
毒にも薬にもなる「アドバイス」の功罪と危険性
最近なぜか10歳ぐらい年の離れた若い世代の方と関わる機会が増えてきつつあります。
世間話の中で今後の進路や活動方針などについてアドバイスを頼まれることもあったのですが、「いや……でも当時と今はそもそも時代も違うし、そもそもこの方と自分はまったく別の人間なんだよな」と釈然としない気持ちになり、自分の経験則を話しても結局は的はずれなこと言ってそうだなという罪悪感が生まれるようになりました。
自分が言ってる話、彼らには古すぎてもう使い物にならない可能性も全然あるんだよなあ……。
古いカセットテープの繰り返しみたいになっているのでは……
この考え方は当たり障りなく無関心すぎるのかな……と思いつつ、しかし自分より若くて優秀な人は勝手に育って自分のやりかたで成功していくだろうから余計なことはしないのが良いのでは?という葛藤をつぶやいたところ、
「君のやってることは面白いし価値があると思うが自分の人生において積極的に関わる理由が見つからない、勝手に成功するだろうから勝手にどんどんやってください」というスタンスでいろんな人との縁を見送りやすいのですが当たり障りなさすぎるのだろうか(下手に口出しされるのも嫌だろうなと…)
— 市原えつこ / Etsuko Ichihara (@etsuko_ichihara) August 4, 2021
業界の大先輩であり、東京芸大の教授で若い方に教えを請われることも多いであろうメディアアーティストの八谷和彦さんからも「それでいい」と後押しがありホッとしました。
それで良いと思います。
— 八谷和彦 (@hachiya) August 4, 2021
世の中には「アドバイス罪」と言う罪があり、的外れなアドバイスはクリエイターにとって害になったりするので、個人的には「請われない限りアドバイスしない」を心がけてます。
(年長でありさえすれば正しいアドバイスできると言うのは幻想で、テック関係は特にそうなんで)
(ちなみに私は進路に迷いまくった時に八谷さんにアドバイスを請うて突然進路相談を仰いだことが、、、その節は大変不躾なお願いを聞いて下さり本当にありがとうございました😂)
「アドバイス罪」という概念(©あきまんさん)
アドバイスというのはもちろん善意や親切心も含まれていると思うのですが(自分が求めている知識について色々教えていただくアドバイスというのは本当にありがたいですし)、
ただ、特に請われてないのに一方的に押し付けるアドバイスの裏には「自分の方がモノを知っている」という優越感だったり、「今後有望な若者の進路にいっちょかみして恩をつくっとこう」というような助平心なんかも潜んでいる気がします。
八谷さんによると、イラストレーターのあきまんさんはこういったアドバイスの押し付けを「アドバイス罪」として戦っているそう。
僕なりに要約すると、「一見親切に見えるけれど、求めてもいない他人のアドバイスは薬どころかむしろ毒」というのが、あきまん氏の唱える「アドバイス罪」の考え方。あきまん氏の言葉を借りれば、アドバイスとはつまり「同じ船に乗っていないリスクのないカスが他人の人生を操作して喜ぶ作業」。同じ船に乗っている人のアドバイスは有用(というかむしろどんどんするべき)ですが、別の船からあれこれ指示されても、その人には何の責任もなければ真剣味もないため無意味である――。言い方にはちょっとトゲがあるものの、考え方には納得できるものがあります。(記事本文より)
たしかに本当にアドバイスがほしい相手だったら自ら志願したりアポとってお金を払ってでもコンサルティングを受けにいくものだと思うので(自分も有料でコンサル頼むこと多いし、自分が進みたい方向での専門家の方からのアドバイスは本当にありがたいので積極的にご助言を仰ぎにいっています)、
聞かれてもないのに勝手に無関係な人間がアドバイスを始めるのはむしろ害悪なのだな、と認識して良さそうです。
(なお、男性が女性に聞かれてもないのに不必要な説明をしたがる現象は『マンスプレイニング』として密かに煙たがられる)
聞かれてもいないのにアドバイスしちゃう現象はマンスプの一種です。このチャートで一度自分の発言を確認しましょう。https://t.co/OVrZyC9O8Y https://t.co/9yWzZharVq
— あんな🙋♀️ (@annaPHd9pj) July 7, 2020
実際に、自分も次々と湧いてくるアドバイス(と言う名のクソバイス)が嫌になって好きでやってた趣味の活動をやめた経験があったり、
「老婆心からお伝えしますが」「あなたのためを思って」という枕言葉で聞いてもないのに押し付けられるアドバイスや指示の数々は、本当に自分を思ってのことというのは少なく、多くは本人のエゴや願望が詰まっている「呪い」だったりすることが多いなと後から振り返ると感じます。
そして、特にこれは若い女子クリエイターにあるあるだと思うのですが、この世代の女子は本当に本当に、いらんアドバイスがワラワラ湧いてくることが多い。
30代後半になり、ついに知人にコレが現れてしまった。止めようにも目が本気の人間を止めるのはこっちもパワーが必要とわかったhttps://t.co/YIZlixD745
— Motoi Shimizu (@motoishmz) August 2, 2021
“若手女子クリエイターの近くには必ず、その子の才能はベタ褒めしつつも作品自体には苦言を呈したり今後の方向性について非現実的な助言をしてくるブレーン気取りのおっさんが湧いてくる”
特にZ世代と言われる若者を見ていると、自発的な動機や使命感を強く持ち、独創的でセンスも良く、社会課題に対して強い課題感を持っている子が多いなと感じます。
基本的に「自分より若い世代の方が優秀だし、現代の空気感・価値観にアップデートされている」という認識で間違っていなさそうです。
必要なところはサポートしつつ、彼ら彼女らの自由意志を阻害したり呪いになるような言葉を吐かないよう、若者でなくなった人は自分を自律していく必要があるなと感じています。
「ゆとり世代」として苦言を頂き続けた自分も30代になってからはクソバイス「される側」としてのターゲットになることが少なくなってきて快適ですが、逆に「する側」になるリスクと常に戦いながら、謙虚に活動をしていきたいと思います🌾
RT わかる...😣
— 清水淳子 / 視覚言語研究 (@4mimimizu) August 4, 2021
私の場合は「やりたいことをお互い好きなだけやって、生きてる間に、もし無理だったとしても歴史の中で、誰かの記憶の中で、宇宙の彼方でどこかでまた会えたらいいよな...!」みたいな長過ぎる時間感覚があり、目の前の関係性に固執できないという習性がある。
グラフィックレコーダー、多摩美術大学の講師としても活躍されている同世代の清水淳子さんからも似たようなお声が。マイペースに、あっさりと自分のことに集中していきましょう……!
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