企業に人材戦略が必要なら、個人にはキャリア戦略が必要
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企業に人材戦略が必要なら、個人にはキャリア戦略が必要

Daisuke Inoue

激化する人材獲得競争

ファーストリテイリング社が、中途採用の年収を最大10億円に引き上げたと話題になりました。同社の柳井会長は、最大の競合をZARAではなくGAFA(グーグル・アップル・旧フェイスブック〈現メタ〉・アマゾン)と位置づけ、来るべき衣料品ビジネスの大転換期に備えます。

こうしたIT企業の技術職が高給取りであることはよく知られていますが、最近では営業などそれ以外の職種でも給与水準が上がっています。米アマゾンが、事務職を含む社員の基本給上限を、2.2倍の約4,000万円に引き上げたニュースも記憶に新しいです。

RSU(譲渡制限付き株式)を報酬の一部とすることで、給料を増やさずとも株価の上昇をフックに優秀な社員をつなぎとめる。米国のテック企業でよく採られる戦略ですが、産業が巨大化し成熟することで、株価の上昇が踊り場を迎えると、そんなやり方も立ち行かなくなります。そこで給与水準の引き上げ、とあいなるわけです。

経済がグローバル化することで、こうした人材争奪戦の波は、日本にも確実に押し寄せています。以前は「転職の限界」とされていた35歳を超える営業職でも、欧米のIT大手から2,000万円近いオファーを受けて転職するケースなどもでてきました。米国を本拠地とするIT企業なら、それでも本国の給与水準からすると安い、ということになるのでしょう。

人材戦略は人事マターではなく経営マター

IT業界における人材の争奪戦は、他の業界にも大きく影響します。行政ですらデジタル化が叫ばれ、伝統的な産業でもビジネスのDXが生き残りの鍵となるなか、それを担う人材は限られているためです。ただでさえ難しい人材の獲得を、世界の雄であるGAFAと競わなくてはならない。それも技術職のみならず、デジタルに明るい営業やマーケまで。そうなると、課題はもはや、人事計画の範疇には収まりません。

柳井会長が、自身の報酬より高い10億円を中途採用の年収上限としたのは象徴的です。このような意思決定は、人事のトップにはできないでしょう。会長は「いい人材がいれば100人〜200人でも採用したい」と語っていますが、その言葉の通り100人採用すれば毎年1,000億円の投資です。これは同社の全世界における設備投資と同規模です。

ここにおいて人材への投資は、人事が各部門の要望をとりまとめ、利益を見ながら調整する、というようなものではありません。全世界の設備投資と秤にかけるべき、トップが自ら取り仕切る経営マターとなったのです。このように人材への投資を経営レベルで考えていく、「人的資本経営」への関心が高まっています。

人的資本経営において、人材への投資は経営戦略の一部です。わかりやすく言うと、最終責任者が人事のトップではなく、経営トップであるということです。ここに引用した記事によると、中部電力に新設された「人材戦略室」は社長直轄です。三井化学に新設されたCHRO(Chief Human Resource Officer)には、経営メンバーである専務が着任しています。

働き手が自分を売り込む競争も加熱する

人材への投資が経営マターとなり、経営戦略の一部となりました。すると私たち一般の社員からは、なおさら雲の上の話になってしまったようにも感じますが、そう他人事にしてしまうのは危険です。なぜなら、そのように投資が加熱することによって激化するのは、企業間の人材獲得競争だけではないからです。

経済の成長に対して、人口の増加が追いつかないことで生まれる「人手不足」においては、人材投資の加熱は売り手市場と同時に発生します。しかし、今起こっていることはそれとは異なります。特定のスキルをもった人が生み出す特定の価値に、企業が高値を付けあっているいる状態なのです。

「いい人材がいれば100人〜200人でも採用したい」という柳井会長の発言が、この状況を裏付けています。何人分の人手が足りないから、いついつまでに補充する。ここのところ加熱する人材への投資は、そのような人手の補充ではありません。ある特定の価値を競り落とすための入札合戦なのです。

世界最高水準の契約金額がやりとりされる欧州のサッカーリーグでは、プレイヤーのレベルも世界最高水準です。そこでは「いいプレイ」の価値が高く評価されるため、結果としていいプレイヤーが集まり、プレイヤー間の競争も熾烈になります。企業が特定の価値を競り合っているとき、その価値を生み出す働き手の間の競争も激しくなるのです。

働き手にもキャリア戦略が必要になる

以前勤めていた外資系企業に、とても優秀なインターンがいました。名前を仮にマーガレットとしましょう。マーガレットは、オーストラリアの大学を卒業した後、パリの大学院で修士を取ると、さらにコペンハーゲンのビジネススクールに進学しました。そこまでしないと、良い企業からはオファーをもらえない、というのです。

そこにあるのは「計画」とは一線を画す、独自の「戦略」です。留学する、インターンをするなど、ただ既定のオプションを選択するのではなく、独創的にゼロから描き出したものです。グローバルな優良企業からの「高い入札」を受けるための競争は、このような戦略性がないと勝ち抜けないほど熾烈になっています。ここまでにはならないまでも、いいポジション、いいポストをめぐる競争は、今後日本でも激しくなってくるでしょう。

すると、マーガレットが描いたようなダイナミックな戦略は、今後私たちにも必要となってきます。どんな人材市場で勝負し、そこでどんな人材価値を発揮するために、今後どのような経験と知識を身につける必要があるのか。人的資本経営が「人事計画」ならぬ「経営戦略」となったように、個人のキャリアも「プラン」ではなく「戦略」として考える必要があるのです。

予め決められたオプションの中から選ぶのではなく、クリエイティブにゼロから考え出すのが戦略です。過去の傾向から何が起こるかを予想し、それを時系列で整理しただけのものではなく、ゴールから逆算して積み上げていくのが戦略です。意思をもって何かを捨てるのが戦略。不確実な中でも腹をくくるのが戦略。そうした重みを持った「戦略」という言葉が、いま企業にも個人にも求められています。

おわり

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Daisuke Inoue
ソフトバンク株式会社のメディア統括部長。←ヤフー←アウディ←ユニリーバ←ニュージーランド航空。著書に「デジタルマーケティングの実務ガイド」「たとえる力で人生は変わる」など。NewsPicksアカデミアプロフェッサー。新刊「マーケターのように生きろ」が全国書店とネットで好評発売中。