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AIが、来るにせよ来ないにせよ

先日、ある会社の朝の始業時間に受付で待ち合わせる機会があった。かつては自分もそうした一人であったな、と思いながら、エレベータを待つ社員さんたちの長い行列を、ややほろ苦く、懐かしいけれどもう一度経験したいかと言われればYesとは答えないだろう、という気持ちで見つめていた。

こういう風景も、よく言われるようなAIによる人間の仕事の代替が進めば、消えて行くのかもしれない。人間だからこそ、労働時間を8時間といったように定め、睡眠時間を確保し、体調が悪ければ休める制度を作っておかなければならない。

一方で、コンピュータプログラムとしてのAIや、それが搭載された(いわゆる)ロボットが普及するなら、それらは睡眠の必要もなければ疲労とか体調不良というようなことも起きない。そして、AIやロボットに「通勤」という概念はない。定期的なメンテナンスやアップデートがあれば、あとは予想外の不具合や故障をどうするか、という点に配慮すればよく、その発生頻度は人間の休暇に比べれば遥かに少ないのだろう。

そういうAIは、2045年頃にシンギュラリティを迎え人間の能力を超える、という予測がある。果たしてAIというものが人間にとって吉と出るか凶と出るかは、専門家の間でも見解が別れている。

一方で、AIの定義は曖昧であり、何をもってAIとするのかは、悪く言えば「言ったもの勝ち」という状況にあることは、みんな薄々気がついていたと思うのだが、FTがそれをまとめて記事にしていた。

「AI」を語る企業やサービスがAIと呼ぶにふさわしいものかどうか、あるいは2045年に本当にシンギュラリティが起きるのか、起きたとしてそれが人間社会一般にとって好ましいものかどうかは別としても、おそらく現時点で確実に言えることは、現在はホワイトカラーの人間がやっているルーチンの仕事の多くを、AIないしはRPAのような”AIもどき”がするようになるだろう、ということではないだろうか。

仮に今1億円のAIやロボットのシステムがあり、それが日進月歩のAIの世界であることを考えてたった2年の陳腐化寿命だったとしても、1年で5000万円。単位時間当たり人間10人分の働きをすると仮定とすれば年収500万円の人間と等価である、と考えるのは早計で、実際には人間が1日8時間しか働かないことを考えれば、メンテナンスを除いて24時間稼働できるAIやロボットは人間の3倍の生産性ということになるから、それに人間が対抗するには、年収170万円弱でなければ見合わない、ということになる。本当にこのようなシステムがあれば、企業にとって、AIやロボットがやれる仕事を人間にやらせるのに、この計算なら年収170万以上を払う理由がなくなる。

そして、この1億円の投資ができない企業は人間を雇い続けるだろうが、その年収は170万円以下に抑えないと、導入企業との間で競争力がないことになり、かなりの「ブラック企業」ということになるのだろう。

さらに、ここでの「年収」は福利厚生や社会保険の会社負担分なども含んだ額だから、実際の社員の手取り額で考えたら100万円前後、ということだろうか。

そういう現実を前にして、「与えられたことを確実にこなす」「指示されたことをやる」というタイプの仕事は、すでに人間のやることではなくなりつつあるし、それを求めたりあるいは誇ったりすることには、未来がない、ということなのではないだろうか。

その割には、(少なくても日本の)教育のあり方は、引き続き「与えられたことを確実にこなす」という初期の産業革命に対応するレベルから抜け出しておらず、若い人であってもそういう傾向にある、むしろデジタル化の影響を強く受けているだけに、逆説的ながらそれが強まっているのかな、とも感じていて、ちょっと不安になる。(そうではない人もいるけれど)

AIが人間に取って代わることがあるにせよないにせよ、大きくはここに書いたような流れが、程度の差と時間の問題はありつつも強まってくるのだろう、と思うとき、この朝のエレベーター待ちの行列はいつまであるのか、そして、それを見ている自分は何をやってこのさき生きていこうかな、ということを考えた朝だった。

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