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劇団ノーミーツをビジネスパーソンが体験した方がいい理由を暑苦しく語りたい!

 Potage代表 コミュニティ・アクセラレーター河原あずです。ビジネス系イベントだけではなく、もともとはエンタメ系イベントの出自です。

 さておき、今回は「劇団ノーミーツ」について触れたいと思います。ご存じの方も多いかもしれませんが、現在、公演「それでも笑えれば」を上演中のオンライン劇団です。

 ビジネスパーソンが対象読者の日経COMEMOにおかれましては「ビジネス関係ないやん!趣味の話をするなや!」と思う方もいるかもしれませんが、これが、数多くのビジネスパーソンを虜にしているのです。初公演「門外不出モラトリアム」の際に、自身のnoteでそのことは触れました。

 そして最新公演を目の当たりにして、これはCOMEMOでも触れねば!と思った矢先に、KOLの島袋孝一さん(しまこさん)には先を越されていました。

 さて今作「それでも笑えれば」ですが、ぼくが27日の夜公演をみ終えて真っ先に覚えた感想は「文句なしの最高傑作」でした。劇団ノーミーツの…ということもありますが、NewNormal時代のコンテンツとしての最高傑作、とも言えるかもしれません。

 なぜそう感じたかというと、2020年という、かつてない時期をそれぞれ思い返しながら、この時代にとって大事な「向き合い方」のエッセンスが、各所にちりばめられているからです。そういう意味では、つくった当人たちはそう思っていないかもですが、ビジネスパーソンたちも含める今の時代を生きるすべての人たちに向けた、非常にメッセージ性の強い作品だと感じています。今回の記事では、そのエッセンスを、ひとりのビジネスパーソン視点で読み解いていきます。


※なお、ストーリーのネタバレは極力排して書いておりますので、なにとぞご安心ください。ソーシャルメディアに流布している情報程度の触れ方になっています。

イノベーションが起きた瞬間に立ち会える高揚感

 まず前提として、なぜ、劇団ノーミーツに、数多くのビジネスパーソンが夢中になっているかの理由について触れておきたいと思います。ノーミーツがビジネス界隈に「バズる」きっかけになったブログ投稿をした徳力基彦さんをはじめ、at will work代表理事の藤本あゆみさん、ヤプリの島袋孝一さんなどなど、COMEMOのKOLの名前だけあげても、ノーミーツフリークはたくさんいます。そしてファンを公言するビジネスパーソンは、あげるときりがないくらいにたくさんいます。

 先ほど引用したぼくが書いた記事では、ビジネスパーソンがノーミーツに魅了される理由を次のように語りました。

ノーミーツは、演劇界に、イノベーションをもたらした。その瞬間に立ち会ったことに、多くの人たちが興奮を隠せないのです。

たくさんの(普段は演劇から縁遠そうな)ビジネスパーソンは「ノーミーツは、演劇界にイノベーションをもたらした。」そのことを直感的に感じ取り、社会に立ち向かうその態度に、最大限の共感と賛辞を示しているわけです。

 ここでいう「イノベーション」とはnote記事から引用すると「「儲からない」と関係者みんなが信じ込んでいたモデルを「直接近距離で逢えない」「お客さんを物理的に集められない」という制約条件を乗り越えた上で、ひっくり返したこと」を指しています。劇場をおさえ、役者を拘束し、固定費がかかる上に収益には限界のある演劇のビジネスモデルをひっくり返したことに、ノーミーツのイノベーションの本質があるわけです。

 ただ、ノーミーツにおけるイノベーションの本質は、ビジネスモデルのみにあるわけでもありません。ちょっと大げさに言いますが、ぼくがノーミーツのコンテンツにはじめて触れたときの感動は、たとえばUberやAirbnbをはじめて利用したときの感動や高揚感に似ているのです。

 その高揚感の源泉は、従来型のタクシーやホテルとは似て非なる「体験」だったことにあります。ノーミーツはまさに、従来型の演劇や映画とは似て非なる「体験」を創り出すことで、「これはイノベーションだ!」という感覚を直感的に提供することに成功しているのです。

