真実・事実・現実と自動化社会
真実と事実と現実
よく言われることですが、あらためて「真実」「事実」「現実」について、整理してみたいと思います。
真実:心の中にある解釈を踏まえた物事。
事実:客観的実存。そこにある物事。
現実:互いの間に立ち現れる物事。
さまざまな表現で説明されることの多い言葉です。言葉の定義は、個々人の経験と解釈を踏まえて、ある程度の幅を持ったものだと思いますので、あくまでも僕個人の定義として書いてみました。
この3番目の「現実」ということろが、個人的にはとても面白いと思っています。関係性の間に立ち現れるもの。
間の世界
東洋思想家として著名な鈴木大拙が、次のようなことを書いていました。相手の心の中でも、自分の心の中でもなく、間にこそ世界が顕れるのだ、と。どこかで、そう読んだ記憶があります。
関係性ということを考えると、システム論に立脚した心理学である短期療法を思い出します。
課題行動を起こす人、に注目するのではない。課題行動を起こす人がいる、その状況そのものに注目する。個人を見るのではなく、個人をとりまく全体のコミュニケーションシステムを見る。課題が生じている、課題が解決しない、悪循環のシステムを見立て、そのシステム全体が変容するような介入をデザインしていく。
人と人との間に顕れる世界。その世界そのものを改変することが、コミュニケーションシステムへの介入。
人と人だけではなく、人とスマートハウス。人とサービスロボット。さらには、ロボットとスマートハウス。スマートハウスとスマートハウス。ロボットとロボット。それらがコミュニケーションする時代。
人ならざるものとのコミュニケーションが当たり前になる時代において、この臨床心理の手法は、とても大きく貢献できる可能性があると信じています。
コミュニケーションの自動化
今から30年ほど前、臨床検査センターで検体仕分けの深夜アルバイトをしていた時期があります。日本中から空輸されてくる血液や尿などの検体を、検査項目ごとに仕分けする、という仕事でした。
夜の10時過ぎから2便だったか3便だったかに分かれて、膨大な数の検体がトラックで運び込まれました。それを、検査項目ごとに仕分けし、臨床検査技師さんたちに届けて、検査に入ってもらう、という仕事でした。仕事明けは、朝の6時か7時だったように思います。
それが、もはや、全自動です。
隔世の感あり、です。
ロボットとスマート施設による、自動化されたコミュニケーションの賜物ですね。コミュニケーションとは、情報流通だと考えると、さまざまなコミュニケーションの関係性が見えてきます。
現実世界
情報は、生物と生物、生物と無生物、無生物と無生物、生物と環境、無生物と環境、環境と環境の間に流れています。
この情報流通が世界を形作っています。冒頭で言うところの、現実です。
人、ロボット、スマートハウス、スマート都市。すべてがIoTで接続され情報が流通し、それに基づきデジタルツインが構築され、シミュレートされ、その結果が物理空間にフィードバックされていく時代。
情報が流れる関係性の「間」に現実が現れてくるのだとしたら。どんな世界が描かれていくのでしょうか。全自動化された無人稼働する施設の間で描かれる世界、対面コミュニケーションの間で描かれる世界。
それらは分断されることなく地続きでつながっています。そして、それらの間に立ち現れる世界もまたあるのでしょう。衝突し、拒絶するのではなく、適切な間合いをとりながらも、緩やかに接続してくことのできる、そんな世界にしていきたいと思います。