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傷ついた誰かを、慰めるとしたら。

年明けから、心が痛む出来事が続いている。
それだけでなくても日々生きている中で、自分もだが、周りのひとがつらい状況に見舞われることもあると思う。
そんなとき、つい慰めの言葉をかけたくなる。

でも自分の言葉で、相手を救ってあげよう、なんてゆめゆめ思わないこと。
それだけは伝えたい。
言葉の仕事の端くれをしている私だからこそ言いたいんです。
なんならお見舞い文を書くこともある。
もちろんできる限りの思いをそこに馳せる。

でも人生を少しずつ重ね、慰めるほうも慰められるほうも経験して、やっとわかってきたのです。その人のつらさは、その人だけのものであって、何か言葉をかけたくらいで、肩代わりすることはできないということ。
それをちゃんと胸に刻んでおきたいと思うのです。

でも傷ついたり、弱っている人を前にしたら、
どうしようと思う。正直何と言っていいか言葉も出ない。でもなんとかしなきゃ!とも思ってしまう。
それはそれで愛。

でも焦るあまり、どうにか元気にさせてあげなければ、解決してあげなければ、いいこと言わなければと、いつの間にか自分が主体になり、罪悪感を消して自分が救われたいから、と目的がすり替わってしまったりする。

もしそうなってしまいそうになったら、一度スイッチを切り、自分自身の心を整えてからのほうが良い。

こちらが話すより、聞く。

大切なのは「聞く」ことだと、私個人としては思ってます。
もしも相手があなたと話したい、やりとりしたい、と言ってきてくれたら、全力で聞いて、何か求められたら初めて言葉は生まれる気がしている。

一方で、思いがあることを相手に伝えるのは大切だとも思っていて。呼びかけてくれたなら、こたえられるときもあるから。
でもその塩梅はとても難しく、私はまだ正解がわからない。

それでも言葉や人とのつながりに助けられた私も確かにいる。
すべてを知ったうえで、仕事の撮影の様子、何なら愚痴までいつも通りの調子でメールをくれた同僚、「この前のあなたの仕事に助けられた」と伝えてくれた上司たち、「この経験が仕事をする上で、絶対あなただけの視点になる」と勇気づけてくれた人、おいしくてすぐ食べられるものをとにかく送り付けてきた友人などなど。

しかしこれと同じことをすれば間違いなし、とも言えなくて。
タイミングや関係性、いろんな掛け合わせでまた印象は違ってきてしまう。

それでも、聞くこと、待つこと、でも相手を思い続けること。
仕事の上では、それらが完璧な状態でなく悩みながら発信していくこともあると思う。でもこの3つは大切にしていきたいです。

さてまた来月。またここのページで。




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近森 未来(資生堂クリエイティブ コピーライター)
ここまで読んでいただきありがとうございます。 読んで、少し心がゆるんだり、逆にドキッとしたり、くすっとしたり。 おやつ休憩をとって、リフレッシュする感じの場所に ここがなれたらうれしいです。