世界の成り立ちなんてはっきり分かる訳がないーーパオロ•ジョルダーノ『タスマニア』を読む。
何かの専門家が自らの領域のことで良い仕事をすると、さすが、と他人から言われる。その人が専門以外のことで良い結果を出すと、ひとつのことがてきると他に応用できるのですね、とか言われる。
ベースがあるんですね、とか。
例えば、人は他人の専門を生業と捉え、大雑把にその当該の人生の7-8割の価値のように評価し、残りを、まあ、いろいろとあるよね程度に見やすい。
だが、人の人生はそんなシンプルに区切れない。複雑とか、そういう言葉で括れないくらいにさまざまな要因に絡めとられ、かつ、自らも予想だにしなかった自らの態度や言葉によって、不透明で不安定な状況を常に作り続けるーーわざわざ。
そのような、言ってみれば愚行はその場で方がつくものではなく、どんどんと集積されていき、遠いいつの日か、ヒョイとまた顔を出してくる。
多くの人が、いまさら、と思うようなことがまったく思いもよらなかった時に堂々とやってくるのだ。遠慮なく、だ。
こうした危うい編み目の上に、もう人間に対処できるかどうか皆目見当がつかない、例えば、気候変動の問題がドンと被さってくる。
いや、いや、パンデミック、テロ、戦争、などなど、もう盛りだくさんである。
ジェンダーフリーや人種差別を巡る認知や意識の差から生じる衝突、物理的サイズとしては小さいが精神的レベルとしては軽くない、夫婦間の会話のちょっとした行き違いも例外ではない。
だから、人の生きる世界は冗談ではなくスリラーであり、仮に世界の不都合の要因を探ろうとするなら、相当高いレベルの探偵が束になっても叶わない。
完全に対応するなどほぼ無理なのは明らかだ。
この冷徹な現実をとても緻密に描いている小説がパオロ・ジョルダーノ『タスマニア』である。緻密と書いた。台詞の表記の仕方にも、その緻密さがうかがえる。
ほぼ、台詞と本文を区切るかぎかっこがない。
オリジナルのイタリア語版でどう表記されているかわからないが、訳者の飯田亮介さんの文章では次のようになっている。
たまに、これは誰の台詞?と判断に迷うところもある。これが独特の雰囲気を出す。心の内にとどめている想いなのか、人に通じる言葉になっているか、あるいは、どっちの人が話したか、即わからない場合がある。
そうした数々の言葉が浮遊しているのが、人のコミュニケーション空間ではないかと気づかされる。だからこそ、読む側は微妙な言葉遣いに敏感にならざるをえない。
実は、この作品には第三国の原子爆弾開発やロシアのウクライナ侵入に端を発した、遠いような近いような核戦争の脅威とヨーロッパ各地の都市部で生じたテロが、ズームアウトとズームアップの往復のようみえてくる部分がある。その背景には語り手が原爆の本を執筆するための取材活動がある。
物理学者のイタリア人主人公はパンデミック中、広島と長崎の原爆被爆者にリョウスケ(実際、この作品の翻訳者でもある飯田亮介さんが、その場で通訳をしている)を介してインタビューし、2022年夏、その両方の地で行われた慰霊式にも出席している。
マンハッタン計画と広島・長崎の市民のつながりが、そういうつもりではなかったという科学者たちとこんな地獄絵を想像していなかった人々とのつながりだけではない、もっと多様な生活の交差として浮き上がってくるーーその極めて高いリアリティの支えになるのが、前述した浮遊する数々の言葉がつくる空間である。
いや応なしに迫られた空間認識のなせるわざだ。
主人公のパオロがインタビューした長崎の被爆者が田中熙巳(てるみ)さんである。毎日新聞電子版(2024年7月7日)が、田中さんに取材した内容を紹介している。田中さんは13歳のときに被爆し、現在92歳。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員だ。この4月、世界一周する「ピースボート」に乗船し、南アフリカのケープタウンまでの1か月の航海を経験した。
この動画で田中さんの話している内容で注目したいのは、1945年8月9日11:02に閃光がはしった瞬間を経験した者の声を伝えるだけでなく、その前にどういう生活をしていたのか、その体験をその後にどう解釈したのかについて語ることが大事だと強調している点だ。
まさしく『タスマニア』の構成と照応している。田中さんが『タスマニア』を読んだ結果なのか、それとは関係なく、こういう点を強調しているのかは分からない。
コンテクストとは「共に編む」というのが語源だが、「共に」とは意図的であるだけでなく、意図せぬこともあるのが世界の成り立ちなのである。
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冒頭の写真は、先月末までミラノ王宮で開催されていたジュゼッペ・デ・ニッティス(1846-1884)の展覧会にあった作品だ。産業革命によって新しい都市に変貌しつつあるパリとロンドンを描いたイタリア人画家である。印象派の第1回の展覧会にも出展した。
霧に包まれたロンドンを描いている。デ・ニッティスに限らず、19世紀後半から20世紀はじめの絵画を見ると、煙が近代化の象徴としてポジティブな存在と捉えられていた印象がある。