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「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」を未来に向けて赤ペンしてみる

お疲れさまです。uni'que若宮です。

森さんの発言が批判を浴びています。僕も最初に読んだ時、まじでくらっとめまいがしました。え、今年って2021年だよね、、、

しかし一方でおそろしいことに、実は企業の重役男性の中には「わかるww」とか思ってしまった方もいたのではないかとも思っています。大企業にいたときにそんなことを見たり聞いたりした経験もありますし、「女性が入るとめんどくさいんだよな…」と内心思っている男性管理職は潜在的には一定数まだいるのではないでしょうか。(もしそうではないと本心から思っているなら、ジェンダーギャップの解消はもっと進んでいるはずです)

何を言いたいかというと、今回の件は単に「森さんの失言」とかそういうことで終わらせてはいけないと思うのです。それだと同じような考えをしている男性は「森さんみたいに失言してバレないように気をつけよう…」とは思っても根本的に考えを改めるところまではいかず、差別は男性社会に潜伏したまま持ち越されます。森さんをスケープゴートにするのではなく、日本の社会に空気のように偏見が蔓延していることをちゃんと自覚し、これをきっかけにもっと根本的にジェンダーについて見直し、女性が参画しやすい仕組みをつくるべく見直すべきだと思います。

そこで今日は、「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という発言に憤りつつも、失望せず気持ちを奮い立たせて、これからの日本の未来に向けて「赤ペン」してみたいと思います。


「女性が」→「異文化やマイノリティーなど色々な立場の人が」

まず、冒頭の主語です。実際「女性が」入っていると時間がかかるのでしょうか?


そんなことはない!

…といいたいところですが、必ずしもそうとは言い切れないかもしれません。


といっても、森さんの発言を擁護するつもりはまったくありません。森さんの発言は明確な性差別です。そもそも「男性は」「女性は」ということ自体が前時代的です。では、どうして否定しきらないのかというと

男性だけの会議と男女半々の会議では会議の進み方がちがう

ということをいいたいからです。色々な立場の人がいると視点が多様になり多面的に物事をみるため、その分多く時間がかかるのですね。

たとえばトイレをいくつつくるかを議論しているとしましょう。男性しかいない会社では「一つあればいいよね」と決まるかもしれませんが、女性がいればそうはいきません。さらにLGBTQの方がいたら、もっと論点が増えるでしょう。

ここで注意したいのは、男性だけだから一つあればいいよね、という判断はその時にはよくても、あとあと女性の来社があったり社員が増えた時になって困ってしまう、ということです。視点の多様性がないということは視野が狭い、ということでもあります。


だから「時間がかかる」問題についてまず、「女性が」という主語を使う事自体がおかしいのです。「男性」だって逆の立場ならそうなります。たとえば僕は仕事や家庭でけっこう女性ばかりの中に男性ひとりのこともありますが、やっぱりちょっと視点がちがうことがあり、発言した時に意図が理解されづらいこともあります。丁寧に説明すればわかってもらえるのですが、おかれた環境や染み付いたコンテキストがちがうので、それをすっ飛ばすと、「は?」となってしまうんですね。

また、「女性が」という問題ではないのは、「会議」にたとえば外国籍の方や他のマイノリティーの方を含めた場合を考えると容易にわかります。日本はこれまで単一民族でやってきてしまったために、こうした「異文化」との付き合い方が圧倒的に遅れています。そのことを自覚してアップデートしなければならないと考えます。(そういえば障がい者の方が議員になるときも反対の声がありましたよね)


「女性が」入ると時間がかかるのではなく、これまでは多様性を排除して一面的に会議を進めてきたというのが日本の会議の実態です。「イエスマン」という言葉もありますが、今回のような問題が起こっても周りの男性は静かにしているんですね。そういう、同じ意見しか出せない人が集まっていたのがこれまでの「会議」ですが、それで本質的な「議論」はできるのでしょうか?

「男性たちは事前に決められたゴールに向けて誘導的な発言をするだけ。(会議を開いたという)アリバイづくりみたいになっていた」。虐待や貧困に苦しむ10代女性を支援する一般社団法人「Colabo」代表の仁藤夢乃さん(31)はツイッターに、初めて行政主催の会議に参加した際の状況を投稿。

ちゃんと議論してないんなら会議が早く終わってもよさそうなもんですがそこはそれ、「偉い人の話は長い」ので、男性の会議もそれなりに時間がかかってちゃんと仕事している気がしちゃうんですよね。お疲れさまです。


とにかく未来に向けては、主語を「女性が」ではなくて、「異文化やマイノリティーなど色々な立場の人が」と直したほうがよいです。(森くん残念!マイナス10点です)


「会議」→「社会を議論する場」

次に、「会議」の見直しです。

先程言ったように、「会議」とは本来は「議論の場」ですから、「議論」がされないならまじで時間の無駄なわけですけども、じゃあ何を議論するか、というと「社会」について議論する場だと思います。

つまり、森さんの発言は裏を返せば、「女性が社会を議論する場にこれまでほんの少ししか入っていなかった」ということでもあります。

これがそもそもやばいわけですが、森さんが徹底的に理解できていないポイントはここにあると思います。

というのも、森さんは翌日本件について釈明をしているのですが、そこで「昨夜、女房にさんざん怒られた」みたいなことをいうわけです。

なぜことさらに奥様やお嬢様の話を出すのか?というと、「おれは女性を蔑視しているわけではないよ」ということをアピールしたいわけです。ここがややこしいところなのですが、森さんはたぶん本心から女性を下に見ていないと思っているのですね。

