見出し画像

明日視力を失ったら

全盲と一口に言っても、生まれながらに目の見えない人間と、それまで体に何の不具合もなく人生を送ってきた人間が突然光を失うのとでは、その苦しみは全く違った性質を伴う。

私の祖父は62歳で失明した。緑内障と白内障が同時に進行し、当時の医療技術では手の施しようがなかった。

若い頃の祖父は大変活発な人で、戦前に大学を出た後、地元で教鞭をとる傍ら乗馬やスキーに親しんだ。少しバタ臭い顔立ちで、いつも190センチ近い高身長にぴったり設えられた背広を着こなし、独特の雰囲気を持っていた。実家には祖父の蔵書があり、視力を失う前は読書が趣味だったという。また、無類の酒好きであった。その祖父が晩年20年間は、暗闇の中に生きたのである。

祖父は私を溺愛した。私がはしゃいで突然祖父に抱き着いたり、足に縋ったりすると、いつも母が「びっくりするからやめなさい」と(目が見えないんだから配慮なさい)というのを言外に滲ませた口調で嗜めたが、嫌な顔一つせずに私の相手をしてくれた。

ある日、私がいつもの調子で祖父を驚かせようと部屋に忍び入ると、祖父は音もたてずにさめざめと泣いていた。幼いながらも見てはいけないものをみたという思いに駆られ、気づかれぬようそのまま物音を立てずに部屋を出たことを思い出す。

人間が目から得る情報量は多い。視覚情報がなければ楽しめない娯楽は多いし、自分の体型を管理したり身だしなみを整えることも難しくなってくる。

毎朝、誰の手を借りることもなく自ら髪を整えて、お洒落をし、ラジオ体操によって体型を整え、背筋を伸ばして居間に降りてくる祖父は立派だった。10年の時を共にして祖父がちぐはぐな恰好をしていたことは一度もなかった。

祖父の一番の楽しみは恐らく食事を除けば私のピアノだった。私の弾く下手なショパンを、まるでツィマーマンのピアノ協奏曲を聞いたかのように大げさに褒めて聞いてくれ、こちらから断らない限り、何度でもアンコールを求めた。

目の不自由な人はその他の4感(聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が研ぎ澄まされる、とよく言われる。世界的に著名な音楽家の中には全盲の人も少なくない。だが、恐らくそれは生まれながらに全盲の人の話ではなかろうか。少なくとも祖父は、人生の中途で視力を失ったが、その他の感覚が以前より発達することはなかった。

暗闇が人間に与える恐怖

全盲の人間がどのような生活を送っているのか、世間ではあまり知られていない。

言うまでもないが、一人で外出することは困難を極める。動いた先に障害物があるかもしれないし、なにか尖ったものを踏みつけてしまうかもしれない。子供が暗闇を怖がるように、人間が自分の安全を確認する上で視覚情報は大きな役割を果たしているのである。白杖を使う人の中にはロービジョンと言って、若干視力が残っている人もいるが、何であれ視覚障碍者が白杖を頼りに街中を自力で歩くのは並大抵のことではない。

それでは彼らはどのような方法で外出しているのだろうか。

視覚障碍者が外を出歩く上で、いま最も普及しているのは同行援護従業者による外出補助である。同行援護とは、視覚障碍によって移動に困難がある人に対して、外出に同行するサービスだ。同行援護を行うガイドヘルパーは、目的地に向かうために必要な情報を提供したり安全を確保したりして、視覚障碍者が外出するときに必要な補助を行う。主に移動や外出先での代筆・代読・排泄・食事等を介助する。

原則として、通学や通勤には利用できず、通年かつ長期にわたる外出には利用できないことになっている。さらに行政は同行援護従業者に給付する時給に上限をもうけており、月50時間を超える場合には、利用者が自費で時給を賄わなければならない。また、基本的には予約制であり、常に同行援護従業者のスケジュールが確保できるわけではない。晴れた日に自由に外を散歩したり、何か突然必要なものがあっても、すぐに買い物に出られないのである。

その点で盲導犬のほうが自由度が高い。思い立ったら外に出ることができる。しかし盲導犬は「角を教える」「段差を教える」「障害物を教える」と言った動作はできるが、道案内はできない。盲導犬を飼う側が、事前に地図をインプットしておかなければ使いこなせないという問題を孕む。

いま、障碍者手帳を持つ視覚障碍者は全国に約32万人いると言われる(平成18年、厚労省調べ)。色盲など何らかの視覚障碍を持っている人も含めればその数は約140万人にのぼるとも言われている。それに対して盲導犬の数は約900頭。現状では視覚障碍者が同行援護従業者なしに安心して移動できる環境は充分に整備されているとは言い難い。

