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ウクライナの人たちへの共感「だけ」ではなく、さらに認識を深めよう

ロシアのウクライナ侵攻が始まって、ウクライナの人たちへの共感が世界中で高まっています。

共感が広がり、ウクライナを支持する人が世界で増えていくのは素晴らしい。そういう力こそが戦争を終わらせるひとつの要因となっていくことが期待できるでしょう。ただ共感だけに終わるのではなく、もう一歩進んで、背景事情や今後の展望などについての理解をさらに深めていくことが大切だと思います。

書籍『反共感論』に書かれていること

心理学者ポール・ブルームが書いた『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』という名著があります。

共感(Empathy)は社会のための重要な感情だと一般には考えられています。共感を定義すれば、「他者が感じていることを、自分でも感じようとすること」。この感情はたいていの場合にはよい方向に働きますが、決して万能ではありません。社会を良くしていこうと考えるとき、共感だけに頼ることは危険であり、共感がネガティブに働くこともあるということを上記の本では論じています。

共感はスポットライトを狭く絞ってしまう

たとえば、共感は「スポットライトを狭い範囲に絞ってしまう」という問題があります。ひとりの死者は注目を集めて共感されやすいが、たくさんの人の死や遠く離れた土地での死は、共感されにくい。つまり共感はつねにスポットライトで注目を集める場所にしか向かわないという問題です。

たとえば、2015年にパリで起きた同時多発テロを思い出してみましょう。イスラム国が引き起こしたこのテロは、死者130人負傷者300人という凄惨な被害となりました。メタルバンドのライブコンサートが行われていたバタクラン劇場では銃が乱射され、自爆と銃撃戦で観客89人が出たのはだれもが覚えているでしょう。

このときヨーロッパや日本では、パリのために追悼する人々がたくさんいました。東京のスカイツリーやシドニーのオペラハウス、ドイツのブランデンブルグ門は、フランス国旗の三色にライトアップされ追悼の意が表明され、SNSでも自分のアカウントの写真にフランス国旗をあしらう人が日本でもたくさんいたのを覚えています。

パリのテロが起きたとき、シリアでもたくさんの人が苦境にあった

しかしこの2015年は、イスラム国のもうひとつの戦場であるシリアでも悲惨なことがたくさん起きていたのです。内戦が始まって4年が経ち、国内外の避難民は700万人にも上り、そのうち子どもは90万人にも達していました。彼らは難民キャンプの断熱が不十分な建物で、氷点下を下回る気温と雨雪、強風にさらされていたのです。

さらに2015年の春にはシリアのパルミラ遺跡のある地域をイスラム国が侵攻し、戦闘で100人以上の死者が出たうえ、パルミラが制圧されると市民数百人が「シリア政府の協力者」として虐殺されました。遺跡を守ろうとした考古学の専門家さえも処刑され、頭部を切断されて遺跡の中に吊るされて晒されたのです。

このようなむごい事態に陥っていたのにも関わらず、世界に衝撃を与えたのは、シリアの人々死よりも世界遺産だったパルミラ遺跡がイスラム国によって破壊されたことでした。世界中の人々はシリア人の死ではなく、過去の遺跡の破壊を嘆き悲しんだのです。

パリとシリアを分けたものは何だったのか

パリとシリアを分けたものは何でしょうか。パリは先進国であり、同じ先進国の人たちにとってはパリ市民は共感しやすく、そして平和な都市であり大規模な悲劇など起きないと信じられていました。それに対してシリアはあまり馴染みのない中東の国であり、先進国でもなく、そこに住む人達を具体的にイメージしにくいということがあったのかもしれません。アレッポなどを観光や仕事で訪れ、現地に親しくした人がいたような場合だったら、きっと異なる共感のイメージがあったのではないかとも思います。

今回のウクライナでも、同じような感情が働いているのではないでしょうか。ウクライナの人々に共感するのはとても大事で、それを私は否定しているわけではないのですが、その向こう側の世界にもさまざまなことが起きさまざまな悲劇があるのだと言うことを、私たちは共感しつつも、つねに忘れず意識に留めておく必要があります。

「かわいそう」に終わらず、その共感を支えるための知識を積み上げよう

そのためにも、単に「ウクライナの人かわいそう」と共感と同情を送るだけでなく、なぜ今回のような事態に突入してしまったのか、プーチン大統領の頭の中はいったいどうなっているのか、今後どうなるのかといった、「共感の気持ちを長く支えていくための知識」を、外交安全保障の専門家の人たちの素晴らしい発信などをていねいに読みながら、自分自身の中に蓄積していくことが大事なのだと思います。

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