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「新しいもの」のための「小さなポケット」と「こやけ」

お疲れさまです、uni'que若宮です。

今日はちょっと「小さなもの」の可能性について書きたいと思います。


大変だった、わずか半月でのファンドレイジング

今日、ART THINKING WEEKも最終日でした。みなさまのご支援のおかげでどうにか開催することができました。

ART THINKING WEEKは、以前こちらの記事でも書いたように、文化庁のArts for the Futureという補助金に申請をしてしまったために、非常に苦しい状況に追い込まれたプロジェクトでした。

イベントも終了しましたが、今日現在、審査結果が出ておりません。これはうちだけではなく、同じような団体が

確認中 1,686 件 (2021年11月29日時点)

もあるのです。

そんな状況での開催だったため、11月に入って急遽企業協賛を募りまして、結果として8社+2個人から協賛をいただき、Peatix上での寄付応援チケットでも41名もの個人のみなさまにご支援いただきました。(本当にありがとうございます!!)

期間が短すぎてクラウドファンディングなどもできず、イベントの準備と並行してのファンドレイジングだったので、できればある程度まとまった金額の協賛がいただけないかと、実は大企業にもいくつかご検討をいただいたのですが、決裁が間に合わず、断念となった企業が多数いらっしゃいました。

これまでアート思考関連でお付き合いのあった担当の方や友人が応援したい!といってくださり、会社にかけあうので資料ください!とお声がけいただけて、それだけで本当に涙が出るほどうれしかったです…。

というのも、僕自身大企業にいた経験が長いので、決裁のプロセスの長さや説明責任を考えると「協賛」はむずかしいということが身にしみてわかっていたからです。ですから、今回のように2週間で企業協賛を募る、というようなことははっきりいって相当に無理筋で、そんな中でも「ダメもとでも」とご検討をいただけたのが、その想いが本当にありがたかった…。


「大きさ」の不自由

一方で、「大きさ」の不自由というのも改めて感じました。そもそも、文化庁の審査プロセスの遅さも「公」=「おおやけ(大きな家)」、つまり「大きい」せいなところもあると思っているのですが、物理的にも「大きい」組織は慣性力が質量に比例して大きくなり、どうしても重く、動きが遅くなります。

またそれだけではなく、「積み上げてきたもの」が多いほど失うものも多くなりますから、その分新しいことに対する自由度が少なくなっていきます。資産家や政治家など「親がえらい」「家柄がいい」家の子供が、門限が厳しかったりやりたいことを自由にできないのに少し似ているかもしれません。

僕も大企業での新規事業が長いのでよくわかるのですが、ベンチャーや中小企業に比べてお金が潤沢にあるはずでも、実は自由には使えないのですよね。詳細な「費用対効果」の説明など沢山のプロセスが必要となる。結果としてベンチャー企業ほどもお金を使えなかったりする。

ただ、これは「新しいもの」を生み出していく上ではやはりちょっと不自由だったりします。

経営の神様ドラッカーは、

大企業のマネジメントには、小さな事業に必要な感覚がない。大企業は小さな事業を理解できないしたがってまちがった決定を行う。だが大企業といえども、革新を行うには冒険的な事業には手をつけなければならない。新しいものは、常に小さなものから始まる。

「新しいものは、常に小さなものから始まる。」といっています。


大企業に必要な「小さなポケット」

もちろん、大企業には大企業のよさがあります。しかし、意思決定はどうしても大きく、重くなりがちです。

もちろん、自動車のような大きなものを作ろうと思うと関係者が多いので仕方ありませんが、新規事業においてはそれほど大きな予算が必要なく、小さな予算でできることもあります。しかし、そうした小さな予算にも「決裁承認」のプロセスがすべからく必要になる。すると小さな予算でも「新しいもの」≒「よくわからないもの」には割けなくなってしまう

結果として、大企業の新規事業部隊では「担当者の想い」とか「手弁当」とかで予算がつかずに事業を始めることもあります。

別件ですが同じ期間に、とある企業から「アート思考の事業をやりたいので一緒にやりたい」という相談を受けました。ただ、話をきいてみると非常に低予算で先方のつくったプログラムの「講師」をしてくれないか、というもので、僕はその内容をきいて正直「これだとアート思考ではないな…」と思ったのですね…。で、これだと自分が担当するプログラムとしては受けられないので、「もし引き受けるならプログラムから一緒に考え直せないとちょっと…。」とお話をしました。

すると先方からも「それはぜひ!」という反応だったのですが、そのあと続けて「その分一緒にプログラムをつくる分は予算はかかりますが…」くらいまで行った時に相手の顔が一気に曇り「あ、そうなんですか…」という感じになってしまいました。