視覚障碍者の行動に自由をもたらす

だが、昨今そういった課題を解決し得るシステムの開発が進められている。「視覚障碍者向け歩行支援システム」である。

スマートフォンやスマートグラスから目的地のナビゲーションを行い、目的地までの経路情報や、歩行中の障害物をAIを通じてリアルタイムに知ることができる。このシステム開発は、北九州に拠点を置くコンピュータサイエンス研究所が手掛けており、すでに実用化に向けて視覚障碍者の協力を得て実証実験を行う段階にまできている。1年後には商用化する見込みだ。

「視覚障碍者向け歩行支援システム」を構想したのは、日本最大手の地図メーカーであるゼンリンの副社長を務め、ゼンリンデータコムの社長・会長を務めた林秀美氏だ。林氏は、ゼンリン時代の35年前に、いまや当たり前となったカーナビゲーションの開発を主導した人物である。いわば「地図屋のIT革命」を牽引した人といっていい。精密さで定評のあるゼンリンの地図とGPS機能を掛け合わせて誕生したカーナビは、紙の地図が当たり前だった従来の社会を一新し、瞬く間に世に普及した。そして現在開発が進められている「視覚障碍者向け歩行支援システム」は、いま我々が日常的に利用するカーナビの延長線上にある。つまり、音声情報によって利用者を目的地に導いてくれるシステムなのである。

トルコのWe WALKやGoogleなどの競合会社もいるが、詳細な地図データを使用することでより快適な歩行支援を実現できるのは、ゼンリンデータコムの社長・会長を務めた林氏の最大の強みである。

ここにゼンリンの地図の精密さを示す逸話がある。あのグーグル・マップに日本の地図を提供したのはゼンリンであったが、2019年に契約を打ち切ってGoogleが独自で地図情報を更新するようになってからは、地図から道路が一部消えたり、停留所などの表示が消えたりするなどの「不具合」が発生しているという。少し前までは、馴染みのない土地を車で走っていても、グーグル・マップをつかえば裏道・小道まで詳細に表示してくれたものだが、ゼンリンが自社の地図情報を提供しなくなるとかつての利便性は失われた感がある。案内通り目的地に向かうと、目当ての店は建物の裏手にあり、見つけるのに時間がかかることもしばしば起きるようになった。やはり1000人規模の人間が靴底をすり減らして着実に作り上げるゼンリンの地図には敵わない。

それほど精密な地図を用いてカーナビシステムを手掛けた林氏が、ゼンリン時代に培った知見を活かし、視覚障碍者が同行援護従事者なしに一人で安心・安全な移動ができるシステムの開発を進めている。GPSの誤差補正アルゴリズムを独自に開発し、都立大学との共同研究による深層学習を用いた障害物検出手法を使って高精度のシステム構築を目指していると言う。

今、世界中のアスリートが日本に集い、パラリンピック競技を通じて多くの感動を与えてくれている。

1948年にパラリンピックが始まって1世紀も経たぬうちに、新たな技術を用いてバリアフリーやユニバーサルデザインを実現しようとする取り組みが世界中でみられるようになった。そして本稿が紹介した「視覚障碍者向け歩行支援システム」が成功すれば、社会はさらなるバリアフリーを実現できるであろう。

「道徳経済合一説」は再興するか

国際社会での日本の地位低下が叫ばれて久しい昨今、日本企業主導の下こういった公益性の高い事業を成功させることに大きな意義があるのではないか。

「事業」や「実業」というと未だに私利私欲を追い求めたり私腹を肥やすイメージがつきまとう。事業と言うのは利益を出すのが大前提ではあるが、それ自体に公益性や道徳が無ければいけない。

資本主義社会では人々の自己利益の追求がひいては社会全体の調和をもたらす、といったのはアダム・スミスであるが、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は私益の追求が国を亡ぼすと言い、公益と私益をバランスよく追い求めることを説いた。経済活動において、公益の追求を尊重する「道徳」と、生産殖利である「経済」はともに重視すべきものであって、どちらかが欠けてはいけないという考え方であり、一般に「道徳経済合一説」と呼ばれる。この「道徳経済合一」の理念を生涯追い続けた渋沢が、2024年に財界人として初めて一万円札の顔となる。

欧米型の私益追及の資本主義ではなく、渋沢の提唱するような人々の生活や社会構造を改善する公益性の高い事業は間違いなく人々の暮らしを豊かにするだろう。「視覚障碍者向け歩行支援システム」はまさしくその流れを汲む事業である。

私の祖父が亡くなって15年。もし今生きていれば、この新たな事業に胸を躍らせ、成功を祈ったに違いない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?