 世の中にあふれる情報量が増え、創作でも模倣がベースとなり「〇〇は××に似ている」というのが作品を語る上で最初にどうしても先行してしまう昨今において「まったく新しい!」価値観を提示した。そこにノーミーツの魅力の根本があると言えるかもしれません。

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選択の連続だった2020年を重ね合わせた「選択式演劇」

 そして、最新作「それでも笑えれば」についていよいよ触れていきます。ちょっと音楽雑誌のレビュー記事みたいに暑苦しくなってきましたが、めげずに続けたいと思います。

 今作の目玉は、お客さんの選択によってシナリオがかわる「選択式演劇」システムです。最初は些細な選択肢を提示し慣れさせた後には、「こんなこと選ばせるのか!!」という重い選択肢があらわれます。そして、終了まで続く数々の登場人物たちの「選択」に対して「こんなことまで選びたくない!選択させないでくれ!」という心の中の叫びが延々続くことになるのです。(実際、リアルタイムに観劇中投稿できるチャット欄には、同様の「叫び」がなだれのように発生していました)

 選択式演劇の面白いところは、その仕組みももちろんですが、一度「選択がストーリーに影響を与える」と見る側に刷り込むことで、ひとつひとつの登場人物の「選択」への、強い感情移入を促し「没入感」を生み出すことにあります。

 たとえばテレビドラマでもウェビナーでもなんでもいいのですが、ストリーミング型のコンテンツにおいていちばん難しいのは「没入感」をつくることです。要するに「コンテンツを受け身になって消費される」のではなく「前のめりになってみてもらう」ことが大事なわけです。

 見る側に「ストーリーを選択させる」ことは、ストーリーへの介入をうながすことで、強力な没入感を与えます。これは学校の授業で生徒のひとりを指名して発言してもらうと、参加者の空気がピリッとして授業への集中力が続きやすくなるのとおなじ現象です。ぼくもファシリテーターとして、ステージ進行の際によくやるテクニックでもあります。

 もうひとつ、没入感を強めているシナリオ上の仕掛けがあります。過去、実際起きた出来事をさりげなく混ぜる「こんなのあった」シーンをちりばめていることです。「トイレットペーパーなくなるよ」「マスクが届かない」などのキーワードにより、見る側の意識は、そんな状況があった過去の自分に意識が戻ります。

 また、今回の作品はすべてZoomの画面構成で進行するため、ひとつひとつのZoomでの会話や、いわゆるZoom飲み会の様子が「Zoomあるある感」を助長し、登場人物のひとつひとつの行動にリアリティを与えるのです。

 今回の作品は「選択」がテーマです。そして、2020年という1年は、誰もが、決して軽くない「選択」を迫られた1年でもありました。

 登場人物たちは、そんな「選択」をしてきた自分たちの代表者でもあります。仕事でうまくいかない中、方針を変えたり、自分の気持ちを偽ってみたり、本質的ではない仕事に邁進したり、安定を求めたり、近い人との深いつながりを求めたり……そんなストーリーの中の選択のひとつひとつに、自身が2020年にしてきた選択を連想させられるのです。ぼくも、終わったあとしばらく茫然し、この1年のことをぐるぐる回想しながら、自身の選択のひとつひとつをかみしめていました。

 これを2020年の締めくくりに持ってきた劇団ノーミーツのセルフプロデュース力たるや、おそるべしですが、ビジネスパーソンがこの作品をみることで、自分の仕事やプライベートでの「選択」を省みることは、2021年に向けてとてもいい効果をもたらすとぼくは考えています。自身の行動から意味をとらえることには、ちょっとしたセルフコーチングの効果がありますし、それをもとに次の行動の指針を決めると、行動の精度が向上するのです。