僕は正直「またか…」という気持ちになりました。ベンチャー界隈では、大企業の人が「情報交換」とかいう名目でいろんな知見を聞き、勉強になりました!!と「タダで」帰っていくケースをよくききます。正直、”稼がなければ死ぬ”ベンチャー企業からすると時間やノウハウは無償で提供できるものではないのですが、こうしたすれ違いは本当に多く起こります。

これは一つには、基本的にベーシックインカム的にサラリーがもらえる仕事では時間価値の感覚がもちづらい、というのはあると思います。僕自身大企業にいた時にはそうした感覚が本当に希薄でご迷惑をかけたな、という反省があります。ただ今回おもったのは、意識の問題だけではなく、実は「新しいもの」に予算が取れないという事情も影響しているのでは、ということです。

企業ではある程度の見込みの説明をもって「決裁」を取らねばならないため、その調査段階の「海のものとも山のものとも」という段階では予算がつきません。そこで、「まずはタダで聞ける範囲できいてみよう」ということになるのではないか。その一方でコンサルティングファームには数千万単位でお金を払っているのに、と不思議な感じがするのですが、それは「コンサルティングファームの名前」への信頼があるので決裁が通るんですよね。

もちろん、ベンチャーでも「お金のためだけ」に動いているわけではありません。今回のイベントも利益度外視で始めたプロジェクトですし、「想い」でつながってビジネスの関係ではないところからなにかが起こっていくことはあります。

しかしだからといって、会社から予算を取れないから当たり前にタダで、というのはやっぱりちょっとおかしいのではないかなと思うのです。「想い」というのなら会社を説得してお金をとる努力をねばるべきではないかな、と。それがやりづらいのを「小さいもの」に押し付ける、というのは「想い」とはいいづらい。(同じような感じで協業で起こりやすいのが、大企業や公側のプロセスはめちゃくちゃ遅くて待たせるのに、それが遅れたしわ寄せをベンチャーに押しつけ、平気で「いついつまでに」とか言ってきたりする問題、というのもあります。いや、、ベンチャーが機動力高いってそういうことではないです…)

もちろん、大きな金額の決裁や関係者が多いプロジェクトであればそれなりの議論や決裁確認のプロセスを何段階かとらなければいけないこともあると思います。しかし、そうではない「小さな」「新しいこと」については、ぱっとそこに予算を取れるような「小さなポケット」をもっておくといいのではないかと思います。

今回、企業の決裁プロセスですらむずかしい中、なんと長崎県庁さんが協賛をしてくださって本当にびっくりしました。内部で調整してくださった松尾さんの強烈な突破力あってのことですが、これも現場にある程度裁量権のある「小さなポケット」があったからこそだと思います。


「おおやけ」から「こやけ」へ

「小さなもの」から「新しいもの」が始まる、ということについていえば、大都市よりも地方のまちの方が面白いことが起こっている、という感覚も強くなっています。

先日、東邦レオの吉川稔さんが隈研吾さん、齋藤精一さんらと「地球OSプロジェクト」に参加してきたのですが、

この時繋がれていた、大阪の中津や香川の父母が浜、北海道の東川町などもそうですし、長野県塩尻市や千葉県流山市や海士町、北海道のニセコなど、どんどん面白い人が集まっていっている地域があります。こうしたまちは別に予算がすごく潤沢だとかすごい観光資源がたくさんある場所、というわけではないんですね。

むしろあんまりそういうものがない。だからこそフットワーク軽くベンチャー的な感覚でコトを起こしていき、それを面白がった人たちが集まってくる。

また「おおやけ」という感じに行政が主導するだけではなく、地域の民間企業や住民、外の人をうまく巻き込めているのもこうした街に共通することです。「おおやけ」というより「こやけ」になっている。そういうところから「あたらしいもの」が生まれていく感覚があります。


これまでの拡大志向の資本主義ではどうしても「大きなもの」がリスペクトされてきました。大企業で働いている方がエリート、だとか社員数や時価総額が大きい企業がすごいだとか、地方都市より大都会のほうがすごいとか。

しかしこれからのサステナブルな社会、VUCAと言われる変化の時代には、「小さいもの」がますます重要になり、リスペクトされるようになってくるのではと思っています。

大企業や大都市のような「大きなもの」の中にも、これまで以上にそうした「小さなもの」が生まれたり活躍できるような「小さなポケット」や「こやけ」のような仕組みやあり方がより重要になってくるのではないでしょうか。逆に言えば、いま「大きなもの」である企業や自治体がもし「小さなもの」への優越感に浸ってリスペクトを持たずそこから学ぼうとしなければ、衰退していってしまうかも知れません。

そんなことを改めて考えた一ヶ月でした。

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