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吉野家の解任騒動から再度見つめなおしたい「商いの本質」について

吉野家の常務である伊東氏が早稲田の講座で不適切発言をしたことで解任された。毎度の界隈の筋がそっち方面で叩いているが、それ以前の問題として、最初にこれが炎上した時、本人はたいした問題ではないと踏んでいたきらいがある。当初は、謝罪会見を自分で開くと言っていた。要するに、謝罪すれば済むレベルのものだと考えていたのだろう。あくまで発言した本人は、だ。

最初の謝罪文は以下の通り。

当該役員が講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません。当人も、発言内容および皆様にご迷惑とご不快な思いをさせたことに深く反省し、主催者側へは講座開催翌日に書面にて反省の意と謝罪をお伝えし、改めて対面にて謝罪予定です。本件を受け、 社内規定に則って当人への処分を含め厳正に対応を進めてまいります。また、当社は今後一層コンプライアンス遵守の徹底に取り組むべく、コンプライアンス教育の見直しを図り、すべてのステークホルダーの皆様に対し、高い倫理観に基づく行動をお約束します。

しかし、これが、不適切発言をした本人が作成してものであるとツイッターで話題になり、小学生のごまかしみたいで「お粗末すぎる」と思った人も多いだろう。とにかく、不適切発言の本人は最初たいした問題じゃないと思っていたことは確かだ。

しかし、この元常務はともかく、会社としての吉野家の対応は実に迅速で的確だった。同日の取締役会で同氏の解任を即日決議し、翌日発表をしている。

当社は、昨日開催いたしました臨時取締役会において当社執行役員および子会社である株式会社吉野家常務取締役の伊東正明氏の取締役解任に関する決議を行い、2022年4月18日付で同氏を当社執行役員および株式会社吉野家取締役から解任しましたのでご報告します。本日以降、当社と同氏との契約関係は一切ございません。
同氏は人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することの出来ない職務上著しく不適任な言動があったため、2022年4月18日付で同氏を当社執行役員および株式会社吉野家取締役から解任しました。

これを炎上の火消のための解任だと考えている人も多いと思うが、僕はそうは思わない。吉野家という会社の怒りの解任だと思う。

不適切発言をして会社に迷惑をかけたという怒りだけではない。その発言の裏にある、同氏の吉野屋及びそのお客さんに対する侮辱・見下し意識に対する怒りだったろうと思う。

伊東氏は元P&G出身で吉野屋プロパーではない。多分、三顧の礼をもって迎え入れられたのだろう。実力もあったのだと思う(知らんけど)。自分のサロン的塾も開き、2018年の就任以降吉野屋の業績を自分が回復させたと語っている(語っているのは本当だが同氏ひとりの手柄かどうかは知らんけど)。

「シャブ漬け」という言葉とか女性蔑視的なものが問題になっているが(勿論それも論外なのだが)、女性客の中毒商法という問題発言だけではなく、「男に高い飯をおごってもらうようになれば(牛丼を)絶対に食べない」とまで言っている。これ、自分の顧客は貧乏人ばかりとでも言いたいの?完全に自社のお客さんディスりだ。あわせて、男性客に対しても「家に居場所のないような感じの人が何度も来店する」と発言している。これも今まで吉野屋を支えてきた男性ファンをバカにしている。

つまり、吉野家が許せなかったのは、一番大事なお客様をバカにするような人間を役員になんか置いておけないという点だったのではないかと思う。

最近も以下のような問題を起こしてもいる。これにも同氏が関わっていないとは限らない。

マーケティング的に、吉野家のような男性客の多い店が女性客を取り込もうというターゲット戦略の視点は間違いではない。しかし、それは、同氏のいうような「俺は客を動かせる」などという傲慢な姿勢ではとても難しい。理論や今までの成功体験によって奏功する場合もあるだろうが、マーケティングにしろ広告にしろ広報にしろ、商いの一部であって、そのすべてにおいて「客をバカにする」思想が垣間見られた瞬間に商売は終わる。

そもそも論として、女性客は「男に高い飯をおごってもらうようになれば(牛丼を)絶対に食べない→だから金のない若い時に牛丼中毒にさせるのだ」という考え自体が間違っている。これは男性客にしてもそうなんだが、牛丼は金がないから我慢して食べているのではない。この解任されたおっさんの言う通りなら、吉野家には高年収の客はいないのか?ということになる。