「コロナのせい」にしないことで生まれる「自律的選択」

 「それでも笑えれば」の登場人物たちはすべて「普通の人」です。この普通さが、作品の価値づくりに大きく貢献しています。

 最初の公演作品「門外不出モラトリアム」は普通の女子大生が主人公でしたが、タイムリープできる時点で「普通」ではありませんでした。前作「むこうのくに」はAIをつくる天才が主人公でした。また、近未来設定をすることで、ファンタジー感が作品全体で増していた点でも「普通ではない」シチュエーションでした。

 しかし今回は「2020年を生きる普通の人たち」しか登場していません。超能力を使ったり、卓越した才能があったりしない、日常の中でもがき迷い苦しんでいる人たちばかりだったのです。

 今作はZoom画面を通じて配信されていました。延々Zoom上での普通の人たちの普通の部屋で普通の会話が続くのです。けどこれがきちんとドラマとして成立しているところに、今作のシナリオと演出の完成度の高さを思い知ります。普通のことを面白く見せることほど、エンタメにおいて難しいことはないのです。

 そしてその難しさを乗り越えた先には「リアリティ」が生まれました。こういうことが実際に、この1年間起きていたろうな、という感覚。そして、自分もこれに近しい体験をした!これは自分だ!という感覚です。

 そのリアリティをつくりあげた先に、作品の持つメッセージ性がパンチとなって効いてきます。「コロナのせいにしない」というメッセージです。

 (ちなみに、このリアリティを決定づけるためか、前作、前々作ではあえて使っていなかった「コロナ」という具体名称を今作では使っています)

 登場人物たちはそれぞれにそれぞれの「選択」をしていきます。人生において大きな分岐点にそれぞれなりうる、それなりに重い選択です。迷いながら選択していくのですが、特に主人公たちは、当初は出てきていた「コロナのせいで」「コロナがなければ」という言葉をだんだんと口にしなくなります。このさりげない変化をベースに、主人公たちの自立を描いているのです。

 「コロナのせいで」という言葉には「他責の念」がこめられています。一方で、コロナの影響はあったものの前向きにする選択は「自律的選択」です。

 ビジネスパーソンの1人としてぼくが作品を観る中で思わず考えていたのは、自身はこの1年、どれだけ自律的に選択できていたかということです。

 みなさまももしかしたら2020年「コロナのせいでこれはできない」「俺はこうしたいのだけど、コロナの影響で上がこういうからそれができない」などと言って、「他責の念」をこめながら一貫性のない言動や行動を繰り返す人たちを、仕事をする中で見てきたのではないでしょうか。

 具体的例文でいうと「俺はリモートワークを推奨したいが、上が週4回会社に来ないと成果が上がらないというから部員に出社してもらう」というようなものがあります。これは自分の意見を言っているように見えて、複数の「逃げ」を感じさせる「他責の念」の象徴のような一言になります。はっきり言うと「状況に対して何も考えていない」結果生まれる一言です。

 自律的な選択とは、「上の人が問題にしているのは本質としては「成果が上がらない」ことであり、週4回会社に社員がこないことではないはずだ。であるなら、出社による感染リスクを減らす意味でも週2回に出社回数にいったんは妥協しつつも、リモートでチームが動けるような文化をつくっていこう」と、たとえばこういう判断のことを言います。

 前者は「受け身」な思考停止状態であり、後者は「前向き」な選択です。コロナや「えらい人」など、大きなコントロールしづらい存在を目の当たりにしたとき、人は思考停止して、受け身な選択を繰り返す傾向があります。しかしその繰り返しは生き方として「人のせいにし続ける」ことを意味します。そのようなビジネスパーソンが果たして、まわりから尊敬され、世の中に新しい価値を提供できるでしょうか。

 普通の人たちが前向きな選択ができるようになる緩やかな成長の過程を描く「それでも笑えれば」は、迷いながらも、自身で考えて、自身で選びとることの価値をリアリティをもって伝えてくれます。自身のひとつひとつの選択の価値を省みる上でも、ビジネスパーソンが学ぶところはたくさんあるでしょう。

 しょせんフィクションじゃないか。現実はそう甘くない。と斜めに見るかたも中にはいるかもしれません。しかし「劇団ノーミーツがこの作品をつくりあげた」という事実自体が、この斜めな見方を一刀両断します。