どこがだよ!という怒りの声がありそうですが、ちょっとだけ落ち着いてください。実はここ、けっこう大事なんです。

いったん、森さんもある意味では愛妻家で女性に敬意も払っている、とします。じゃあなぜ今回みたいな発言になるか、というと、それは「役割を決めつけてしまっているから」だと思うのです。

以前、九州に行った時に、地元の女性起業家の方にこんな話をきいたことがあります。

九州ではいまだに女性が社会で発言をしようとすると小馬鹿にされたり、上から言われたりする。でもじゃあ女性が弱いかというとそんなことはなくて、家のなかでは圧倒的に女性が強くって頭があがらない笑

今回の発言の背景にもこのような、仕事や社会は男性の役割、女性は家庭を司るもの、という古い分担の価値観があるわけです。

森さんにはいまだに、「会議」という「男の仕事の場」に本来「家庭を司るべき女性」がわざわざ出張ってきた、という感覚があるのではないでしょうか。そしてこういう価値観は「昭和のお父さんたち」の中にもう無意識レベルで刷り込まれているので「女性蔑視!」と指摘されても「いや、家庭では女性を尊重してるよ!」という今回のような噛み合わない答えしか帰ってきません。

ですので、こういう男性は「そもそも男性と女性の役割を決めつけていることが問題なのですよ」ということをちゃんと分かってもらわないといけないと思います。

こういうことをいうと「いや、やっぱり女性の役割は家庭だろう。子供を生めるのは女性だけだしやっぱり子供には母親が必要だろう」というような反論が返ってきます。もちろん望んでそういう選択をする女性だっていますし、そういう方もいたってよいのです。しかし現状では明らかにまだ、女性のキャリア選択には「強制的」な圧力があります。

「選択的夫婦別姓」のときの議論もそうなのですが

誰かが一方的にデメリットや制約を我慢して受け入れることで成り立っている状況を、困っていない方が「現状でよくない?」というのはやっぱりおかしいと思います。今では出産にも育児にも色々な可能性がありますし、家庭のことをチームで取り組めば、女性にはもっともっと色んな選択があるはずなのです。

いずれにしても「会議」というのは、「男性の仕事の場」ではなく、「社会についての議論」をする場であるべきで、それは社会を構成する成員みんなでしていくべきです。

ですから未来に向けては、目的語を「会議」ではなくて、「社会の議論」と直したほうがよいですよ。(森くん残念!マイナス10点です)


「時間がかかる」→「じっくりできる」

最後に述語の部分です。ここに潜んでいるのは「時間がかかる」のは悪いことだとする古い価値観です。

これは裏を返せば「男性だけなら時間がかからない」ということです。先に「会議」がこれまで男性ばかりの同質的なものだった、という話を書きましたが、(要は本質的には「議論」していない、ということなのですが)同質性はある意味で「効率的」です。

男性社会であった産業界ではこれまで、スピードや効率が良しとされてきました。それを追求するなかで何が起こったか、というと「破壊的なスピードの消費」です。

産業革命以降、男性主体の「産業界」は消費のスピードをどんどんあげ、やがて地球資源を食いつぶそうとしています。そして同質的な組織はたしかに効率がよく、スピードが速いかもしれませんが、しばしばブレーキが効かなくなるのです。(実際僕も会社員時代にスピード成長を求めるあまり倫理的におかしくなってしまった事例を間近でみたことが何度かあります)

しかし、このままでは社会は壊れてしまい、続けていくことができません。そこで全世界的に「これからの社会のあり方」を目指して設定されたのが、SDGsです。

SDGsのSは「サステナブル」、つまり「壊れないで続けていくため」のものです。SDGsというと、「エコ」的な話と思われがちですが、その中には

「⑤ジェンダー平等を実現しよう」や「⑩ 人や国の不平等をなくそう」「⑰パートナーシップで目標を達成しよう」のような「多様性」に係る項目も多く設定されています。

なぜでしょうか?


その理由は、同質性は「効率」や「スピード」を上げるが、その結果「消費」を加速し、果ては変質して事故をおこしてしまって「サステナブル」ではないからです。そしてこれは、200年くらいくらいかかって遅ればせながらやっと人類が気づいた大きな反省なのです。

この観点から言えば、「時間がかかる」とデメリットのように言っていること自体が、すでにして古く、見直されるべき価値観なのです。

これからの未来に向けては、「時間がかかる」ではなくて「じっくりできる」と直したほうがよいです。(森くん残念!マイナス10点です)


----まとめ----

というわけで、赤ペンをしてみると森くんの回答は30点の減点。しかもこれ、10点満点の問題だったので「ー30点」という、ひどい点数がついてしまいました。しかし繰り返しいうように、これはまた日本社会の点数でもあります。


ジェンダーギャップ指数の発表もまもなくです。昨年は121位と恥ずかしい結果でしたが今年はどうでしょうか。

しっかり現状をみとめ、一つずつアップデートしていき、

「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」

ではなく、

「異文化やマイノリティーなど色々な立場の人がたくさん入っている社会の議論はじっくりできる」

という発言になれるようにみんなで見直していきましょう。赤ペン先生からの宿題です。

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