「お父さんはさぁ、どんな仕事をしていたの?」7年前に撮ったビデオテープ
何かしらのきっかけがなければなかなか書くこともないから。
父の日なんで、父のことを書こうと思う。
今日の日経朝刊は、角ハイボールの広告くらいしか、父の日のことが載っていなかったので、「日経」「父の日」で検索する。すると、こんなデータが出てきた。
少し抜粋すると
父の日にプレゼントを贈る人が多い都道府県は、大都市圏以外が上位を占めた。「習慣に地域差があることが明らかになった」
父親にプレゼントを贈る割合が最も高かったのは秋田県の87.0%。2位は佐賀県の86.4%(後略)
僕の故郷はその2位の佐賀県であるが、父の日、何か贈ったかなあ、、記憶がない。僕は残りの13.6%の方かもしれない。
父は4年前に亡くなったので、何かあげることはできないので、こうやって記憶をアーカイブする、というプレゼントにしようと思う。
2年前の父の日。このnoteを書いた。その続きになる。
父は、植物学者だった。亡くなる10年前くらいからか、70代に入ってから、徐々にパーキンソン病の症状が出てきた。少しずつだけど、「カ行」が言いにくくなったり、水が飲みにくいから炭酸水を飲むようになったり、していた。
ほんと、仕事にずっと邁進する父で、家族旅行も行き先が山だったり(つまり半分仕事)、ドライブの途中も急に止まって、道端の草を撮影したり採集したりしていたが、
家族にとっては、植物で、どんな研究をしていたのかは、専門的で、あまりわからなかった。
夏休みの自由研究も小1〜3年まで一緒に植物採集をして、植物の名前はやたらと教えてもらって覚えたが、さて、父の仕事がどういうことなのかは、わからなかった。
これは、聞いとかないと、ほんとにわからないままになるかも。
言葉が出にくくなった時に、帰省するたびに、面と向かって聞いてみることにした。ただし、照れ臭い。なので、ビデオテープを回した。これはほんとオススメ。ビデオがあるだけで話しやすくなる。
映っている画像は、あまりにも実家感がありすぎるから、ここには載せないけれど、
「で、お父さんはさぁ、どんな研究をしとったと?(していたの?)」
そう聞くと、ポツリポツリと、過去のことを話し始める父が、このビデオには映っている。
一番印象的だったのは、カンアオイ(多分。ビデオ見返して違う植物だったらここ修正します)という植物の研究をしていた時の話だった。
一時期、父は、この植物の佐賀県での分布を、東大教授と組んで調べていたらしい。
この植物は、1年に50センチずつ、種を西側に落とす。西側に風が吹いているから、その流れに乗って、少しずつ、移動するらしい。
そして、この植物は、中国と日本が地続きだった頃に、大陸から渡ってきたという。
中国大陸と佐賀県の距離は約800キロ。1年に50センチずつ動いて移するとなると、、
160万年!?
この計算が本当に正しいかはわからない。が、そのスケール感である。この話はとても面白かった。
そして「なぜ分布を調べるのか?」も聞いた。
佐賀県の北部(唐津とか)にあり、佐賀県の南部(佐賀市とか)にもある植物があるが、真ん中にはないものがあるという。それは朝鮮から来たものと、南の方から来たものとある。とか、そんな話だったと思う。
そんな話から思ったのは、採集し、分布を調べることで、「新種」も見つけることにつながることだった。
僕は植物学者ではないが、結局父と同じことをしている。
集め、体型立て、新種を見つける。それを、コンセプトやアイデアの分野で行っている。仲間たちと見つけている(考え出している)のは、新種の方法論やコンセプトである。
Forbesでは「ニューコンセプト採集」
教育では「伝説の授業採集」
Discovr Japanでは「日本の奥義採集」(日本古来のコンセプトでイノベーションに効くもの集め)
植物学者の父だから、「採集」という名前を最初からつけたわけではない。連載として、他になく、なんとなく楽しそうなもの、、と考えたら、「採集」とつけていた。
最近、ふとした瞬間に、うわ、父親に似てる、と自分で思うことがある。
食べる時の背中の曲がり具合とか。水が気管に入った時の咳の仕方とか。
そして、「何かを生み出すために集める」というのも無意識のうちに似ているのかもしれない。
亡くなる前に、実家にあった植物採集、2万点だった。植物ではないが、その習慣はなんとなく僕が引き継いで、本とかプロダクトとか情報とか、やっぱり集めてしまうのは、父から引き継いでしまったDNA?のせいだと思う。
世の中に役立つ新種。
さらに、見つけていこうと思ってますよ、お父さん。
気の合う仲間たちと、みんなでね。