マーケティングを江戸時代から学ぶ~三井越後屋の戦略をトレース~
経営思想家のドラッカーは著書『マネジメント』の中で、東洋におけるマーケティングの始まりを17世紀半ばの三井高利だと書き、三井越後屋のマーケティングがアメリカの百貨店シアーズ・ローバックの基本方針より250年も先んじていたと評価をしていることは有名な話です。
現在使われているマーケティングの考え方は、米国から輸入された考えが大半ですが、改めて日本独自に生み出された考え方を事例を体系化していくことが大切だと考えています。
この記事では、ドラッカーも取り上げた三井越後屋をテーマにマーケティングトレースをしていきたいと思います。
三井越後屋の創業者であり、天才マーケターである三井高利の視点も解剖をしていきたいと思います。
三井越後屋のマーケティング基本戦略
三井越後屋はマーケティング戦略の視点で何が優れていたのかを整理します。
有名な「現金、切り売り、掛値なし」の新しい商いモデル
三井越後屋は、それまでの呉服屋の常識を覆して、新たなマーケティングを実践していました。
江戸のビジネスバイブルと言われる、井原西鶴の「日本永代蔵」にも、革新的なビジネスであったことが触れられています。
マーケティングミックス4Pで三井越後屋の戦略を分析
まずは、誰に、どんな価値を提供する戦略をとったのか4P分析のフレームワークで分解をしてみます。左が既存の呉服屋で、右の赤の内容が三井・越後屋についてです。
顧客の再定義と、マーケティングミックス4Pの全要素を顧客中心に再設計していることがわかります。
Customer (顧客)
三井・越後屋は、町人や中間層など、従来より広い顧客層をターゲットに
Product (商品)
従来品の呉服を中心に、すぐに日常で着られる手軽さを重視
小物を切り売りすることで、柔軟な販売スタイルを展開
Price (価格)
定価販売を採用し、誰でも同じ価格で商品を購入できる透明性を提供
現金払いのみを許可し、ツケ払いを不可とする強力な価格体系を築き、低〜中価格帯の商品設定
Place (流通)
店頭での直接販売にこだわり、顧客との直接のコミュニケーション
顧客の注文にその場で対応する「即座仕立て」のスタイル確立
Promotion (プロモーション)
「現金掛け値なし」というスローガンで、明確な価格提案を行い、顧客に分かりやすいメッセージ発信
顧客への傘の貸し出しなどを通じて、口コミ効果を狙った宣伝活動へ
とくにプロモーション視点は、傘の貸し出し、奉公人の風呂敷にロゴをつける→小説や川柳でも読まれるような仕掛けをしていたのが興味深いです。
優れた戦略は、捨てることを先に決める
三井越後屋には、「武士相手の掛け売り禁止」と店の規則をまとめた諸法度集に書かれていたようです。
優れた戦略は、捨てることを決めることの重要性も理解することができます。
ビジネスモデルで優位性を築く
安くても品質が高い商品をつくることができた理由も面白いです。
江戸への出店と合わせて京都に呉服の仕入れ店を開業しており、
・良質な商品・素材を直接仕入れる
・江戸で低価格・高品質で販売する
といったビジネスモデルをつくりあげている点にも注目です。
三井越後屋から戦略視点で学べることをまとめます。
続いて、江戸時代の当時の社会環境の変化を整理しながら、三井越後屋がどのような戦略判断をしていったのかを読み解いていきます。
外部環境を理解して、戦略適応
三井越後屋からは、外部環境の変化に適応をして戦略をつくるスタイルもわかりやすく学ぶことができます。
各領域の変化に、どのように適応して事業を成長させるかのヒントが得られます。
政治的要因
変化: 幕府の商業統制(問屋制など)により、江戸が新たな政治の中心地となった。
