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無力感に苛まれる必要もなければ、意味もない。一隅を照らそう。

「ロシア軍、ウクライナへの攻撃開始」の速報が出た2月24日の午後からかれこれ4日経つ今日も、刻一刻と情勢は変化を続け、関連ニュースが連日メディアやSNSを騒然とさせ続けている。

平日の日中であっても、「仕事が手に付かない」とまでは行かないが、常に気になってしまい、心のざわつきが止まらない。そんな心境になっているのは筆者だけではないはずだ。

ウクライナ侵攻が報じられた夜、筆者は居ても立っても居られずFacebookでこんな投稿をした。

センシティブな話題ゆえ、「誰に見られるかわからない全体公開」よりも「ある程度閲覧範囲が限られる友達限定」の方が、安心して率直にコメントできるはず、という考え方に基づき、友達限定で投稿をしたところ、実に100件近くのコメントが集まり、非常に参考になる書籍や文献、動画をインプットすることが出来た。
(その中でも特に必見だと感じた情報については、本記事の末尾でいくつか紹介したい)

ただ、上記の投稿の中で一つだけ後悔していることがある。

それは「自分自身が何も出来ない無力感も含めて」という一文を添えて投稿をしてしまったことだ。投稿をした時点では特に疑問を持っていなかったが、コテンラジオで有名な深井さんのツイートを読み、ハッとさせられた。

「ほとんどの人は無力じゃない」

この深井さんの言葉に、ハッとさせられるとともに、勇気づけられたのは、きっと筆者だけではなかったはず。

筆者自身は、このツイートに勇気づけられるとともに、ある偉人のある言葉を思い起こしていた。

「有名無力 無名有力」

これは、昭和史最大の黒幕として知る人ぞ知る人物、安岡正篤氏の遺した言葉として知られる言葉だ。

「有名になればなるほど力を発揮しずらくなるが、無名であれば陰から力を発揮し続けることができる」という意味だそう。「無力」という言葉を聞いて思い出した言葉である。

ただ、この文脈でより一層筆者の心を打った言葉がある。上記で紹介した安岡正篤氏の次の言葉である。

一つの灯火を掲げて一隅を照らす
一灯は二灯となり三灯となり
いつしか万灯となって
国をほのかに照らすようになる
そのためには自分自身が明かりにならなければいけない
自分自身が発光体になるのだ

出典:『青年の大成』(安岡正篤)

これは、日本天台宗の開祖・最澄の言葉『一燈照隅 万燈照国』をもとに、安岡正篤氏が敷衍したものであるが、さらに噛み砕いて説明すると「天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間になろう」という考え方である。

そう、無力感に打ちひしがれる必要はない。なぜなら、無力感に苛まれたとしても、誰かを照らすことはできないからだ。自分の罪悪感がいくばくか和らぐことはあったとしても、誰かを救うことはできない。

だとするならば、いまわれわれがすべきことは「いま自分がいる場所で、自分ができることをする」ことに尽きる。

それは、いま異国の地で起きていることから目を背けて、普段やっている仕事に専念していれば良い、という話ではなく、どんな歴史的背景があり、どんな地政学的な駆け引きがあり、今回のような事態が起こってしまっているのか?を、まずはできる範囲で知り、学ぶことも一つだろう。

筆者のように、学齢の子を持つ親であれば、噛み砕いて小学生や中学生にもわかるような表現で伝え、対話をし、ともに考えることも、十分な灯火になるだろう。

懐事情が許すのであれば、寄付をしてみるのも良いかもしれない。
読売新聞の記事によれば武器の購入などに充てられるのではと懸念する声もあるが、大使館は「全額人道支援のために活用させてもらう」とのこと。

筆者が参考にした文献・動画

今回のコラムはとりとめもない、ポエムのような内容になってしまったが、本記事の冒頭に紹介したFacebookでの投稿にいただいたコメントで紹介された文献・動画を中心にできる範囲でインプットをした。その中でも特に参考になった文献・動画をいくつか紹介したい。

動画:「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】

Facebookのコメントでも、直接いただいたメッセージでも圧倒的に多くの方にすすめられたのがこちらの動画。再生回数が300万回を超えているので、すでに視聴済みの方も多いかもしれない。

ついつい欧米(NATO)側の目線で報じられがちなウクライナ侵攻について、歴史的背景な背景を踏まえ、なぜそもそもロシアがこんな強硬手段に出てしまっているのか?を非常にわかりやすい語り口で解説されている。豊島氏自身がモスクワ支局長を務めた経験があることもあいまってか、非常に解像度高く事情を理解されていて、それゆえ解説もわかりやすい。
(かといって、ロシア側に肩入れしているわけでもなく、ウクライナ侵攻は許されざる事態だという前提で語られている)

40分近くあるボリューミーな動画ではあるが、倍速再生機能を活用すれば20〜30分で見れてしまうので、まだチェックされていない方はぜひご視聴をオススメしたい。「正義の反対は悪ではなく、また別の正義である」ことを痛感させられる。

小説:『同志少女よ、敵を撃て』

上記の動画の中で参考文献として紹介されていたことをきっかけに一気に読みふけってしまった一冊。ロシアがいかに悲惨な19世紀〜20世紀を過ごしてきたか?については動画の中で解説されているが、とりわけ凄惨を極めた第二次世界大戦の「独ソ戦」を舞台に女性狙撃兵の人間ドラマを描いた小説である。

詳しいレビューは以下の記事に譲るが、とにかく描写が恐ろしくリアルである。

活字を読んでいるだけなのに、さながら映画を観ているかのようにありありと映像が脳内で再生できてしまうほどのリアルさ。人里離れた村からはじまる牧歌的な幕開けから急転直下、悲劇に見舞われる衝撃的な第一章にはじまり、最後までノンストップで読みふけってしまうほどの没入感。戦争小説として天下一品であるのみならず、独ソ戦がいかに非道な戦争(否、いかなる戦争も非道であるが…)であったかについて理解する上で有用な一冊といえよう。
(この1件で本書の紙の書籍は売り切れ・入手困難となり、メルカリでは高額で取引がされているので、現時点ではKindleなど電子書籍でご一読いただくのが最短であろう)

・・・と、まだまだ紹介したい文献はほかにもあるのだが、時間切れになってしまったので一旦ここで筆を置かせてもらう。後日追記予定だ。

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