・発表して(プレゼンテーション)
・実現する(プロデュース)
この3つのスキルが広義のプランナーには必要だ。
その中でも、特に重要になるのが実現可否が決まるプレゼンテーションスキルだ。
自分が脳内で考えてきたことを「あ、これ実現できるかも」と周囲に感じてもらえないと、プランはプランのままで終わってしまう。
しかしこのプレゼンテーションがそもそも無理ゲーだと、講師は言った。
■「確らしさ」を担保する一貫性
プレゼンテーションとはアイデアを伝える行為だが、ただ伝えるだけで納得してくれる相手は少ない。
「なぜ」を問われ続けるのがプレゼンテーションだ。
なぜそのアイデアなのか?で相手が納得できなければ、
・なぜその想いに至ったのか?
・なぜその市場環境は生まれたのか?
・なぜその社会環境は生まれたのか?
・なぜその時代背景は生まれたのか?
その過程を説明し、そこに矛盾があると、アイデアの「確らしさ」にも疑義が生じてしまう。
わずか1時間足らずで(時には10分足らずで)アイデアの詳細のみならず、そこに至る時代背景まで説明し切る(可能性がある)なんて、やはり無理ゲーとしか言えない。
また、さらにこのゲームを難しくするのが情報の非対称性だ。
■伝えるのではなく、すり合わせる。
プレゼンには常に「伝える側」と「伝えられる側」が存在するわけだが、「伝えられる側」にも背景がある。
聞かされたアイデアに対して、思い浮かべる市場背景や社会背景が「伝える側」と同じとは限らない。
例えば「今の広告業界を分析したら、このアイデアに辿り着いたんです」と伝えたところで、
・伝える側が思い浮かべている「今の広告業界」
と
・伝えられる側が想起する「今の広告業界」
が同じ認識である可能性は少ない。
そこには常に情報の非対称性が存在する。
僕はプレゼンテーションには「伝える」という意識よりも「すり合わせる」という意識の方が必要だと思う。
客観的なデータが必要なのも同じ理由だ。
逆に言えば「個人的な想い」は伝えれば伝えれるほど、相手との差分が広がりやすい。
伝える側にとっては何十時間(時には何百時間)かけてきたアイデアかもしれないが、伝えられる側はそのアイデアについて1分も考えたことない。
熱量の差は、客観性に対する疑義を誘発するトリガーだ。
だからプレゼンには事前に相手のことを知ることも必要になる。
相手が市場をどう捉えているのか、社会をどう捉えているのか。
そもそもどんな価値観を持っているのか。
相手の現状認識を正確に推し測りながら、熱量も適量にコントロールしながら伝えなければいけない。
やはり無理ゲーだ。
ただ「そんな無理ゲーをやる」と強く認識して取り組むこと、工夫することがプレゼンテーションのクオリティを上げる唯一の手段でもある。
僕はそれを講師から教わった気がする。