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陽キャでコミュ力ある江戸の「接続する民」たちの群像劇

個人的に来年の大河ドラマ「べらぽう」が楽しみです。
何が楽しみって、舞台が江戸の明和~天明期という、今に続く文化がもっとも栄えた時代だからだ。そして、主人公が、武士でも貴族でもない、町人の蔦屋重三郎であること。


蔦屋重三郎といってもご存じない方が多いと思うが、江戸時代の出版産業の名プロデューサーである。ちなみに、あのTカードのTSUTAYAは創業者がこの重三郎にあやかって付けたものとされている。決して子孫ではない。そもそも蔦屋というのは屋号で、生れた時の本姓は丸山さんで、その後、喜多川家の養子となった。

養子となった喜多川家が遊郭吉原の茶屋をしていた関係で、重三郎は「吉原細見」というものを作った。要は、吉原の遊郭にいる遊女たちの紹介ガイドブックで、今でいえば歌舞伎町のキャバ嬢名鑑みたいなもの。情報を売るという商売をやったということ。
当然、これは吉原に来る客に大評判となり、その後重三郎は本格的な出版業(版元)に進出していく。

何が凄いかというと、この人のおかげで、葛飾北斎、 喜多川歌麿、鳥居清長、渓斎英泉、歌川広重らの絵が世に輩出された他、東洲斎写楽、十返舎一九などを育てている。また若かりし曲亭馬琴も彼の世話を受けている。
浮世絵はもちろんだが、狂歌師の大田南畝も仲間だし、朋誠堂喜三二、山東京伝らとも交友があり、彼らの洒落本、黄表紙(今の漫画の原型みたいなもの)を次々と出版した。
エレキテルで有名な平賀源内とも接点があり、前述した「吉原細見」の序文を依頼している。序文というのは今でいえば宣伝文句もみたいなもの、源内は江戸のコピーライターだから。
余談だが、「土用丑の日はうなぎ」というのも源内が作ったコピーで、それ以来定着しているが、はじまりは売り文句、キャッチコピーである。

さて、重三郎の人生を紐解くと見えてくるのは、江戸期の町人たちがいかに元気で陽キャでコミュ力高く、他人に対するお節介も激しく、どっちかというと今の関西人に近い気質なのかもしれないという印象がある。が、そんな気質のおかげで、いろんな人とのつながりで産業や文化を生み出し、江戸に集まった大勢の地方から独身者をいかにたくさん慰めたかということ。

しかも、身分を超えたつながり。

たとえば、朋誠堂喜三二は本名は平沢常富という出羽国久保田藩の武士(江戸留守居役)だし、恋川春町も駿河小島藩・滝脇松平家の家来。大田南畝も幕府の官僚。
そうした本来交流するはずのない身分の違う者同士が、「狂歌」という趣味を通じて知り合い、仲間となり、この時代のひとつの文化を創造したことは大きな偉業だろう。
この狂歌の集まりを「狂歌連」というが、この「連」というつながりは、「サロン」と訳してもいいが、私の提唱する「接続するコミュニティ」に近い。

もちろん、このつながりの中には商売というものの利害関係があっての話でもあるが、政治とは無関係に江戸のメディアという一大産業を作り出したことがおもしろい。

大河ドラマは大体が政治ドラマになりがちだが、ぜひ重三郎を取り上げるのであれば、この江戸期の町人の生き様を群像劇として描いてほしいものである。
曲亭馬琴が文章を書き、葛飾北斎が絵を描くというコンビだった時代もあるが、その互いの落語みたいなやりとりも本当に面白い。


しかし、そんな町人たちが活躍できた背景には、江戸期においてはこの時代だけ異質な経済政策があって、当時それを主導したのが老中田沼意次だった。大河ドラマでは渡辺謙が演じるらしい。

この田沼意次は、ちょっと前まで「ただの金権政治家」「賄賂政治家」としてしか認知されていなかったが、近年再評価されている。
もちろん意次が全部よかったわけではないが、ひとつだけ言えるのは、意次の政策で、特筆すべきは、あの重農主義の江戸時代において、はじめて重商主義を打ち出したことだ。自由主義経済といってもいい。
これがいかに凄いことかというのは、江戸時代の根幹、信念ともいうべき儒学・朱子学の世界では「商いは卑しいもの」という前提であり、その商業に依存するなんてとんでもなかったからである。事実、保守的朱子学バカの松平定信らによって意次は失脚となる。

意次の話をするとそれだけで一冊になるくらいの話なのでまた別の機会に。

フィクションだが、意次を好意的に描いた小説は、池波正太郎の「剣客商売」がある。ドラマ化もされている。

意次嫌いの松平定信が寛政の改革などをやり、それによって重三郎たちの自由な出版産業は大いに規制されることとなる。重三郎自身も刑を受けた。それどころか芝居小屋などのエンタメ産業も衰退する。当時当たり前だった混浴禁止令を出したのも定信。セックスは子孫を残すためのものであり、快楽のためのセックスはダメと言ったのも定信。

ある意味、今までは放っておいた町人の欲と感情による経済行動を武士の朱子学の倫理観の枠に閉じ込めようとした感がある。アホだな、と。

歴史に「もしも」はないが、意次の重商主義が続いていたら、その後来航したロシアやペリー以前に来た米国船との交易交渉もまた違ったものになっていたかもしれないし、何より出版産業やエンタメ産業はもっと発展したかもしれないし、別の産業での重三郎が登場したのかもしれない、などと思ったり。

いずれにしても来年の大河は楽しみだ。






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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。