三井越後屋の適応戦略: 問屋を介さず、顧客と直接取引を行う直販制を採用し、規制を回避。
経済的要因
変化: 貨幣経済の発展により、町人や中間層の購買力が向上。
三井越後屋の適応戦略: 固定価格販売と「現金掛け値なし」によって透明で公正な価格体系を導入し、安定したキャッシュフローを確保。
社会的要因
変化: 江戸に人口が集中し、町人文化が台頭。町人や中間層が購買活動の主要な担い手となった。
三井越後屋の適応戦略: 町人や中間層を主な顧客層とし、低価格販売や小物の切り売りなど、彼らのライフスタイルに合った柔軟な販売手法を導入。
技術的要因
変化: 五街道などの交通・物流網の整備により、商品の流通がスムーズになった。
三井越後屋の適応戦略: 「即座仕立て」による迅速な顧客対応と効率的な物流管理を実現し、顧客満足度を向上。
競合との関係性をプラスに捉える
当時の状況をみると、他の呉服店も「現金掛け値なし」の商法と「店前売」の販売スタイルを模倣していたことがわかります。
そんな中、三井高利は、競合を脅威と捉えるのではなく、模倣を許容するような発言をしていることにも注目です。
競合の動きの捉え方として参考になります。この捉え方ができれば、常に新しい工夫をつくる経営・組織文化になっていくのだと考えさせられます。
三井高利は少し離れて「客観的に」江戸をみていた?
上記のような素晴らしい経営・マーケティングを実践した三井高利は、越後屋の立ち上げ当初は、伊勢国・松坂に拠点をもち、遠隔で指示を出していたようです。
地方にいたことで、江戸の既存の商習慣にとらわれず、新しいビジネスモデルを考案する自由な発想ができたと考えることもできます。
また、松坂では金融業を営んでおり、この経験が経済の動きを広い視野で捉える力を養ったと考えられます。
1. 社会の動きを客観的・俯瞰的に捉えること
2. 業界の慣習にとらわれずに、顧客視点でビジネスモデルを捉え直すこと
この2つが、三井高利から学べるマーケット感覚だと捉えています。
百貨店の転換期を三井越後屋から地続きで考えてみる
ここまでご紹介した、三井越後屋の変革は、明治時代に三越となり、デパートメントストア宣言から百貨店のビジネスモデルにつながっていきます。
歴史を簡易的に整理します。
1673年:三井越後屋の革新期
三井高利が三井越後屋を創業
店頭販売、現金決済、正札販売を基本とした「店前現銀掛値なし」を実践
1905年:三越への発展と百貨店モデルの確立
「デパートメントストア宣言」を発表
催事や美術展示などを行い、「見る楽しさと買う楽しさ」を両立させた新しい体験を確立
現代:生活に根付いた百貨店モデルへの発展
委託仕入れや売上仕入れなどの独特の商習慣の確立
私鉄系百貨店が台頭
百貨店は、
・呉服店を前身とする系統
・私鉄百貨店の系統
この2つの系統に分かれて発展をしてきています。
江戸時代から三井・越後屋がつくってきた商いのモデルを土台に、主に1930年代から1960年代にかけて、私鉄系百貨店(関東では、小田急、京王、西武など、関西では阪神・阪急など)が台頭します。
ターミナル駅に百貨店を建てて沿線住民に利用してもらう仕組みが生まれ、百貨店は生活に身近なものとなっていきます。
歴史から見た現代の百貨店をどう捉えるか?
多くの方が耳にしている通り、百貨店のビジネスモデル、戦略には変化が必要だと言われています。
日本経済新聞の下記の連載名は「超百貨店」です。
三井高利が創り出してきた三井・越後屋のブランドや戦略から、百貨店が生まれるまでの一連の流れを整理してきました。
改めて、歴史を整理した上で、下記のような問いに向き合ってみるのは有効ではないでしょうか。
インバウンド需要も拡大していく中で、歴史を振り返り、日本らしい商いの形を提示していくことも、大切なのだと考えています。