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「懐かしいあの曲」という同時代感覚は消滅していく?

今年のゴールデンウィークにTOKYO FMが『LIFE TIME AUDIO マイファーストミュージック 14歳のプレイリスト』という番組を放送しました。「人は14歳のときに聴いた音楽で、その後の音楽の好みが形成される」という記事が以前ニューヨークタイムズに掲載されたことがあり、
そこからインスパイアされて「みんなが14歳のときに聴いてた音楽をたずねてみよう」というコンセプトになったそうです。

福山雅治さんが14歳で聴いてたのは浜田省吾「マネー」

番組では矢沢永吉さんと福山雅治さんというビッグな対談もあり、1949年生まれの矢沢さんはビートルズの『プリーズ・ミスター・ポストマン』(1963年)、1969年生まれの福山さんは浜田省吾『マネー』(1984年)を挙げていました。またリスナーの「14歳のプレイリスト」も紹介され、24歳の女性はGReeeeNの『キセキ』(2008年)。どれも年齢と曲の時代がおおむね一致しています。

いっぽう、1963年生まれのリリーフランキーさんは、ビートルズの『恋する二人』(1964年)。生まれたころの曲ですが、ビートルズの存在というのはやはり特別で、どの世代であろうが老若男女一度はビートルズを通過する時期があるということなのかもしれません。

中学生に人気のある村下孝蔵「初恋」

興味深かったのは、17歳のリスナーの選曲『僕が僕であるために』。これは故尾崎豊さんの1983年の曲で、現在の17歳が生まれるはるか以前です。そういえば先日、中学生の少年と雑談していて音楽の話になり、「最近はギターで歌を歌ってYouTubeで配信したりもしてる」というので「へえ何を歌うの?」と聴いてみたら、「村下孝蔵の『初恋』」と即答。これも1983年の曲ですね。

この『初恋』は最近リバイバル的なブームになっているようで、今年に入って新しいMVも作られています。

サブスクが音楽の時代性を終わらせた

『僕が僕であるために』や『初恋』のような古い曲がティーンエージャーに普通に聴かれるようになっているのには、Spotify、Apple MusicなどのサブスクやYouTubeの普及が背景にあるのは間違いありません。

これらの音楽サービスでは、古い曲も新しい曲もフラットに並んでいます。ニューリリースだけを聴くことができるプレイリストもありますが、多くのプレイリストでは新旧取り混ぜて集められ、古今の自分の好みの曲を聴き続けることができる。これによって世代の差が消滅しつつあるのです。

加えて、同世代の「みんな」で共有される音楽というのも少なくなってきています。音楽ジャンルがソウルやヒップホップ、シティポップ、アイドル、メタル……と細分化され、ジャンルをまたいでしまうと好きな曲やミュージシャンはまったく異なり、もはや雑談さえ成り立ちません。

この結果、同じジャンルを好きな人は老若男女で古今の同じ音楽を聴いているけれども、ジャンルが違えば同世代でも聴く音楽がまったく異なるという構図に変わってきているのです。

明治大正生まれは浪曲や民謡を聴いていた

振り返れば、昭和のころは世代によって聴く音楽がまったく異なっていました。わたしは1960年代生まれで高校生のころはフォークやロックを聴いていましたが、「昭和ひとけた」世代の母親はポール・モーリアのような軽音楽やサム・テイラーのジャズなどをよく聴いていました。祖父母の世代になると明治大正生まれで、浪曲とか民謡を聴いていたのをうっすら覚えています。

こういう世代感覚は消滅しました。そして「あの時代に流行った音楽」という同じ時代を生きた者としてのノスタルジーや共感というのもだんだんと薄れていっているのではないかと感じます。

そのような先には「14歳のプレイリスト」はどう変わっていくのでしょうか。

なぜスポティファイは南沙織や早見優を勧めてくるのか

わたしはスポティファイを毎日のように聴いてますが、ときおり鳴らす「タイムカプセル」というプレイリストがあります。これはユーザーごとにパーソナライズされ随時更新されるプレイリストで、自分が思春期ぐらいのころに聴いていたであろう音楽をAIによって推測し流してくれるというものです。たとえばいま現在のわたしの「タイムカプセル」だと、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースやドゥービー・ブラザーズ、TOTO、ザ・ポリス、ビリー・ジョエルなど70年代末から80年代ぐらいにたしかにわたしが聴いていた音楽が流れてきて、たいへん懐かしい気持ちになります。

ただ不思議なのは、当時のわたしはまったく聴いていなかった南沙織や早見優、松田聖子などのアイドル歌謡が入ってくること。なぜだろうとしばらく考えて、はたと気づいたのは、昨今のシティポップブームです。1970年代から80年代の日本のシティポップが逆輸入のようなかたちで日本でも再燃しており、シティポップっぽい新しい楽曲もたくさん登場してきています。最近はそうした音楽をよく聴いているので、シティポップっぽい曲調をもった70〜80年代のアイドル歌謡を「これも佐々木は聴いていたんだろう」とスポティファイが判断したということなのでしょう。

「14歳の音楽」が永久保存される世界がやってきた

スポティファイのようなサブスクはまだ歴史が浅く、わたしが高校生のころに「本当に」聴いていた音楽は知りません。しかし現在の思春期世代は、いままさに聴いている音楽がすべてデータ化され、履歴として残されていきます。何十年か先に「あなたが14歳のころに聴いていた音楽はこれだ」と履歴そのものが突きつけられるようになる。AIによる推測ではなく、リアルな履歴が存在しているのです。

そのリアルを人は本当に懐かしく感じるのだろうか、というのも興味深いテーマです。人は過去を美化しますからね。

いずれにせよ、世代感覚はだんだんと消滅しようとしています。そして「時代の音楽」もなくなり、個人によって「14歳の音楽」がそれぞれが異なるという時代になっていくのかもしれません。その未来にわたしたちの「懐かしさ」はどうなっていくのでしょうね。

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