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当事者の役割と、当事者でない人の役割

先日、大変光栄なことに、ツムラの #OneMoreChoice プロジェクトに関わらせていただく機会がありました。

女性の不調に、我慢に代わる選択肢を。女性が、心身の不調を無理に我慢することなく、いつでも心地よく生きられるように。100年以上、女性の不調に寄り添ってきたツムラが、健やかな社会のあり方を考えます。


基本的に、女性の「我慢」にスポットライトを当てた素敵な企画ですが、男性だって日常的に(めっちゃ)我慢しているわけで、ぜひその視点も、ということで、お声がけいただいたのでした。

この流れで、インタビューがあったのですが、そこで「アンケート結果をみると、多くの女性が様々な我慢をして生活していることがわかりました。それについて、率直にどう思いますか」と問われました。

そこで、ちょっと考えて、こう答えました。「まず、その我慢を、場に出してほしいです」

そうしたら、何か変わるかもしれないからです。でも、場に出さないと、何も変わらない。もちろん、それが容易でないことは百も承知です。それができないから我慢してんだ、あるいは、自分さえ我慢しておけば丸く収まる……、こんな風に考えておられる方も、少なくないかもしれません。でもそれだと、ずっとその状態が続いてしまう。だから、勇気を出して、とにかく場に出して!、と。

すると、インタビュアーの方がこうおっしゃったんです。ひとしきり「ふむふむ」と首肯してくださった後に「でも、当事者の方って、みんながみんな、現状を変えられる余裕があるとは限らないですよね。というか、その余裕がないから "当事者" なんじゃないでしょうか」

ここで自分は、最初、あれ、何か話が食い違ってる……?と思ったのですが、すぐにその訳がわかりました。自分とインタビュアーの方との間で「当事者の役割」に関する認識が違っていたのです。

🤔

何か問題があったとき、当事者は、自ら声をあげ、そして、自分でその問題を解決すべきなのだろうか。そういうトピックも、確かにあると思います。でも、その問題が、この社会の歪みから生じている構造的な問題だったとしたらどうでしょう。例えば、先に記事で引用したPMSの問題です。これって、どう考えても組織が動く必要ありですが、これも、現状を変えたいなら、当事者がどうにかすべきでしょうか。言い換えると、これって、女性だけの問題でしょうか。

僕は、全然そうは思わないです。インタビュアーの方がおっしゃった通り、当事者は、当事者だからこそ、現状を変えられない理由を持っていたりします。だからこそ、当事者じゃない人間が、当事者から勝手にバトンを受け取って、アクションを起こすんです。社会問題解決って、そういうものです。

NPOスタッフとして社会問題の最前線にいますと、そんな事例はいくらでもあります。っていうか、そっちの方が多い気すらする。例えば、うち(認定NPO法人フローレンス)は、代表の駒崎が病児保育事業を立ち上げて始まりましたが、当時の駒崎は、子どもはおろか、結婚すらしていない、独身男性です。でも、子どもが熱を出したからと、仕事を休まないといけないお母さん(往々にして、なぜかお父さんではない)。そしてそのお母さんが受けてきた社会からの偏見、理不尽に憤りを覚え、創業に至ります。

最近では、東京都で、都内の民間バス全線で「二人乗りベビーカー」の乗車が解禁されましたが(今までダメだったことが信じられないわけですが)、実はこれも、弊会の仲間であるいっちーさんが、多胎児を育てるご友人の窮状をどうにかしたい一心で始めたソーシャルアクションでした。そしていっちーさんは、二人乗りベビーカーを使う機会など人生で一度もなかった人です。

僕自身もそうです。「 #保育教育現場の性犯罪をゼロに 」というテーマを掲げて、「日本版DBS」という制度の実装を政府に提言していますが、私の娘が直接、性被害にあったわけではありません。でも、どう考えても、子どもに対する性暴力など許せません。そして、自分にはたまたま、本件で動ける環境とノウハウがあった、だからやれている。それだけです。

けれど、当事者でない人間がある問題についてガンガン動いていると、そこに冷ややかな目を向ける人は、少なくありません。僕も何度「売名行為、乙www」的なクソリプをもらったことか……(苦笑)

でもこれって、何も特別な使命感とかを持ってやってるわけではないです。繰り返しになりますが、社会問題解決って、そういうものです。

先程自分にとって身近な例をあげましたが、社会を俯瞰してみると、自分たちの今の環境、日常的に使っているサービスとかも含めて、いったいどれほどの当事者ですらない人たちの努力と営みで成り立っていることか。その果実を、当たり前に享受している自分。だから、何かできる時に、何かしなければ、と思うのです。

💭

だから、当事者の方々には、まず「我慢」を場に出しほしいと思うのです。その我慢を解決すべく、自分で動ける方はガンガン動いたらいいですし、そういう環境になかったとしても、顔も名前も知らない、当事者ですらない誰かが、その「我慢」を勝手に拾って、アクションを起こしてくれるかもしれません。少なくとも、その可能性が生まれることになります。だから、勇気を出して、声をあげてほしいです。

「自分は当事者なのに、何もできない」なんて気に病む必要は1mmもありません。みんなそうやって生きているからです。それでも「何かしたい」と思うかもしれない。でもそれは、今でなくてもオールオッケー。

自分が誰かのおかげで窮状を脱した時、行動を起こせる余裕と力を持てた時、顔も名前も知らない当事者のバトンを、受け取ったらいいと思います。バトンは本当にたくさんあるので、心配は無用です!

当事者は声をあげ、当事者でない人がそれをつなぐ。この立場も、いつ入れ替わるかわかりません。明日には僕も、助けて!と声をあげているかもしれない。でもそんな、お互い困った時に支え合える社会の方が、素敵だと思いませんか。僕は、思います。


「よし!バトンを受けとる準備ができたぞ!」となった時、ぜひ本書をご一読ください。どうやって自分のような「普通の人」が社会を変えるのか、その方法がとっても具体的に、そして、面白くまとめられています。


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前田晃平
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