 イベントにも何度か登壇いただいた製作総指揮の劇団ノーミーツプロデューサー・広屋佑規さんは、もともとリアルエンタメをつくる専門家でした。そんな彼の仕事がコロナによりゼロになり、途方に暮れたのが起点となり、2020年のエンタメ界を震撼させたオンライン演劇集団は立ち上がっています。

 そこからの1つ1つの「選択」により、オンライン演劇への挑戦が進むわけですが、難しい判断も数多くあったと思います。ツイッターにあげた動画がバズったところから公演化を決意したこと、処女公演が思わぬ大ヒットをしたあと、そこで打ち止めにせずに、第2作をぎりぎりのスケジュール感でつくりあげたこと、法人を立ち上げたこと、何人かの主要メンバーが会社をやめて専属になったこと、オンライン劇場を立ち上げたこと……などなど、ぼくが把握しているだけでも、劇団の現在の価値につながる決断は数々あります。それを結果モノにして、このような斬新なアウトプットをつくりあげたわけです。

 このような状況下でも、世の中を震撼させるアウトプットをつくれることを、劇団ノーミーツは身をもって証明しているのです。ひるがえって考えてみたときに、自分はこの1年どんな決断をして、どれだけ前に進めていたことでしょうか……作品をみながら、考えてみるだけの価値がある問いだと思いませんか?

リモートで価値をつくるということ

 前のパラグラフの後半の何の気なく出した例とつながりますが、もっとも驚くのは、このような作品を、スタッフ間、役者間でまったく会うこともなく(no meets!)劇団が作り上げているという事実です。

 特に技術面での仕掛けが増えた夏公演「むこうのくに」以降、チームの人数は大きく膨れ上がっていると聞きます。実際、チームビルディングは大変だったことでしょう。しかし、「会えない」という制約を創造性で乗り切り、見事に人を感動させるアウトプットを生み出せているのです。

 一方で、今年1年、いったいどれだけのビジネスパーソンが「対面でないと仕事はうまくいかない」という言い訳を繰り返してきたでしょうか。そういう言い訳をついしてしまうすべての人に、劇団ノーミーツの仕事をぼくは見てほしいのです。

 マネジメントのやり方を変え、コミュニケーションの質を高め、「集まる」ことによる空気感に甘えてきたチーム作りを根本から見直していかないと、リモートのプロジェクトはうまくいかないものです。うまくいくために大事なのは共通のゴール設定やビジョンをしっかりと持つことと、チームメンバーを信頼して自主性をもって動いてもらうことなのだと、劇団ノーミーツの仕事は教えてくれます。これぞ、まさにリモート時代の「プロの仕事」です。

 ノーミーツにはおよびませんが、ぼく自身も、リアルでやっていた研修やイベントをオンラインにフルリニューアルしたり、リアルの会場同士をZoomでつないだハイブリッドイベントに挑戦したりしていました。打ち合わせもほとんどがオンラインです。去年の今ごろは「絶対できない」「やらない」と思っていたことが、どんどんできているし、相応の成果が生まれています。「できない」のは勝手にできない理由を設定していたからだし「やらない」のもリアルの場でないとコミュニティやチームはつくれないと勝手に思っていたからなのです。2020年は、そんな自分の枠を外し、自分の仕事の可能性を広げるのに、とても重要な1年でした。

 リモートでは価値はつくれない、というのは妄想です。もちろんリアルが得意なところとオンラインが得意なところはありますが、それを組み合わせることで、成果をつくりあげることはできます。ノーミーツはその証として、輝くモデルケースなのです。

 というわけで、劇団ノーミーツ「それでも笑えれば」は、12/29の20時、12/30の13時、19時と、残り3公演が予定されています。だまされたと思って、覗いてみていただき、感想などいただけると大変1ファンとして嬉しいです。マルチシナリオの特性もあってぼくも、12/30の2公演に再び「参加」する予定です。


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