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同じ事実を見ていても意見の対立が起きるのはなぜか?

今月から、ヤフー公式オーサーとして記事を連載することなりました。第1回目の記事は、自己紹介を兼ねて、20年後には日本に到来する「超ソロ社会」の概要をまとめてみました。未婚化、少子化、高齢化、人口減少を抱える日本の現状をコンパクトにまとめてあるので、ぜひお読みください。

ゾンビ家族という言葉を使っていますが、グロ記事ではありませんのでご安心ください。

 ちなみに、ソロ社会化、人口減少は日本だけの問題ではありません。以下の記事にある通り、韓国も台湾も中国ですらそうなる。どれも「結婚が作られず、壊されている」少婚多離現象によるものである。

東アジアだけではない、早晩、東南アジアもそうなる。中東だけは読めないが、今世紀の中で確実に人口が減らないのはアフリカ諸国だけになるだろう。それについてはこちらの記事に詳しく書きました。

とはいえ、今回の記事で一番言いたいのはそういうことではなく、「ファクトとの向き合い方」です。

人は見たい事実しか目に入らない。興味のないことは目の前にそれが表れても視界に入りません。また、たとえ同じ事実を見ていても視点が違うことで意見の対立が起きることがあります。視点が違うだけで同じ事実がそれぞれで変わるわけです。重要なのは各人の視点の多重化です。記事ではカマンベールを例にしていますが…。

言われてみればそうだと思うかもしれないが、案外できていない人が多い。

視点の多重化とは、言い方を変えると自己のメタ認知でもあります。さらに言い方を変えると世阿弥のいう「離見の見」です。

世阿弥の「離見の見」とは、自分の姿を背中越しに見るような視点でみつめたり、客席側に視点を置いて見つめるということです。演じる時に主観的にならないこと。それがエンタメとして当たり前の心得だと室町時代に世阿弥は説いています。

現代でもこの「離見の見」ができている人はコミュニケーションが上手。逆に、どんなに頭のいい人でも、これができていないがゆえに、相手から「上から目線」「偉そう」と思われて、せっかくの話も聞いてもらえなくなります。

主観的にしか視点を持てない人の最たる特徴は「私は正しい。だからお前は間違っている」と自分の解釈だけが絶対的正義であると信じて疑わない人です。よくみかけますね。絶対的正義なんてこの世に存在しません。いうなれば、視点の数だけ正義は存在します。

事実を事実として正確に把握した上で、その事実を見る視点がひとつだけに陥っていないかを確認する。解釈はその後でしなければなりません。

他人の意見にムキーとなって感情的に攻撃する人は視点の多重化できていない人。できた上で反対意見を言わけても、「ああ、そうきたか」とわかるわけで、感情的になる必要もないから。

あと、よく「言ってることが前と違うじゃないか」と非難する輩がいるのですが、「言ってることが一生変わらない奴こそ視点がひとつしかない」という証拠でもあります。考え方なんて変わっていいんです。

ちなみに、世阿弥の有名な言葉には「初心忘るべからず」というのがあります。この言葉も多くの人が勘違いしています。初心とは決して若い時の初々しい気持ちのことを意味するのではありません。いつでも、何歳になっても、どんな場面であっても初心は存在します。人生訓としてもいろいろ学びが多いので、お時間あればぜひ。


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