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遺伝子以外で子どもを残す。ジーンな子どもと、ミームな子どもの話。

私も、あなたの数多くの作品の1つです。

これは「おそ松さん」「天才バカボン」などの作者として知られる漫画家、赤塚不二夫の告別式でタモリが読んだ弔辞の一説。

該当箇所は最後の7:45付近。当時、この弔辞が実は白紙だった(その場のアドリブだった)ことも話題になった。

自分の存在を「あなたの作品」と表現できるその愛と敬意に驚かされたことを、今でも覚えている。少なくとも僕は、親の葬式で「私はあなたの作品です」と言える自信はない。

実際タモリは、弔辞の中で自分と赤塚不二夫との関係を「肉親以上」と表現している。タモリにとって赤塚不二夫は「親以上」の存在だったのだろう。

そう言った意味で、赤塚不二夫はタモリという「子ども以上の存在」を残してこの世を去った。幸せだっただろう。

ここで少し考えてみたい。

子ども、という存在は「自分の存在を後世にも残す」という人間の根源的な目的によって誕生するとしたら、赤塚不二夫の場合はタモリという存在によってその目的が十二分に達成された。

自分の存在を残す、という目的に対して「遺伝子上の子ども」は選択肢の一つでしかない。

この弔辞を聞いた時、僕の考えは変わった

と、こんな話を会社の飲み会で熱弁していたら、博識な上司が言った。

「うん、それはミームのことだね」

そんな言葉は知らなかったので、帰って調べてみた。
そしてものすごく腑に落ちたので、パワポでまとめてみた。

今日はそんな話。(読了まで3分くらい)

■自分を残す遺伝子以外の存在

ミーム(meme)という言葉は、ドーキンスというイギリスの進化生物学者が1976年に提唱したもので、その後も「ミーム学」として多くの研究者がその論を進化させている。

ドーキンスは、ミームを「遺伝子以外にも存在しうる自己複製子」として提唱した。

それはつまり冒頭の話と同じで「みんな遺伝子(ジーン)上の子どもにこだわってるけど、それ以外にもあるよね?」と学術的に説いたのだ。

では、ミームとは具体的にどういったものだろう?

■進化するには、ジーンとミームが必要

ミームを語るにはまず「進化」について考える必要がある。
ドーキンスは進化生物学者なので、ミームと進化は切り離せない概念だ。

元をたどれば、人間が子どもをつくる根源的な目的は「人類が進化するため」と言える。

ドーキンスは、人類の進化には、
1.複製可能で
2.伝達され
3.まれに変異する
情報、が必要だとしている。

それはまさに生物学におけるジーン(遺伝子)を指している。

しかし裏を返せば、この3つの条件さえを満たせば、遺伝子以外でも人類を進化させる因子になる。

ドーキンスはミームを「模倣を通して、脳から脳へと伝達される文化情報の単位」としている。つまり、進化に必要な3つの条件を満たしているのだ。

例えば、音楽は楽譜やデータという形で複製可能で、それが脳によって伝達される。そしてまれに変異して、次の世代へと継承されていく。

音楽はミームを積んだ容れ物で、まさに遺伝子のような働きをしているのだ。

僕たちはジーン(遺伝子)によってのみ進化しているのではない。

人類の進化にはジーンだけでなく、ミーム(から生まれた文化)も影響する。だとしたら、僕たちもまた有形な子どもを残すことだけにこだわらず、無形の文化を残す必要もあるということだ。

子どもを残すことと、文化を残すことは同価値であるとも言えるだろう。

■どう生きるかを決めるのがミーム

心理学者のプロトキンは、ミーム学を発展させ「心のプログラム」と表現した。

ジーン(遺伝子)が身体的な特徴を決める因子であるのに対し、ミームは行動を決定する因子。つまりどう生まれるか、を決めるのがジーン。どう生きるか、を決めるのがミームということだ。

古来の言い方をすれば、生みの親がジーンで、育ての親がミームとも言える。

子どもを社会全体で育てよう、というよくある表現は後者のことを指している。良い子どもを育てるには、良いミームが必要だ。やさしいミームで育てれば、やさしい子どもになるし、逆もまた然りだろう。

■ジーンな子どもと、ミームな子ども

思えばこの十数年で、ジーン(遺伝子)を残す手法は格段に進化した。自分の存在を遺伝子で残すことに対するこだわりが、目覚ましい進化を産んだ背景だろう。

もちろん、こうした医学の発展は素晴らしいことだし、これからもジーン(遺伝子)を残す方法は増え続ければいい思う。

一方でジーン(遺伝子)な子どもに対するこだわり雰囲気はもう少し薄まってもいい気がする。薄まった方が生きやすくなる気がする。そのヒントが今日ご紹介したミームという概念だ。

冒頭のタモリで言えば、森田一義(タモリの本名)には遺伝子上の両親がいただろうが、タモリという偉大なタレントを産み育てたのは赤塚不二夫だ。

そして毎日のように「笑っていいとも!」を観て育ち、タモリの明るく前向きな知的欲求に影響を受けて、こんなnoteを書いている僕もまたタモリの子どもだ。

僕らはジーン上の子どもと同様に、ミーム上の子どもを残すことができる。

音楽や文学と言った大それたものでなくてもいい。複製可能で、脳を通じて伝達され、まれに変異するものがミームだ。

例えば、noteもミームが詰め易い容れ物の1つだろう。○○さんのnoteに影響を受けて、生き方が変わった人がいるとしたら、それはもう「○○さんの子ども」の1人になった、と捉えてもいいかもしれない。

必ずしもジーン(遺伝子)上の親や、ジーン(遺伝子)上の子どもにこだわる必要はない。

ジーン上の親とミーム上の親は一致しなくてもいい(親が全てを1人で背負わず、社会で育てればいい)し、ジーン上の子どもは残さないといけないわけではない(ミーム上の子どもだって目的は果たせる)。

そんな柔軟でやさしいミームが世界に溢れれば、僕たちはもっと進化できる気がする。


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