梅毒は昔の性病ではありません
2020年から感染症の話題と言えば新型コロナばかりが大きく取り上げられていましたが、日常的に感染症患者さんを診療している我々にとっては注目すべき感染症も少なくはありません。これまでも本記事でダニ媒介感染症や帯状疱疹などの話題をご提供してきましたが、今回は最近話題となっている梅毒についてで、ちょうど記事が掲載されましたので概説します。
梅毒は性感染症の代表的なもので、スピロヘータと呼ばれる病原体の梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum subspecies pallidum; TP)によって引き起こされる感染症です。「昔の性病」というイメージを持たれる方も多いかと思いますが、確かに幕末の江戸では「瘡毒(そうどく)」と呼ばれ、約半数の庶民が感染していたようです。2009年に放映された民放ドラマでは幕末の江戸で流行した感染症が紹介され、その一つが「瘡毒」(もう一つは「虎狼痢(ころり)」)でした。当時は抗菌薬は存在せず(ドラマでは主人公がペニシリンを製造し特効薬として使用していましたが)吉原などの社交場で多くの花魁が亡くなった原因の多くは末期梅毒(4期梅毒)であったと考えられます。また抗菌薬が存在しない時代の後期梅毒治療として、マラリア原虫を感染させて患者を発熱させ、TPを殺滅させる治療(発熱療法・マラリア療法)が行われたこともありました。抗菌薬はなくても抗マラリア薬は存在し治療が可能であったからであり、現代ではとても考えられない治療方法ですが、考案したJulius Wagner Jauregg博士(1857‐1940)はこれによって1927年度のノーベル生理・医学賞を受けています。
その後、1928年にペニシリンが発見されてからは患者数が激減しましたが、2000年以降になって世界的に再び患者数が増加傾向となり、日本では2015年頃から報告数が都市部を中心に急増し、最も注意すべき性感染症の一つと危惧されてきました。国内で感染者の報告が多い東京都における統計(東京都感染症情報センター)によれば、2017年頃にはいったん頭打ちにななったものの、2021年から再び増加に転じており、特に2022年はこれまでにないスピードで感染者が報告され、年末を迎える前に全国で1万人を超えました(*梅毒は全数把握の5類感染症です)。すなわち、新型コロナの流行が始まってから急増している訳であり、表面上は人との接触機会が減っているとは言え、水面下での不特定多数の交渉機会はさほど減っていないことが推測されます。
梅毒は主として性行為または類似の行為によって皮膚や粘膜の小さな傷から病原体が侵入することによって感染し、数時間後には血液を介して全身に散布されて、様々な症状を引き起こします。妊娠中に感染すると胎盤を通して胎児に感染し、先天梅毒を引き起こします。通常の経過では、交渉機会から3週間程度で接触部位(多くは外性器)の硬結(初期硬結)や潰瘍(硬性下疳)が出現し、2-3カ月程度で皮疹(バラ疹)が出現します(写真)。
梅毒は多彩な症状を示すために、患者さんは多くの診療科の狭間に置かれてしまうことがあり、総合病院でも梅毒の診療経験がなければ正確な診断に至らないこともあります。また検査値や病期の評価が曖昧であると、抗菌薬の適正使用が行われずに治療に失敗したり、過剰な治療が行われたりする場合も散見されているようです。最近では2021年9月に持続性ペニシリン製剤(ベンジルペニシリンベンザチン水和物:ステルイズ®)が国内でも薬事承認されましたので、早期梅毒には単回投与(1回の注射)で治療できるようになりました。
専門医を受診して早期診断ができれば治療は困難ではありませんが、一度感染するとTPに対する抗体(TPHA抗体)は生涯にわたり陽性となり、抗体を獲得していても感染者との交渉機会があれば再感染することもありますので医療者だけではなく患者さんにおいても正しい知識が求められます。SNSなどで「新型コロナあるいはワクチン接種で免疫機能が低下したから感染者が増えたのでは?」などといったいわゆるデマも散見されますが、性感染症は必ず曝露歴が存在しますので、エピソードがない方が罹患することはなく、免疫力で治癒するということもありません。
梅毒や他の性感染症に関する情報は当院ホームページにも記載してありますので、ご参照下さい。
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