デジタルシティズンシップとして向き合いたい「反転の問い」
今、「デジタルシティズンシップ」に関心が集まっています。デジタルシティズンシップとは、インターネット等の情報技術の適切かつ責任ある行動の規範を学び、実践することで、情報・メディアリテラシーやグローバル市民社会を生きる倫理観の醸成などが課題です。
ぼくが知っている中高生たちも、TikTokやinstagramをカジュアルに使っています。そんななか、SNSが牽引する「アテンションエコノミー」はうなりをあげて加速しているのを感じます。ぼく自身もinstagramの料理動画や格闘技のKOシーンをリールで延々と見てしまう依存に困っています。いい歳こいてまったく…と自分を戒めたくなる日々です。
そのようなアテンションに囲まれ、コンテンツ消費を日常化した私たちは、YouTubeの刺激的な番組と、提供される学びのためのコンテンツとを対比せざるを得ない状況があるように感じています。そんななか、やはりネットはダメだ、ネットから離れようと訴えても、もはや意味をなさないでしょう。
日経新聞の社説では、SNSの運営会社と協力して、子どもを守るべきだと提案しています。言っていることは至極もっともです。
記事中にあるように、SNS依存が招いた悲劇があり、小学校高学年のSNS利用率五割越えという驚異的な状況があります。
しかし、他方で大人の社会に目を向けても、ぼくのように軽度(?)の依存症のような状態になっている人は多いのではないでしょうか。1億総ネット依存症社会というともちろん大袈裟ですが、半数近くが軽度(もしくは重度)のネット依存症だと仮定してみると、どうでしょう。
その際、依存症は共通の症状はなく、個別具体的な状況の中で適応的に起きているとされています。したがって、当事者ひとりひとりが、自分の状況を外在化し、客体化しながら向き合っていく必要があると言えるでしょう。
「当事者研究」は、北海道は浦賀にあるアルコール依存や精神疾患の人たちが集う福祉施設兼事業所である「べてるの家」から生まれた方法論です。「困り事」によって得ているものは何か?というねじれた問いを対話することで、依存に向き合う勇気を育んでいくような、そうした共同体が形成されています。
ここで着目すべきは「困り事によるいい側面」というねじれた、反転した問いに向き合っていることです。
デジタルシティズンシップにおいても、インターネットの怖い側面、悪い側面ばかりを強調するのではなく、「SNSによって得ていること」「ネット依存がもたらしている良い側面」といったねじれた問いに向き合っていくことで見えてくることもあるのではないでしょうか。
「ネット依存のいいところ」というテーマで、哲学対話などしてみるのも面白いかもしれません。もちろん、純粋なネット依存賛美ではなく、「あえて」行う実践としてですよ。