「どの会議に出席するか?」問題
林芳正外相が国会日程を優先し、インド主催のG20を欠席した件で、「外交軽視」と批判が高まっている。
たとえ閣僚でなくとも、会議が重なったときに何を優先するか、そもそも何に時間を使うのかという問いは、すべての管理職にとって切実だ。才能を所与とすると、仕事において私たちが制御できるインプットは、時間くらい。しかも1日24時間と誰にとっても平等に限られた資源の使い方には、細心の注意が必要になる。
特に管理職がシニアになるにつれ、限られた時間供給に対する需要は増すばかり-出席を求められる会議は多く、接するチームメンバーも増えるからだ。需要過多の事情は、リモート勤務が定着して悪化したように感じる。会議と会議の間に隙間がなくなり、詰め込みが可能となったうえ、たとえ朝早くても夜遅くても「自宅でしょ」と安易に会議が設定されてしまう。もちろん、顔を合わせないチームメンバー一人一人に対するケアも、これまでに増して必要だ。
いくら何でも多すぎると、出席する会議を取捨選択しようとすると、Fear of Missing Out(FOMO)が顔を出す。情報をミスして何かに乗り遅れるのではないか、という潜在的な恐怖だ。実際、会議に出れば何かしら大小得るものはあるから、FOMOを払拭することは難しい。
では、際限ないオンライン会議の増殖をどう止めるのか?気にするべきは、機会コストだろう。時間を会議に使うことで、考えをまとめたり、熟成させたりする時間が失われてしまう。人間の脳は、リラックス状態でこそ思いつきがあったり、異質なアイデアを掛け合わせたりしてくれる性質がある。いや応なしに情報が入力される会議とは別に、脳を遊ばせ、出力に使う時間を確保することは、知識産業にいる者にとって、非常に大切だ。
幸い閣僚のように厳格な会議出席ルールに縛られるわけではない私たちとしては、考える時間を自衛しながら、出席する会議を選ぶことが妥当だろう。自らの出席がグループにとって大きなプラスになり、自分にとっても学びが大きい会議の優先度は高い。
さらに、能動的に会議ダイエットを仕掛けることもできる。例えば、個々のチームメンバーが元気に仕事をしているかどうか、定期的に確認する必要があるとしよう。あえて対面で、社交を兼ねたグループ会合の機会を作ることで、いつでもメンバーから管理職へ声をかけやすい雰囲気を作ることができる。機械的に短期周期のオンライン「個人面接」を設けるよりも、心のつながりができるのではないだろうか?
林外相の選択をきっかけに、閣僚の国会出席の在り方が問われている。会議に出席する以上、周りにも自分にも意義の大きな時間にする責任がある。管理職が他山の石とすべき実例だろう。
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