組織をケアする「笑い」の意味とは

笑いとは、心の膿が抜けるときに起こる身体の痙攣のようなものなのかもしれません。その幸せな痙攣の前後で気分のありようを変えてしまうのが「笑い」です。すなわち、良い笑いはケアであり、集団・組織を治癒する力を持っているのではないでしょうか。

というわけで、今日は組織と笑いの話を考えていきたいと思います。

組織におけるケア役割を分かち合う

私は今、組織における「ケア」のあり方を探究しています。人と人とが協力して仕事をし、お金をつくり、暮らし、人生を歩んでいく場所が組織です。他者との関係の中で認知に歪みが生まれたり、関係性に歪みが生まれたり、業務によって強いストレスがかかったりして、心身に不調をきたすこともあります。

そうした集団の中で起こる不調に対して「自立した大人なのだから、各自セルフケアでどうにかしなさい」というのでは、組織は持続していかないと思うのです。

そうした状況のなかで、ケアの役割を集中的になっているのが「マネジャー」です。今、事業のビジョンを考え、業務の推進をケアしながら、ひとりひとりの心や人生のありようをケアしていく役割を抱えています。

そのような「マネジャーが抱えているケア役割を組織・チームで分かち合うにはどうすればいいのか」を「ピア・マネジメント」というコンセプトをつくり、探究しています。

組織のケアを担う、「笑い」の意味

ピア・マネジメントの探究において、見過ごしてはならない要素が「笑い」ではないかと感じています。

 以前から「ケアのなかに笑いがあるのではないか?」という直感がありました。 私は笑いの沸点が低いので、仕事をしながらよく笑っています。モヤモヤしたり気分が落ち込んでいたりしても、社内のミーティングで話をしていると気づいたらゲラゲラ笑っていて元気が出ます。

つい先日も、社内のslackで「日本語力を高めるために、てにをは抜かない、主語抜かない!」とポストしてるメンバーがいて「もう"を"を抜いてる」と大笑いしていました。

こんなふうに、リモートワークでも仕事部屋でゲラゲラ笑いながら働いているこの状況自体が、ケアに満ちていると感じることがあります。

このとき思い出すのが「共愉」という言葉です。「共愉」とは、イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティ」という概念を、古瀬幸広・広瀬克哉が翻訳した言葉です。

「共に愉しむ」と書くこの言葉、なぜ「楽」ではなく「愉」なのか、言葉の意味を調べていておどろきました。「愉」には「心の膿を取り出す」という意味があるそうなのです。

そう考えると「共愉」とは、共にお互いの心の膿を抜き取り合う営みであり、笑いとは、心の膿が抜けるときに起こる身体の痙攣のようなものなのかもしれません。

優劣、不一致、ユーモア

しかし、「笑い」にも種類があります。組織をケアし、心の膿を抜くような笑いと、そうでない笑いがあります。この笑いのありようを考えるために、非常に参考になる本があります。それが『笑いの哲学』です。

本書では、笑いを三つに分類しています。それが「優劣の笑い」「不一致の笑い」「ユーモアの笑い」です。

まず、「優劣の笑い」とは、ラッシュアワーの際に見知らぬ誰かが駅の階段ですっ転んだ時、あなたがその光景を目撃し思わず笑みをこぼす。「不恰好なもの」を露呈した他人を笑うことで「笑う者」となり、この笑いによって、他人を「笑われる者」にする。このような笑いを指します。

AさんがBさんの失敗を「いじる」ことで、Cさんが笑う。このようにAさん=笑わせる者、Bさん=笑われる者、Cさん=笑う者という3者の固着化した関係が生まれることが「優劣の笑い」の特徴です。

次に、「不一致の笑い」です。一見すると関係のない二つのものの間に笑いが生まれる状況です。

例えば、最近私は「この泥棒、絶対に〇〇だな。何をした?」という大喜利にハマっています。〇〇にはたとえば「MIMIGURIのメンバー」といった属性や「臼井隆志」と言った固有名が入ります。鍵を開ける、金目のものを探す、取り調べを受ける、といった「泥棒あるある」と、属性や固有名の特徴を組み合わせた回答によって「不一致の笑い」を産出するお題になっています。ハマりすぎて、いきなり大喜利をやらされた被害似合った方が何人かいらっしゃると思いますが、その節はすみませんでした。

そして三つ目が「ユーモアの笑い」です。広くは「真面目なもののなかに遊びの気分をもたらすもの」としたうえで、さらにはこのように描き出されます。

ユーモアとは、人間には山を動かすことはできないという人間の運命あるいは「掟」に直面していながらも、ただ落胆するのとは異なり、何らかの前向きな仕方でその事実に応答する力のことなのである。

『笑いの哲学』木村覚著

チャップリンのような、社会を批判しながら笑いを生み出していくようなコメディアンを思い浮かべればわかりやすいかもしれません。「ユーモアは、社会や問題に巻き込まれすぎないで、問題に向き合う距離と勇気を与える」とも書かれています。

このように笑いの種類を三つに分けた本書は示唆に富んだ素晴らしい本ですので、ぜひ読んでみていただきたいです。

組織にユーモアを育てるには

さて、この「優劣」「不一致」「ユーモア」の3つの笑いの種類を見てみると、組織には「優劣の笑い」が多いことに気づくでしょう。組織の中で「笑わせる者」「笑う者」「笑われる者」が固着化したケースを見かけますし、私自身がその固着化に加担しているケースも少なくないと感じています。

「優劣の笑い」を言い換えると「いじりの笑い」になります。誰かをいじって笑いものにする関係が硬直化すると、それは職場いじめになり、ハラスメントになり、暴力として機能します。ケアとは真逆の方向なのです。

しかし、この「いじり」を混ぜ返すことは可能です。いじられた側が、そのいじられを乗っ取り、逆に誰かを笑わせてしまう。「笑われる者」であった人がいつの間にか「笑わせる者」になっている。あるいは「いじられることで笑っている」という状況、「笑われる者=笑う者」になる場合もある。

『笑いの哲学』では、優劣の笑いにみるような関係性の固着化を混ぜ返し、誰が誰を笑わせているのかわからなくなるような状況には、「遊びの気分」すなわちユーモアが不可欠だというのです。

組織はややもするとすぐ「真面目」になる性質をもった場です。そのような「真面目さ」が認知や関係性に歪みをもたらし、ストレスを積み重ねていくように思います。そのような真面目な場に「遊びの気分」をもたらすためには、誰かがピエロになって笑われることを買って出るだけでは成立しないでしょう。

何よりもまず、余談が許されること。余談による小さな笑い、真面目さの綻びを緒にそれぞれが「共愉」の状態をつくりあい、「遊びの気分」で場をつつむこと。そのような気分のなかでアジェンダを進めることなのではないかと思います。

このような、組織に「遊びの気分」をもたらすことがケアの分担につながるという仮説に関しては、引き続き探究していきたいと思います。

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臼井 隆志|Art Educator
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