オーロラを見ても人生は変わらなかった「期待値コントロール」の話。
10年前の冬、ノルウェー、
人生で初めてオーロラを見た日。
僕の感想は「なんだ、人生観は変わらないな」だった。
もちろん、オーロラはきれいだった。
今でも鮮明に思い出すことができる。
それはもう美しくて、感動的な自然現象だった。
でも僕は、少しガッカリしてしまった。
テレビや雑誌で「オーロラを見たら人生観が変わる!」なんて話を聞いて、期待をして、お金を貯めて、ようやくたどり着いたオーロラだったから。
この現象の名前は、数年後に判明する。
「期待値コントロール」だ。
コンサルの仕事をはじめてから出会ったこの言葉、この現象について、例によってパワポで整理してみた。
今日はそんな話。
■判断軸を奪われた感覚
まず、僕の身に起きたことを振り返ってみる。
日本から十数時間、飛行機を乗り継いで、ノルウェーのバスツアーに参加して、2時間走った森の奥でようやく出会えたオーロラ。
最初の印象こそ「なんだ、人生観は変わらないな」だったが、次に抱いた感情は「普通にキレイって思いたかったな」だった。
おそらく前情報がなければ、僕はその美しさに対してフラットに感動できていた。
普通に感動できたはずなのに、前情報によってその感動が奪われてしまった。それが悲しかった。
自分の価値基準は、無意識のうちにメディアに奪われていたのだ。
見てもいないのに「オーロラは見たら人生観が変わるもの」と刷り込まれて、いつしか自分で判断できないようになっていた。だから実際にオーロラに遭遇した時は、夢から醒めたような感覚だった。
もちろん、そんな前情報がなければそもそも「オーロラを見に行こう」なんて思わなかったかもしれない。そういった意味では行動を促してくれたメディアには感謝だ。
一方で、夢を見させる人の責任についても考えさせられた。
それが僕のオーロラ事件だ。
■期待値コントロールと、アイデアじゃんけん
数年後、このオーロラ事件を思い出す言葉に出会った。
それが「期待値コントロール」。
コンサルティング業界では頻出ワードらしい。
「コンサル」はなんでも解決してくれる夢のような存在と思われてしまうことが多い。だからクライアントに過度な期待を抱かせないよう丁寧にゴールイメージを擦り合わせる行為、もしくは期待に応えられそうにない時は誠意をもって断る行為を「期待値コントロール」と呼ぶらしい。
適切に期待値をコントロールできれば、クライアントの満足度が上がる。
それを聞いて、僕は広告のプレゼンを思い出した。
広告業界(と言うか僕の周り)には「アイデアじゃんけん」という言葉がある。これはどのアイデアが勝つかは出してみないとわからない(結局クライアントの好みだったする)じゃんけんのようなもの、という意味。
広告会社の中でも僕のような職種の人間は、このじゃんけん勝負になることを避けるために戦略をつくる。相手の価値基準だけでフラットに判断されてしまうと、結局主観や好みの話になってしまう。
それを避けるために、キラーデータや客観的な視点を用いて判断軸に線を引く。旗を立てる。その上でアイデアを見せるのだ。
相手の主観で判断される前に、判断軸を少し意図的にズラさせてもらう。
これはプレゼンテクニックの1つだが、どのアイデアを選んでも戦略には沿っているので、アイデアを選ぶクライアントの満足度を高めるという意味では広義の期待値コントロールだったりする。
ちなみに戦略の提案に失敗すると、どのアイデアも選ばれない。
(アイデアで勝負する前に負ける)
■世の中の期待値コントロール
話を元に戻す。
僕はメディアやコンテンツ業界は(多かれ少なかれ)世の中の期待値コントロールを担っていると思う。
夢を見せる職種は、夢を適切に見せる職種でなければいけない。
○○すると、人生が変わる。なんて最も注意すべき表現の1つだ。
例えば
結婚したら人生観が変わる
子供ができたら人生観が変わる
そんな発言には大きく「個人の感想です」とつけ加える必要があるし、それが美しく見え過ぎている時は、適度な不倫報道でバランスとることも期待値コントロールの1つかもしれない。
これらはすべて、価値基準を奪わず、満足度をあげるためだ。
結婚も出産も、本来は選択肢の1つでしかない。
しかし
○○すると、人生観が変わる
なんて言われたら「○○を体験しない人生=損をしている人生」と感じてしまうだろう。
本来の自分の価値判断では選ばない経験だったこともでも、無意識にそれを求めてしまう。「○○したい」ではなく、「○○してみたい」という気持ちが高まる。そして経験した後は「素晴らしい体験だと思わなきゃいけない」とプレッシャーを感じてしまう。
その1つの1つのズレは、今の生きづらさとは無縁ではない。
そんな夢から醒めて、それぞれの価値基準を取り戻す。
もっとフラットに判断できるようにする。
今の世の中は、そんな流れの途中だ。
僕も落ち着いたら、もう一度自分の価値基準でオーロラを見に行きたい。