複アカでバラバラになった自分を取り戻す。
若者研究部では、βutterflyと呼ばれる現役大学生の団体と「次に来る価値観(通称ツギクル)」を予測するワークショップを定期的に開催している。
今月のテーマは「次に来る自己表現」のカタチ。
若者と言えば自己表現欲求のカタマリのような印象があるが、ワークショップでは意外な言葉たちが次々と飛び出した。
■リア充は死んだ
このワークショップでは「次に来る○○の兆しシート」を各自で持ち寄り、それらを並べてディスカッションをはじめる。
今回の「次に来る自己表現のカタチ」ではこんな兆しがあった。
これまでは足し算の自己表現。SNSのプロフィール欄を / (スラッシュ)で区切りアピールできるものを詰め込んでいたが、これからは引き算の自己表現。SNSのプロフィールで多くを語らないのが主流になっている、というこちらの見解。
いわゆる「盛る」という行為は徐々に終焉を迎えているのかもしれない。
続いてはこちら。
先ほどのように「盛っている自分」や「こう見せようとしている自分」を排除しようとした結果か、もっとも盛れていないであろう寝癖を披露するアカウントが注目を集めている、という内容だった。
少し前に芸能人のすっぴん披露が流行ったが、ゼロを見せる時代からマイナスを見せる時代への移行がこれからの自己表現なのかもしれない。
そう考えると「リア充アピール」なんて行為はもう大昔のものだろうか。
■自己表現をアウトソーシング
最後にご紹介するのはこちら。
先ほどの引き算の自己表現ですら「自分で自分を演出しようとしている」というツッコミを避けるためか「自己表現は他者にアウトソーシングするものになる」というのがこちらの見解。
これまでも自己紹介の場面でスピンオフ的に「他己紹介」という手法が使われることはあった。
しかし他者による自己表現の方がいやらしさもなく、自分の新たな一面も発見できるとしたらこの「他己型自己表現」の方が主流になっていくかもしれない。
そう感じさせる見解だった。
◼️キャラの使い分けに疲れた若者たち
ワークショップでは、学生たちがこれらのシートから読み取れることを一言化してプレゼンをする。
その中で印象的な言葉があった。
「キャラを使いわけるのは、もうめんどくさい」
このグループは「あなたにあった私をみてね」と一言化したのだが、その背景にあるのはこれまで行ってきたキャラの使い分けに対する疲弊感だった。
僕が所属する若者研究部でも、これまで「自分のキャラクター性を場面や相手によって頻繁に使い分けるのが若者の特徴」としてきたが、その傾向が徐々に変わりはじめている。
◼️相手に気を遣ってキャラを使いわける
若者のキャラ使い分け文化の象徴とも言えるのが「複アカ」や「サブアカ」「裏アカ」と呼ばれる同一SNS内でのアカウント使い分けだ。
4年前に行った調査では、女子高生はツイッターのアカウントを平均で3.4個保有し、それぞれを使い分けているとされてきた。
アカウントを複数持っている、というと悪口や陰口専用の「裏アカ」ばかりが注目されがちだが、実際に話を聞くとそこには別の意味もある。
「このアカウントは趣味の話ばかりするから、学校の友達もいる本アカでは申し訳ない」
といった具合に、周囲へ配慮として自分を使い分けているという側面が複数アカウントにはあるのだ。
しかし本来、1人の人間の中に複数の側面があるのはめずらしいことではない
にも関わらず、周囲に気を遣って自分のキャラクター性をコントロールしているとしたら、それは自分よりも相手を優先しているということだ。
自分がどう表現したいかよりも、相手が自分をどう消費したいかを優先し、消費しやすい面の自分を率先して提供する。そんな涙ぐましい努力がキャラクターの使い分けや複数アカウント文化の背景にはある。
(もちろん「面倒だからこう消費しておいて」という意味もあるが)
あるいは、これまでは心理的な安全性が確保されていないと自己表現をしにくい状況だったと言えるかもしれない。
しかし今、その時代は終わりの兆しが見えている。
それは「複数アカウントでバラバラになった自分を取り戻そうとしている」と言えるかもしれない。
他者に消費させる自分はもうやめる。
そんな次の時代の自己表現が楽しみだ。
サポートいただけたらグリーンラベルを買います。飲むと筆が進みます。