子育てにおいて「ジェンダーバイアス」とどう付き合うか
お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。
今日は「子育てにおけるジェンダーバイアス」というテーマで書きたいと思います。
子育てにおけるジェンダーバイアス
ジェンダーに関する議論やアクションは徐々に広まって来ましたが、子育てにも「ジェンダーバイアス」は潜んでいます。
「ジェンダーバイアス」の何が難しいかというと、いわゆる「アンコンシャス・バイアス」というやつで、自分の価値観がすでにバイアスであることに気付けないことが一番の課題です。「気づいていないことに気づく」って相当難しいからです。
そしてこうしたバイアスは日常の中で何気なくつい出てしまいます。僕自身、なるべく意識的であろうとしていても、日々の子育て中についバイアス的な言動をしてしまい反省することがあります。
たとえば、我が子は娘なので、身だしなみや言葉遣いについて嗜める時に、つい「女の子なんだから」という言葉が出てしまいそうになったりします。「女の子」だから身だしなみに気をつけないといけない、というのは明らかにバイアスですが、ついそう思ってしまうのはやっぱり自分たちが育ってきた時代の影響があると思います。
僕は1976年生まれで青森で育ったのですが、その時代は男性と女性の役割が今よりもはっきり分かれていました。男性は強く、なんならちょっと乱暴とか粗野な方がいい、対して女性はおしとやかで控えめでやさしい方がいい、みたいな感じですね。
自分たちが刷り込まれてきた価値観、それも「その方がいい」という美徳として教えられてきた価値観を疑うのはなかなか大変です。
親が一世代前の価値観を受け継いで、そのまま同じ価値観をリレー形式で引き継いでしまうと、子供にもバイアスを再生産してしまうので、常に「この価値観って実はバイアスかも?」と問い直す意識が必要。過去の価値観をそのまま引き継ぐのではなく、現代の親としてジェンダーのあり方を捉え直して、少しでもバイアスを減らしていけるといいなと思っています。
好みや得意不得意も環境のせいかもしれない
例えば、デパートで子供服を買おうとすると「男の子ですか?女の子ですか?」と聞かれ、男の子なら青や黒、女の子ならピンクや赤をおすすめされることがあります。最近はだいぶ色の選択肢も増えてきましたが、ランドセルの色なんかもそうですよね。
色の好みなんかもつい、「女の子がピンクを好きなのは自然」とか思ってしまいます。「だってどっち選ぶ、って聞いたらピンク選ぶよ」と。
でもそれって環境的な刷り込みのことも多いんです。小さな頃から「女の子はピンク」みたいなステロタイプを見させられ続けていたら、そっちを選びがちになりますよね。
「女性の方が細かな気配りができるので家事や育児に向いている」とかもそうです。もちろん生来そういう女性もいるでしょうが、家事や育児を男性よりやらなくていけない環境にあれば、女性の方が得意になるでしょう。
「理系」とかITやテクノロジーのことは男性の方が向いている、とかもそうです。ITやテクノロジーってもはや「鉛筆」くらい誰でも使う道具でしかなくってきていて、それに得意不得意って本質的には無いと思っています。ただ、少し前の時代だと教育においてもそもそも「男子は技術、女子は家庭科」みたいに分けられていたり、パソコンなどのツールと接する機会が男性の方が多かったりしたので、僕らの世代まではある程度そうした傾向はあるかもしれません。
ある時点ではたしかにそういう傾向があるかもしれないけれど、それって環境的に偏りがあるからで、近いほうが得意になるのは当たり前です。「自然」に思えることでも接触機会の偏りを是正すれば変わっていくかもしれないのです。
ただ言葉を封じるのではなく、バイアスとして伝える
ちなみに、バイアスには気をつけた方がいいとおもうのですが、それが言葉を封じることにはならない方がいいと思っています。
例えば子供に服を選ぶ時に「どっちが似合う?」と聞かれたとします。その時、ピンクの方が似合うとおもったらどうしたらいいでしょうか。「ピンク色を薦めるのはバイアス…」と言葉を飲み込んだ方がいいでしょうか?
たしかに自分でピンクがいいと思っても、それは旧世代のバイアスだったり、刷り込みや環境のせいかもしれません。それをそのまま伝えるとバイアスを再生産したり強化してしまうので言っちゃいけない!自分の意見は言わずに「どっちも似合うとおもうよー」みたいな曖昧な言葉で濁すべきでしょうか。
バイアスを全て否定してしまうと、なにもアドバイスできなくなってしまいます。そもそも「バイアス」が全くない意見などありません。バイアスを避けるがあまり親子のコミュニケーションが減ってしまうのは本末転倒な気もするので、あまりにも縛られすぎない方が良いと個人的には思ってます。
じゃあどうするかというと、バイアスはバイアスという前提で伝えるのがいいかなと。
「今からお父さんは自分の意見を言うけれど、それはお父さんのバイアスに基づいた意見だよ、自然でも正解でもないよ」とちゃんと前置きをした上で意見を伝える。「お父さんはピンクも似合うと思うけど、それは1970年代生まれだからそう思うのかもしれないし、今の時代だったらちがう選択肢もあるとおもう」みたいな感じですね。
こうすれば何も言わないのではなく、自分の意見は伝えながらバイアスをお互いに意識することができます。
バイアスの一番危険なのは、「自分にはバイアスがない」と思いこんで、客観的な事実と取り違えたり、決めつけてしまうことです。「女の子はピンク」とか「女性は生物学的に弱いから守られるもの」とか、「男は狩り、女は採集」とか。
さも事実のように言われていることでも根拠がないこともありますし、環境のせいで一定そういう傾向があったとしても個体差はあります。それをあたかもバイアスではなく事実のように決めつけるのが問題だと思うのです。
なので前提として、自分はこういう意見だったり昔はそれが支配的だったけど、そうじゃないのもありかもね、という前提で話す。好きになる人だって異性とは限らないし、何なら三次元とも限らないかもしれない。
そうすると、「たしかにどうなんだろう?当たり前だとおもってたけどそうでもないかも…」と価値観についての新しい対話が生まれます。「バイアスになるかもしれない」とただ口をつぐむより、むしろそうして対話を増やしていった方がいいのではないでしょうか。
とくに父親の皆さんは子供とのコミュニケーションが少なかったりすることもあるかと思います。子育てに関する環境はまだまだ偏っていて、学校の行事だったり相談とかに行ってみると、母親の方が多数派です。父親はそもそも子供と話す機会自体が少ないかもしれないので、なおさら言葉を封じるのではなく、もっとコミュニケーションを増やしていったほうがいいのではと思います。
子育てにおいてジェンダーバイアスに無自覚にいると過去のバイアスを再生産してしまったり、強化してしまったりします。
まずは自分の意見が単なるバイアスではないか、と疑ってみること。たしかにそういう傾向があったとしてもそれは単に過去の構造の偏りや近さのちがいによるかもしれません。
そしてそうしたバイアスに気づいた時、ただ黙ってしまうのではなくバイアスをバイアスとして伝え、それについて一緒に語ったり考えたりできるといいですよね。
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