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人間を支配しようとする外道が使う「他有化」のメカニズム

痛ましいニュース。

続報もでていますが、

「お前の保護者から碇の子供のトラブルのことで訴えられている。解決のためにはカネが必要。暴力団とつながりのある“ボス”がトラブルを解決する」
「お前の夫が浮気をしている。浮気相手のキャバ嬢が妊娠した。キャバ嬢のバックにいる暴力団と交渉しているので慰謝料が必要」
「お前の夫の浮気調査費用を“ボス”が立て替えている」
「夫との離婚裁判で書面代が必要」

こうして経緯が明らかになるとよく見えてくるものがある。最初の報道では、碇容疑者は元々離婚していてその後赤堀容疑者で出会ったものかと思っていたが、そもそも二人を離婚に追い込んだのも赤堀なのだ。

赤堀の手口は典型的な支配型人間のそれです。

最初は、本人が少しでも申し訳ないと思うような案件をつくりあげ、それにどう対応してくるかを見ている。「波風立てないように」と安易に最初の要求に応じると、次から次へと要求がエスカレートする。気づいたら地獄にハマっているのだが、その嘘の地獄を作り出した赤堀が碇を救済するという立ち位置で暗躍する(それも大嘘なのだが)ことで洗脳が完成してしまう。

人間を洗脳し、支配下において思い通りに動かし、その影響で家族が家族を殺害するという事件は、よく起きている。2012年の尼崎連続変死事件もそうだし、北九州監禁殺人事件も同様。

尼崎の事件も北九州の事件も、「人の弱みにつけこんで」というところが出発点になっている。この福岡の事件もプロセスは同様です。普通に考えたら、1千万円を超える大金を巻き上げられて、離婚させられて、子どもまで餓死させられて、それなのに「なんで、そんな外道に支配されちゃうの?」と思う人も多いでしょう。

でも、監禁や殺人まではいかなくても、こういう支配型の人間は日常生活の中にもたくさん存在している。多くの人間がこれと同じようなメカニズムを使い、人を支配しようとしているわけです。もちろん、無意識にやる人もいる。

たとえば、遅刻した友人をいつまでも責め立てる人なんかはその兆候があります。遅刻と言う些細な負い目で相手を支配しようとする性根の表れです。学校で校則を破った生徒に対し、その事実を契機に支配しようとする教師もいます。それこそ会社においても、ミスをした人間を「そのミスによってどれだけ周りが迷惑をこうむったのか」という「みんなの迷惑」論点から責める人間いますね。そもそもミスをしようとしてする人間はいないわけですが、支配しようとする人間は、そのミスが本人の不注意によって発生したなんてことは認めない。だから、本人が謝罪をしたとしても、許さない。こういう言い方をして責め始めます。

「謝って済むと思ってるの?この損害どうしてくれんの?責任とれるの?」

そう追い込まれると誰だって我を忘れます。人間を支配しようとする人間の狙いは冷静な判断力を奪うことなので思う壺です。よくよく考えれば、仮ら、会社の一従業員の人為的ミスで会社の損害が発生したとしても、それを個人の賠償責任とされることはありません。

しかし、「どうすんだ?」と詰め寄られると「どうしよう…」となってしまいますね。

他人を支配しようとする人間は、そこでさらに攻撃を続けます。

お前はそういう人間なのだ。お前はダメな奴なんだよ。お前みたいなのが一番困るんだよ」と。

勝手な人格規定の上での人格否定なので、本来一発アウトの発言です。でも、結構いろんな会社で普通によく言われている。例えば、笑いながら、冗談のように言ったり…。

他人に迷惑をかけてしまったと悔やんでいる時に、こういう自己の人格を規定する発言をされると、「ああ、私はやっぱりだめなんだ」となります。支配型の人間はそこを狙っています。学習性無力感を植え付けるのです。退職強要の際のマニュアルにも書いてあったりします。

