自分の人生を決めた就活の話
自分の就活のときの話をします。「第一志望だったリクルートには行かなかった(しかし10年後、自分が起業した会社をそのリクルートに売却した)」という話です。
人生とは、本当に縁でつながっているんなあと感じますね。
学生時代は、ずっとバックパッカーやってました。アジアで「 あちこちの国境を歩いて越えたい」という縛りで、大阪から船で上海へ行き、一度も飛ばずに山を超え砂漠を越えデリーまで行ったり。違う年には、また上海から陸路でインドシナ半島を渡ってシンガポールまで行ったり。
1990年代の話です。まさにアジアが勃興していく姿を目のあたりにしました。日本はバブルが崩壊した後で、なんとなく「ピークは超えたのかな」という感があった時代です。
一方で「小さな起業家」たちがあちこちで目をギラギラさせているアジア世界には、ものすごいエネルギーが渦巻いていました。その中で思ったものです。自分も、いずれ必ず起業するのだと。よくわかりませんが、なぜかそう確信していました。
大学では英語サークル(ESS)に所属していました。理由は2つで、旅するために英語が必要だったこと、そして先輩にバックパッカーが多かったこと。この活動が、自分の人生の方向性を決めるもう一つの要因になりました。
このサークルは、まるで「斜陽産業の中の大企業」みたいな感じでした。僕が在籍していた時点で創部90周年を迎える、戦前から続くという「歴史と伝統」があったのです。
最盛期は戦後で2,000名以上の部員がいたそうですが、僕のときには300名にまで縮小していました。他に、英語を学ぶ手段がたくさんできたからです。競合に押されてしまったということですね。
昔の大きかった組織のときの慣習を引きずる、ガチガチなカルチャー。謎なルールも多く、超保守的です。そして多くのOBが上に連なっていて、一部にはうるさい人もいる。
サークルなんですが、まるで「滅びゆく古い大企業」な雰囲気でした。
縮小していたとはいえ、300人でも学生組織としてはけっこうな大所帯です。3年生のとき、幹部として人事部長のような役割に就任しました。普段は10個のセクション(ディスカッション、スピーチなど)に分かれて活動するのですが、人事部長は、部員の配属やセクション間の人事交流などを担当します。そう、本当にまるで「人事部長」です。
各セクションは、縦割りでかなり仲が悪いです。セクション自体が、それぞれ数十年という歴史を持ってたりもします。組織というのは、本当にこうなるんですよね。だからつまらない摩擦の調整もタスクのうちで、大きな会社での仕事ってこんな感じなんだろうな、と勝手に想像したりしてました。
とはいえ、人事業務ならではの面白さもありました。「人と組織」の関係についてです。人事部長は部員のセクション配属を取り仕切るというのが最も大事な役割なのですが、人と組織がうまくマッチしたときに人は伸びるし、逆の場合は腐ってしまう。
このことを、身をもって知った気になりました。「HRって面白い」、学生ながらそう思ってしまったのです。
これらの経験から、「もう大企業はいいや(行ってませんが...)」「いずれ自分で起業する」「HRに関係する」ことがが、自分のキャリアの方向として定まりました。
そして、就活です。ESSはOBが多いので、銀行や商社、メーカーなどから声がかかります。幹部ならなおさらです。部員には安定志向の人が多かったので、皆そちらへ行きます。
しかし自分は、独自路線です。当時は「HR × 起業」といったら、もう一択でした。リクルートです。リクルートという会社以外にはほぼ興味を持てず、そこから一社だけを目指して就活を進めました。
活動解禁前から、ひたすらOB訪問をしました。合計で30人ものリクルートのOBさんと会いました。いまは、OB訪問という習慣は減ってしまったそうですが。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD1317Z0T10C24A2000000/
そしてその30人の中に、自分の人生を決めるアドバイスをくれた人がいたのです。
HR部門ではなく住宅情報部門の人でした。「松本くん、リクルートに入って起業の修行するっていうけど、リクルートって、君が思っている以上にかなりな大企業だよ?カルチャーも。」と。
そして、「本気で起業の勉強をするんならベンチャーに行けば? リクルートOBのベンチャーとか。 たとえば東京にあるインテリジェンスっていう会社とか、まだ小さいけど面白いらしいよ」とも。
なるほど、そういう選択肢もあるのか。少し視野が広がった気がしました。そして運命なのか、翌週、そのインテリジェンスという無名ベンチャーから会社案内DMが届いたのです。
そこには、3年以内に辞める人だけ募集!という、いかにもイタいというか、「俺たちベンチャー!」みたいな空気を漂わせた採用キャッチコピーがありました。
先輩から話を聞いてなければスルーしてしまうところでしたが、その「意識高い」コピーも面白いと思い、その年に初めて大阪・梅田でも行われた関西での採用説明会に出席したのでした。
社長や役員が30歳そこそこ、社員の平均年齢が24.7歳という、それこそまるで学生サークルみたいな会社でした。なにここ、面白すぎるやろ… と思いながら、そのまま最終面接まで進み、内定が出ました。
そのインテリジェンス(現・パーソルキャリア)というベンチャーに1997年に入社し、上場関連業務も経験した後、入社から6年後に起業することになります。「3年以内」には間に合いませんでしたが(笑)
そして、起業から5年後、ご縁があり、その会社をリクルートにM&Aで売却することになります。就活から10年越しで、ある意味では「入社」したことにもなるのかな、当時はそんなことを考えました。
ここら辺の話は、また機会をあらためて書いてみたいと思います。
あのとき、もしそのままリクルートに入っていたら.. と考えることはあります。どっちが良かったのかは、比較できないので分かりません。
しかし、当時のインテリジェンスの同僚・先輩・後輩たちはみな野心に溢れ、ある意味めちゃくちゃで、だからこそとても濃い学びの期間を過ごすことができました。その中で、今や有名になった経営者が何名もいます。
そういうありがたい環境にいたからこそ、自分も刺激され、励まされ、本当に起業ができ、そして今があるのだと思います。学生サークル時代に感じた「人と環境」の関係性は、本当に大切だったのだと感慨深く思います。
今、人事部長・CHROなど人事管理職のための『HRギルド』というコミュニティを運営していますが、自分が学生サークルの「人事部長」だったことを考えると、巡り巡って面白いなと感じます。
引き続き、人と組織の関係について、勉強を重ねていきたいと思っております。
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