今こそ、自分と会話する時間を
30歳になった頃に、自分の夢をブログに書き出してみた。
その時に、何か大きなことを書きたいなと思った私は、「夢は、ふるさと、海外、東京の三拠点居住」という一文を追加した。
なんとなく書いた夢
テレビタレントがクイズ番組でフリップに書き出すような感覚で、誕生日の朝に「まぁ〜こんな感じかな」と想いながら書いたのを覚えている。
当時は、ITベンチャーのランサーズの新規事業担当。毎日朝から晩まで仕事しかしていなかった。友達からの誘いのLINEにも返信せずよく怒られていた。
「三拠点」と書いては見たものの、どうすれば出来るのか。時間もお金も、そしてそのアイディアすらも持ち合わせていなかった。なんか夢物語みたいなことを書いちゃったなと言う気持ちもあったが、私は気にせずそのまま「投稿」ボタンを押した。
「なんとなく」が脳内に陣取り始めた
それから3年間、私は「将来の目標は?」と聞かれる機会があると「夢は、ふるさと、海外、東京の三拠点居住です」と答えていた。
本当にそれが目標だったり、喉から手が出るほど欲しかったりしたわけではなく、ブログに書いたことが記憶にあったという、ただそれだけの理由から。
そんな機会が増えていくうちに、「夢の三拠点居住」は、私の脳内で「本当の夢」のような場所に陣取り始めた。
「なんとなく」は言葉にすると確信に変わっていく
その日から3年たち、
拠点の一つ富山で仕事ができたらいいなと30歳から隔月で通っていたら、
32歳から富山の仕事ができることになった。
海外の拠点はどこにするんですか?と聞かれ始めていたので、「どこにしようかな」と思っていたら、33歳になる今年、シドニーにピンときて、ここにしようと決めた。(なぜシドニーなのかは、今後書きます)
夢を語る権利はみんなにある
そんな時、ある人にインタビューを受ける機会があり、その中で、「夢は、ふるさと、海外、東京の三拠点居住で、今はその準備中です」と答えた。そうすると、
「あなたは、自分の欲しい物をすべて手に入れていますね」とか
「うらやましい、私にはできない」という言葉で返されたことがあった。
その言葉に、私はなんだか違和感があった。「欲しい物を手に入れる」「自由である」という権利は誰もが等しく持っているものだ。
私だけにあるわけではない。
好きだからこそ、確率が上がる
この現状は何かに似ているなと思ったときに、小さな頃に友達とやっていた流れ星探しに似ているなと思った。
夜に空を見上げると、誰にでも平等に流れ星を見る確率がある。
でも、何となくその場にいる私の友人は、流れ星をなかなか見つけることができない。途中でよそ見をしたり、寝てしまったりする。そもそも、私が無理やり誘ったからで、最初から見たいと思っていなかったのかもしれない。
でも、「流れ星が見たい!」「なんとなく見られる」と思っている私は、よそ見をする時間もなく星空を見続けている。
途中、うとうとすることはあっても、見るまで寝ないぞーとアドレナリンが出ている状態。本人は、欲望に素直に動いているだけで努力しているとかという感覚はない。
でも、同じ星の下にいて、同じ確率を思っているにも関わらず、意識しているか、していないかで、流れ星を見られる確率は変わってしまうのだ。
結局のところ、ここに落ち着く
将来の夢も同じ
叶えるための運や確率は万人共通。
ただ、「みたい!」「ほしい!」と自分が意識することで、自身の意識が向くようにしていると言えるのかもしれない。
いくつになっても夢は大切だ。
古代から使い古されているこの言葉に、もう意義や感動を感じていなかったけれど、30歳になってから「夢宣言」した世界がだんだん実現していくことを思うと、「いくつになっても夢は大切だ」先人たちと同様にこの言葉を言いたくなる。
緊急事態宣言の延期が言われている。大学生入学時期は4月から9月になるというニュースも出ている。
ステイホームの時間で何をしようか。そう思う人がいたらぜひ、ノートを開いて自分の夢を書き出してみてはどうだろう。人との接点がすくなっている今こそ、自分と対話する時間を増やしやすい。
多くの人がこの自粛期間に、自分自身の生き方についてゆっくり考えその道に向かって歩き始められる始まりにできるといい。なんとなくでも、言い始めることから、その道は開けてくるのだから。