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国別のGDP順位とか、どうでもいいのでは?

電車で、会社帰りとおぼしきお二人の会話が耳に入ってきました。「日本、GDPで4位に陥落するって? いやあ、オレらもどんどん落ちぶれていくよなあ」「そう、どんどん貧乏になっていく感じだよね。まあ、しょうながないのかな」

いつも興味深いと思うのは、皆さん「GDPが世界で◯位」とかいう話が大好きだということです。サッカーのワールドカップで日本がどうだったとか、そういう感覚に近いのではないでしょうか。

スポーツはナショナリズムを反映しやすいと言われますが、これは「経済ナショナリズム」といえるのかもしれません。


しかしです。たとえGDPで世界何位という位置を維持したとして、なにか自分にとって良いことがあるのでしょうか。別に、誰かからステキなメダルをもらえる訳でもありません。


たしかに高度経済成長期までは、「自分たちのがんばった成果」を表す指標としてGDPはある種の分かりやすいKPIだったのだと思います。世界の中で日本の経済ランキングが上がっていくことは、当時の人々にとっても少なからずモチベーションになったことでしょう。

しかし、いざ「GDPランキングの順位が下がる」というフェーズに入ってくると、多くにとって逆にモチベーション減の要因となる可能性があります。冒頭の会社員の会話のように、現にそういうシーンを目にすることが増えてきたように思います。


有名経済誌などでも、よく「日本経済の国際的順位が下がっていく。このままだと恥ずかしいので国民としてもっと危機感を覚えるべきだ」みたいな記事を見かけることが増えました。

でもこれ、国全体としてのGDPや経済力が(相対的に)下がったからといって、いったい誰が誰に対して恥ずかしいのでしょうか。こういう記事からは「連帯責任」を煽る悲壮な雰囲気も漂っていて、まさにとても日本的な感覚だなと感じます。

すでに「国民一人あたりGDP」では日本は順位を下げつつありますし、国全体のGDP順位なんて、別に私たち一般市民が気にすることでもないと思うのです。内閣総理大臣や経済産業大臣ではないので。


僕は学生時代からバックパッカーとして世界を旅したり、その後も色々な国で仕事をしたりしてきました。だからかもしれませんが、つねに「何かを日本という国を基準にくくる」という考えにあまり馴染めないところがあります。

まあ、日本、日本と騒ぐ人々の気持ちがまったく分からないということでもありません。僕だって普通に愛国心はあると思ってます。しかしワールドカップの舞台などではなく「経済」という文脈で、国という単位で「対外的な順位」を異常に気にするのはほとんど意味がないと思うのです。


「日本は貧乏になったから国内ではもう稼げなくなった」というのであれば、海外の人や企業と仕事をすればいいだけです。今の時代、別に物理的に海外に行かなくとも、今いる場でビジネスを進める方法はいくらでもあります。

語学の壁も、かつてと比べてずいぶん低くなりました。AIをうまく使えば、言語コミュニケーションの多くの部分をカバーできます。そしてそれは英語だけではありません。世界中の多くの言語を、やる気と工夫さえあればかなりのレベルで理解できる時代にすでになっています。


冒頭の会話のように「日本の地位が..」などと嘆いているヒマがあれば、自分個人として、いかに良い仕事をして、満足できる成果や利益を得られるかを考えた方が良いと思うのです。

個々の人々がみなそうすれば税収も増えますし、そうなれば国や自治体の福祉サービスもそのぶん向上します。

海外の富裕層と比べて日本人は貧乏になったと愚痴るのなら、外貨でもなんでも稼げばいいのです。そういう意味において、日本のGDP順位なんて別に関係ないでしょう。自分の不遇を他責にしている限り、理想通りに活躍したり稼いだりすることなんてできないと思います。


生まれ故郷や、自分のルーツに関することは、人として大事なことだとは思っています。しかしながら、経済やビジネスという観点で、別に一人ひとりが「国全体」を背負わなくて良いと思うのです。

自分自身は、どんな仕事をしたいのか。そしてどのように生きたいのか。まさに、それだけが大事なことだと考えています。


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