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出社勤務を悪にしたがる机上空論人に足りない「人間が働く」ということへの理解

テレワーク関連の商品を売り物にする会社が、自社のプロモーションのためにテレワークを啓蒙・推進するのは、まあ百歩譲って否定しないが、だからといって「テレワークもできない会社は時代遅れ・そんな上司は無能」呼ばわりまでするのは違うだろとは思うし、それぞれの会社にも事情があることを無視して、出社勤務の会社を非難するのはお門違い。あまつさえ、出社している人がいるからといって、それが出社強要しているかのような誤解を招く表現は感心しない。

まして「テレワークをしないことは悪である」「そうしたことを強要しているのは昭和の古い人間である」という前提や偏見によって記事や報道がされることをみるたびに「ちょっと待て」と言いたくなる。それはあまりに世の中のこと、人間のこと、働くということを知らなすぎではないか、と。

コロナ禍中に何度となく書いてきたことだが、重要なことなので繰り返しになるけど何時でも書こうと思います。

テレワークのファクトについて、まず、2020年8月実施の総務省「通信利用動向調査」の結果をご紹介しましょう。対象は、全国の就業者(15歳以上で過去1年間にインターネットを利用しており、企業などに勤務する者)ですが、とても興味深い結果が出ている。

「テレワークしたことない 68.5%」
「テレワークを希望しない 80.7%」

テレワークしたことがあるが68.5%ではありませんよ。ない方が大多数なんです。

別におじさんだけが「してない・したくない」というわけではありません。同調査で「テレワークを希望しない」と回答した割合を年代別に出すと以下のようになります。

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20代だけやや低いものの、全年代的にも男女的にもそれほど差はありません。

所得別にみてもほぼ差はない。

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では、なぜこれだけ多くの人がテレワーク希望しないのか?その理由についても調査をしている。回答は真っ当な話。

テレワークに適した仕事ではない 55%」


そもそも企業のうち、テレワークを導入している企業が全国にどれくらいあるのか?

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全体でも52%の企業がその時点でも導入していない。これは企業努力が足りないからですか?バカいわないでいただきたい。運輸業やサービス業、小売りや販売業の人たち、モノを製造する人たちにいったいどうやってテレワークしろというんです?

企業努力が足りないとか、従業員の意識が低いとかの問題ではなく、物理的にテレワークでは仕事にならない人たちが少なくとも6割近くはいるということなんです。よくよく考えれば当たり前です。

そういう現実を無視して「テレワークが当たり前」とか言い出す輩は一体何を言ってんだろという話です。世の中、IT産業だけが仕事ではない。

2017年就業構造基本調査に基づいて、全国の皆さんの仕事内容から、「テレワーク可能・テレワーク困難・テレワーク不可」の3つに分類したグラフが以下です。

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これで見ても、テレワークが可能な仕事などほんの33%にすぎません。

特に、不可仕事のうち医療職や生活支援関係職に加え、食品を作り、運び、販売する人達の4業種だけでも約1800万人います。この人達が毎日働いてくれるからこそ、僕らは部屋の中で不自由なく食事できるという事を忘れてはいけない。「エッセンシャルワーカーの皆様に感謝を」とか口では道徳的なことを言いながら、その実彼らの仕事内容すら知らないで、何を偉そうなことを言ってるんだ!と思います。

出社を強制する上司は毎日2時間の「報酬の出ない仕事=シャドーワーク」を強いていることになる等と非難している人間がいるんだが、むしろその移動時間の2時間を何に活かせるかを考えりゃいいだけじゃん。

本読んだっていいし、あえてぼーっとしているのも無駄じゃない。アイデアとか発想とかそういう時に生まれるもんだよ。家族持ちの人にとっては移動は一人になれる貴重な時間、心の安定のための2時間ならお安いもんです。無駄な時間なんて存在しなくて、時間を無駄なものにしてしまう人間がいるだけ。

そういうと、「ラッシュ時の電車なんか何もできない」と揚げ足とってくるのがいますが、あなたはそうなんでしょう。ご自由に生きたらいいと思います。

何気に毎日の通勤で歩く距離はバカにできません。ラッシュにもまれることもある種の運動と考えればいい。何をいっても「それは無駄」と言いたがりの人間はもはや生きることも無駄と考えているんですかね?