私はソロ外食関係の調査で「ソロ牛丼(一人で牛丼屋で食べる)」率の調査を行っているが、2018年調査において、男75%以上、女も3割近くがソロ牛丼経験者である。で、低年収ばかりが食べているかというとそうでもない。年収別のソロ牛丼経験率と非経験率の比率を見ていただければわかる通り、年収に関わらず、牛丼は食う(一人で)のである(私の調査は吉野屋限定ではないけどね)。

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何が言いたいかというと、「金」がないから牛丼食ってんだろ」みたいな発言は、今会社を支えている多くのファンをバカにしすぎだってことだ。

もうひとつ。「家に居場所のないような感じの人が何度も来店する」という発言も「一人で牛丼屋に来るような男は、友達もいない孤独な奴らなんだろう」という侮蔑が込められている。実際に、牛丼屋に来ている層が「孤独に苦しんでいるのか」といえばそうではない。

以下は「ソロ牛丼」経験ありと経験なしとで分けた時にとっちが孤独に苦しむ割合が多いかを比較したものだ。

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むしろ「一人で牛丼屋にも行けないような層」の方が孤独に弱い。誰かと一緒じゃなきゃ昼飯も食えないというおっさん、よくいますよね。ああいう人の方が退職後、確実に孤独に苦しむ。

美味しいから行っているんですよ。そして、その吉野屋の美味しさに幸せを感じているのですよ。だから行っている。飯屋の本質はそこでしょ?


この問題のせいで記者発表イベントが流れてしまったが、この元常務が来る前から10年の歳月をかけて開発した「親子丼」が販売されている。

私も早速食べに行った。

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お世辞抜きにメチャクチャ美味しい。

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鶏肉がしっかり肉厚で、かつジューシーだし、卵のとじ具合も出汁の風味も良い。なか卯のよりこっちの方が好みかも。いい仕事してます。

今回の迅速な外様役員の解任は、元々の吉野屋ファンにも好意的に受け取られたようで、この親子丼いいねの投稿は数多くSNSを飾った。店によっては親子丼が売り切れてしまうところもあったようだ。本物のファンは、相手が危機の時に寄り添ってくれるものだ。

こういう記事もある。

なるほど。今日の話もナラティブ(物語)なのかもしれない。

しかし、人はナラティブで生きていて、信じたものが事実になるのであり、事実がそのまま受け入れられるものでもない。一方で、気を付けないといけないのは、マーケティングをナラティブにあまりにしてしまわないことだ。ナラティブは共感を揺さぶり、感情主義になる。宗教だってナラティブマーケティングそのものだ。行き過ぎたファンマーケティングが宗教と揶揄されるのはそういうところにある。

ことさら感情に訴えたり、洗脳しようとするのではなく、支持してくれているお客様の当たり前の日常でいいのである。

コロナ禍で24時間営業をやめた吉野屋も多かった。あれで一番困ったのは、深夜まで物を運んでいた物流ドライバーや深夜まで働くエッセンシャルワーカーだったろう。彼らにとって、吉野家は日常のインフラなのである。

何にせよ、商売は人と人とのつながりである。商品やサービスを媒介とするが、基本的にはそれは手段であって、根本的には人と人とのつながりである。

「お客様を大切にする」とかいう言葉ばっかり言っておいて、その裏では「俺が客を自由自在に操れる。あいつらバカだから、中毒にさせればいいんだよ。あいつら友達もいねえぼっちだからな」とか言っている人間は、とっとと退場してもらって構わない。電光石火の吉野屋の解任劇で、もっとも不愉快になったのは、今まで吉野屋の人とのつながりを大事に育ててきた、吉野家の社員やバイトの皆さんだったのかもしれない。

「シャブ漬け」という表現はよくない。例えば“牛丼のパンケーキ化戦略”と言ってあげれば、“女の子に好きになってほしいのね”ということで、聞いた人も嫌な気分にはならないし、かわいらしいではないか

とか言ってるのも見かけだが、それも「客をバカにしている」ことに気付いていない。一度、店に立って接客経験してみればいいよ、ほんとに。商売は学問じゃない。

しつこいようですが、吉野家の親子丼はマジで美味しいですよ。



独身研究家やコラムニストとしても仕事していますが、マーケティング・ディレクターとしての仕事もしています。6/6に大阪にて、ソロ社会におけるマーケティングのお話をします。ご興味があればぜひご参加ください。


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。