国のリスキリングも予算規模だけでなく方向性の明確化を
岸田政権から引き続き、石破政権においても「リスキリング」の必要性について言及されています。
リスキリングは、企業単位においても重要ですが、国家単位においても重要な施策といえるでしょう。
ただ、個人的にリスキリングについては、「お金を投じる」ということだけでなく、「どの方向にリスキリングさせるか」というリスキリングの先を明確にする必要があると考えています。
企業単位でのリスキリング(人材版伊藤レポートから)
まず、企業単位でのリスキリングについて考えてみます。
リスキリングは、いわば「これまでやってきた仕事とは違う内容の知識・技能を習得する訓練をする」というものです。
まず、人材版伊藤レポートにも「リスキル・学び直し」という項目が挙げられています。
詳細は以下の記事を読んでいただければと思いますが、そこでは、経営戦略の実現に不足する人材の充足手段の一つとして「リスキリング」が挙げられています。
つまり、「経営戦略としてこういう方向性に行く。だからこういうスキルを持った人材が必要だ」という戦略の方向性を示したうえで、それと連動するリスキリングを行うことが求められています。
従業員の不安を取り除く必要がある
また、人材版伊藤レポートでは、「リスキルと処遇や報酬の連動」という項目もあります。
つまり、企業として「リスキリングしてください」といったところで、それが処遇、報酬と連動したのでなければ、普段の業務で忙しい従業員がリスキリングへのモチベーションを保つことが困難になります。
したがって、リスキリングの結果として、どういう処遇、報酬となるかを示すことも大事だということになります。
上記と同様のことは、以前経済教室で守島教授が書かれていた記事において、より理論的に、精緻に書かれております。
上記の記事はぜひ読んでいただきたいですが、ここでは「リスキリングを実施する企業の意図が従業員に伝わっていないと、従業員が納得してリスキリングに取り組めないといえる。」とあります。
「リスキリング」は、これまで獲得し、仕事に活かしてきた知見・技能とは異なる知見・技能を獲得するための訓練であるので、従業員にとって、企業の戦略(方向性)抜きにリスキリングに励むことは、結果として企業にとって必要のないスキルを習得してしまい、処遇・報酬に反映されないのではないかという不安につながるだろうと思われます(職能給制度の下においてどうかという問題はありますが)。
だとすると、従業員の不安を払しょくするためにも、企業の戦略の方向性を示し、リスキリングがそれと沿うものであること、そして、その結果が処遇・報酬に反映するものであることを明確にしなければ、従業員が納得してリスキリングに励むことにはならないと思われます。
その点でも、昨今の人的資本開示の中で、「リスキリングとして●億円投資!」という開示を見かけますが、重要なのは金額のインパクトではなく、やはり方向づけだろうと思われます。
同じ議論は国家としてのリスキリング施策にも当てはまるのでは
さて、上記で述べたような「リスキリングをする側の不安を取り除く」という観点からすると、国家のリスキリング施策にも同様のことが妥当するものと思われます。
すなわち、国民としても、成長分野ではない領域にリスキリングを施しても、リスキリングを受ける側にとっても賃金の上昇が望めず(つまり企業でいう処遇につながらない)、また、国家の経済成長にもつながらないものと思われます。
したがって、国家としても「リスキリングに●●●億円」といった予算規模を示すだけでなく、「成長分野へのリスキリング」として、どういう分野に向けたリスキリング施策を打っていくのかをより明確に発信すべきであろうと思われます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?