ポリアモリーへの批判を真摯に受け止めてみた。〜その2〜
先月、フジテレビの「とくダネ」という番組でポリアモリー特集があった。
ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでポリアモリーについて書いたシリーズはこちら。
この放送に対してTwitterでは批判の声が多く寄せられた。
こららの声を冷静に真摯に受け止めてみようという本シリーズ。
前回は、
💢批判1:不倫や浮気を正当化しているだけ
という批判について書いた。
今日は
💢批判2:なんでも名前をつければいいってもんじゃない
💢批判3:相手にガマンを強要しているだけ
について真摯に受け止めてみた。
(読了まで3分程度)
💢批判2:なんでも名前をつければいいってもんじゃない
この手の批判は多い。
名前がある=既成事実っぽくなる。
というイメージから「名前をつけて無理やり流行らそうとするな!」というのがこの批判の趣旨だろう。
とはいえ、そもそも需要のない現象に名前をつけたからって流行るものではない。この「名前がつく」という現象はむしろ逆だ。
名前を「つけた」のではなく名前が「ついた」
ポリアモリーで言えば、これまで「名前のない関係」だったものが、そろそろ名前が必要になるほど需要が高まった、ということだ。
そもそも名前とは需要から生まれる。
名前の前身はモヤモヤ。みんなが言い表せないモヤモヤした気持ちを抱えると名前が生まれる前兆だ。
そんな閉塞感のある世界に、名前は新しい世界への扉として誕生する。名前が生まれることでモヤモヤが明確になり、別の世界への入口ができる。
こうして誕生した名前の扉を開けると「新しい概念がある世界」へ行くことができる。
もちろん新しい概念がない世界に留まってもいい。その扉を開けるかどうかは個人の自由だ。
しかしポリアモリーに限らず「名前があるからってそっちに行くな」とは誰も言えるものではない。名前は需要から誕生しているのだから、それを止めることは誰もできない。
故に
💢批判2:なんでも名前をつければいいってもんじゃない
という批判はあまり的を得ていない気がする。
💢批判3:相手にガマンを強要しているだけ
続いてのポリアモリーに対する批判はこちら↑。
前回のnoteではこんな図を使って、ポリアモリーを実践する動機や目的は人それぞれでいい。必要なのは同意のみであると書いた。
この「同意」に対しても様々な批判があるが、集約すると
**
「同意があるって言うけど、それは好きだから仕方なく我慢しているだけでしょ。相手の気持ちを利用して、自分だけ好き勝手にポリアモリー(複数恋愛)だなんて、この人でなしが!」**
と、こんなセリフになる。
言いたいことはわかる。
わかるのだが、落ち着いて考えるとこれはポリアモリーに対する批判にはなっていない。
この批判の本質は、恋人(好かれている)を理由に、自分のライフスタイルを認めさせる行為に対するものだ。ポリアモリー以外でも成立する。
究極な話「ベジタリアンだけど、それでも好き?」と「ポリアモリーだけど、それでも好き?」は同じ批判対象、と言うことになる。
「いやいや、ポリアモリーとベジタリアンは違うでしょ」という声が聞こえてきそうだ。わかる。
ただそうであれば、その違いを明確にする必要がある。
おそらく、受け手がすることになるガマンの種類の違いだろう。
この手の批判をする人は
・受け手が納得してないけど同意したのがポリアモリーで、
・受け手がある程度納得して同意したのがベジタリアン
と捉えている。
つまり、ポリアモリーは同意させられた「悪性のガマン」で、ベジタリアンは納得して同意した「良性のガマン」ということだ。
ポイントは自己決定の度合いの違いだろう。
**
「ポリアモリーの関係に同意した人は自己決定させられた人に違いない。被害者だ!」という正義感**から生じるのが
💢批判3:相手にガマンを強要しているだけ
をする人の主張だろう。
■自己決定を尊重できる世の中に
僕も思う。自己決定は大切だ。
自己決定感が上がると幸福度が上がる。その割合は収入の1.4倍も影響すると言われているほどだ。
だとしたら、先ほどの批判には大事な視点が抜け落ちている。
ポリアモリーに同意した人は自己決定の度合いが低いと前述したが、それでも同意という大きな方向性は変わらない。
つまりポリアモリーを受け入れた彼ら、彼女らはその手前で
・ポリアモリーに同意(理解)しようとする方向
・ポリアモリーに同意(理解)しようとしない方向
という大きな2択で自己決定を既にしているのだ。
💢批判3:相手にガマンを強要しているだけ
を主張する人が、自己決定を重視するのならば、まずは相手の大きな決定を尊重し、応援するべきではないだろうか?
それせずにを「あなたは自己決定をさせられた被害者だよ」と引き戻したり「お前は自己決定をさせた加害者だ」と攻撃する行為が誠実なものと僕は思えない。
本来は応援すべき立場の人を
1.被害者に仕立て上げ
2.それを擁護する立場を取り
3.自分が気に入らない考えを攻撃する
という戦い方は、戦略としては高度だが、結果的に相手の幸福度も下げるし、生産的でない気がする。
■ポリアモリーだと子供がかわいそう?
さて、真摯に向き合うシリーズも次回が最後。最後は
💢批判4:子供の気持ち考えた?かわいそう
💢批判5:美男美女ならわかるけどブスばっかじゃん
と向き合ってみる。
僕自身も子供がいるので、どこまで冷静になれるかわからないが誠実なクズとしてできる限りやってみよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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