 もちろん、テレワーク自体を完全に否定するものではない。仕事の内容によってはわざわざリアルに移動しなくても済むものなんかたくさんあります。個人的にも、同時に外国にいる人と地方にいる人とミーティングしたこともありましたが、便利であることは間違いない。

それでも、仕事ってそういうものなんでしょうかねえ。

テレワークで知り合って、仕事をして、一度もリアルにお会いしたことのない方もたくさんいます。それで仕事が滞るということも個人的にはありません。しかし、それでも、一度リアルにお会いした方とない方とでは、人間関係の密度が違うことも事実です。温度といってもいいかもしれない。

人間のコミュニケーションとは言語の交換だと思っているとしたら大きな勘違いです。言語の交換以上に、人と人とのつながりを実現するのは、まさに互いの持っている得体の知れないウイルス(や菌)の交換なのです。

互いに声を発する事で漂うその人の持つウイルスを互いに吸い込んで、ときに拒絶反応などもありながら、互いに抗体を作ったりして、理解を深める。コミュニケーションとはそういうものではないですかね?

同じ内容のことをAさんが言った場合と、Bさんが言った場合では受け取り方が違うというのも、そういうリアルであった数の違いなどが影響しているんじゃないかと思うわけです。

男女の恋愛関係も同様で、たとえば、第一印象はあまりよくなかったのに、話をしていたら良い人に思えてきた、なんて現象も、ウイルスの抗体反応だったりするんでしょう。反対に、話をすればするほど嫌いになるタイプの人もいますね。顔を見るだけでストレスになる上司とかいますよね。それは、もう拒絶反応なんですよ。合わないと身体が危険信号を出しているということです。重症化する前に異動願いだすなり、転職するなり、対策しましょう。

テレワークでも情報や要件の伝達は十分可能。しかし、仕事や遊びや恋愛も含めて、人間関係とはそういうもんじゃない。会って話すということの大事さは、そういうところにあるんじゃないかと思います。

良し悪しは別にして、コロナ禍において基本在宅勤務だったところと出社したところで大きく業績に差が出たところでいえば、商社でしょう。自らをエッセンシャルワーカーととらえ、原則出社として伊藤忠商事が最高益を叩き出したのをどう考えるのでしょう?

仕事とは作業をするということではありません。人と向き合い、互いに自分の役割を発揮して、各々の行動結果を合わせることが仕事です。「仕合わせる」ということであり、まさにそれこそが「しあわせ」の語源なのです。

「仕合わせの哲学」についてはこちらに書いたのでお読みください。

そして、そうしたリアルに人と面と向かって合わせることで得られる「仕合わせ」感こそが、未知なるアイデアや途方もない行動を生み出す原動力ともなるわけです。

テレワークだけですべての仕事が済むなどと思っている人は、その可能性すら知らないかわいそうな人だと思います。


仕事だけじゃない。音楽を聴くだけなら、演劇見るだけなら、画面で見れば事足りるけど、それは決してライブで生で見た時の感動には敵わない。

わざわざ足を運ぶ、そのために洋服を考える、何を見に行こうかあれこれ悩む、当日までワクワクする…そういったその日が来るまでの助走でさえ、人生を彩るはず。

「画面で見れば済む」というだけの人生って、「生」きているって言えるんですかね?


追記:案の定「テレワークもできない会社は時代遅れ・そんな上司は無能」と言ってる輩からいろいろ反論がきている。反論の論拠は「テレワークをできない業種の人たちはそもそも最初からその対象にしていないのだから何を言ってんだ?残念な奴だな。テレワークできるのに、しない会社は時代遅れだし、そんな上司は無能だろ」とかいうものだったりするのだが、そういう奴に限って、テレワーク不可の業態で働く人たちの実情をそもそも無知だったし、知ろうともしない。世の中の仕事がすべてテレワークで済むわけではない。小売、製造、物流、交通輸送、医療、介護、建築、保安など多くのリアルに働く人達のおかけで社会は回っているのだという視点を持てと言っている。その視点があるのなら少なくとも「テレワークもできない会社は時代遅れ・そんな上司は無能」なんて言葉を吐くことはできないはずだ。そういうと決まって「エッセンシャルワーカーの人をバカにしてるのではない」と言い訳するのだが、バカにされたと感じるエッセンシャルワーカーの人達もいるという想像力くらいないんですかね、と。まあ、ないんだろうね。そういう輩は。どうぞ好きに生きればいいと思います。




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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。