そこへ「ダメなお前でもこうすればいいんだ、ああすればいいんだ」と一見助け船のような体で、選択のしようがない行動をけしかけるのです。すると、冷静な時はやらないような行動でも「藁にもすがる思い」で言われた通りの行動をしてしまう。これが洗脳の完成です。「自分はダメだ」と自己暗示かけてしまっているので、言われた通りのことをやるしか選択肢がなくなるのです。

胸糞悪いですね。

他人からどう見られているか、他人がどう自分を規定しているかに自分が左右されてしまうことを、哲学者サルトルは「対他存在」といっています。

少し難しいですが、「他人にどう見られていることでしか自己の存在理由がなくなる」ということでもあります。

自分が自分のものではなく、他人のものになる。つまり「他有化」になるということです。

この「他有化」こそ人が人を支配してしまうメカニズムの正体です。いいかえると、自己の感情さえも相手の支配下に置かれてしまうことになるからです。「笑え」と言われれば笑うし、「泣け」といわれれば泣くようになる。今回や過去の人間支配事件においては「殺せ」と言われれば殺してしまうようになってしまうわけです。

こちらの記事で「感情の内在化」が大事だと書きました。

つまり、それは感情を他人の手にゆだねず、自分の中に取り込むということです。感情を常に、主観でとらえて、自分の外側である他人との間にフラフラ浮遊させていると、簡単に洗脳されてしまいます。この記事のテーマでいう「孤独感」でいえば、自分の外側に感情を放置しているから「寂しい・辛い」となってしまうのです。

どうすればいいか。

「他人からこう見られている」ことを知るのは大事ですが、他人の目ばかりを気にして生きていると自己を喪失します。「他人からこう見られている自分」をいったん自分の中に取り込んで、その自分自身を自分が客観視してみましょう。「他人からはこう見られているらしいけど、自分が見たらどうよ?」とすればいいのです。言い方変えると、ミスしたのは自分だという認知をするのではなく、ミスしたのは同僚だったと仮定して物事を見るということです。

すると、こういう見方が生まれます。今自分を責め立てている人間と同じような行動を自分もするだろうか?ミスした同僚に対してこんな責め方をするだろうか?もし取るとしたら、その行動のエンジンとなるその感情はなんだろうか?その感情とはいったいなんだろうか?

自分を客観視するということは、いわば相手(責めてくる人間)に憑依して相手の気持ちも客観視するということです。

と、そこまでできたら、今度は、そこで、自分を責め立てる相手にまなざしを向けてみましょう。すると、いったん客観視ができると、さっきまでの感情とは違った感情で相手と対峙することができます。今迄、責められてばかりなので、申し訳ない気持ちばかりを見るばかりで、責め立ててくる相手をちゃんと客観視できていなかったことに気づきます。

もうそれで「他有化」からは逃れられているでしょう。

申し訳ないということと、相手の意のままに操られることとは別です。

日常生活の中で無意識に「他有化」されている人は多いです。相手にあなたをそうしようとする悪意がなかったとしても、勝手に相手の視線や言動で「他有化」されてしまう人がいかに多いことか。血液型占いも実は「他有化」のようなものです。A型はこうだ、O型はこうだ、という説を受けて、実はその通りに行動してしまっているから「血液型占いは当たる」と思ってしまう。血液型で性格が変わるなんてことはホントはありません。

そして、また、誰かを支配しようとする人間も可哀想なのです。彼自身もまた誰かに支配されて「他有化」の罠にハマってるかもしれない。すると、彼は、支配下に置く対象の人間が存在しないと自己の存在を自覚できなくなってしまう。支配する対象に依存し、支配する人間がいないと生きていけない。定年退職後や離婚後など一人になってしまったとたん生きていけなくなる人たちがまさにそれです。それもまた「他有化」なのだといえるでしょう。

「他有」から抜け出すこと、それが「自有(自由)」なのです。

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。